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2019/11/13

YouTubeのRecommendedの耐えられない軽さ

 YouTubeのHome画面の仕様変更(個人的には大改悪)に触れたエントリで、「Recommendedの教育内容がリセットされた」とうっかり書いてしまった。が、正確に書くならば「リセットされたとしか思えない結果しか返ってこなくなった」というところだろう。具体的に発生した状態は、「以前に『興味がない』と指定した動画またはチャンネルの動画がRecommendされたものの8割程度を常に占める」というものである。

 「興味がない」とした動画やチャンネルをいちいち覚えているほど記憶が良いなんて訳ではない。特定の動画またはチャンネルを「興味がない」と指定する際のルールがはっきりしているだけに過ぎない。

 例えば「(日本の)80年代シティポップ」なんてタイトル、内容の動画は例外無く「興味がない」と指定してきた。ところがタイトルがまんま「80年代シティポップ」だったり「80年代シティポップ」を含んでいたりする動画ばかりがいきなり20個以上Recommendされたのだ。このキーワードをタイトルに含む動画群がRecommendされ続けるに状態には一時期心底悩まされたため、この例に関してだけは「興味がない」と指定したことのある幾つかの動画タイトルやチャンネル名は(サムネイルの絵と併せて、文字列としてではなく絵や図形という形で)さすがに覚えていた。当然のように記憶にあるサムネイル、動画タイトル、チャンネル名がそこに並んでいたのである。そして類似の状態がHome画面をリロードする度に繰り替えされた。

 新しいHome画面では、Recommendされた個々の動画に対していきなり「(この動画を含む)チャンネルからは動画を(今後)Recommendしない」という指定ができる。従来は「(この動画を含む)このチャンネルは好きではない」までしか指定できなかった。従って「チャンネルからは動画をRecommendしない」という指定相当の状態を実現するためには、次々とRecommendされる続ける特定のチャンネルに含まれる動画に対して、延々と「このチャンネルは好きではない」という指定をし続けるしかなかった。という訳で、Recommendedの教育内容がリセットされた(ように見える)状況にはうんざりしたものの、「(この動画を含む)チャンネルからは動画を(今後)Recommendしない」という指定ができるようになったことでRecommendedの再教育が加速できるのではと同時に期待したのだった。だが、結果から言えばその期待は裏切られる。

 まず「指定する機能」の実装の問題がある。

 以前は「このチャンネルは好きではない」という指定はHome画面以外の画面からもできた。動画閲覧画面の右側にサムネイルが縦に並んで表示されている動画に対しても指定できたのである。が、現在は動画閲覧画面では「このチャンネルは好きではない」どころか「(この動画を含む)チャンネルからは動画を(今後)Recommendしない」も指定できない、つまり「(この動画を含む)チャンネルからは動画を(今後)Recommendしない」の指定は、Home画面で動画がRecommendされなければ指定できない。一方、「このチャンネルは好きではない」は画面を問わず一切使えなくなった。これではむしろ教育効率は下がってしまう(=教育に必要な時間が延びる、または教育する機会が与えられない)。

 次いで、「(この動画を含む)チャンネルからは動画を(今後)Recommendしない」というのは劇薬の如く強力過ぎることである。

 Recommendedの教育方法はあらためて考えるに非常にダサく(=ハイテクとか冴えた考えとかと無縁にしか見えない)、例えるならば「『嫌い』は指定できるが、『好き』は指定できない」ものとなっている。つまり、「こういうのが好き!」「こんな感じのものをRecommendして!」といったポジティブな教育はおろか、「この状態を維持して!」といったニュートラルな教育すら不可能なのだ。言わばRecommendedの教育過程とは、

「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」・・・

というネガティブで非常に気持ち悪いものなのだ。もともと「嫌い」を中和するような指定が不可能とあっては「(この動画を含む)チャンネルからは動画を(今後)Recommendしない」は結果が非可逆的でるが故に過激すぎる。間違って「嫌い!」としてしまった場合、それを取り消す手段は用意されていない。

 結論から言うと、まじめに1時間程「嫌い!」「嫌い!」「嫌い!」・・・を、当然興味が無い動画のチャンネルのみに対して繰り返したところ、再生回数が1年で1~2桁の動画がぽつぽつという状態を経て見事に何にもRecommendされなくなった。指定することに意味があるのかと疑問すら持つことがあった従来の「このチャンネルは好きではない」の緩さでなんとか保たれていたバランスは見事に崩壊、私に対してのRecommendedは1日とかからずに破綻したようである。「嫌い!」とはしなかった動画やチャンネルの情報は使われないのか、どこへ行ったのか・・・ユーザ個人に対しては捨てているも同然の取り扱いなんだろうね。

 ちなみに新しいHome画面では、Recommendした動画が無い場合も「空のRecommended欄」が表示される。「ちゃんと考えてつくられたもの、気を配ってつくられたもの」なら、このような場合は「Recommended欄」自体を表示しないんじゃないですかね。
じゃあ「好き」はどこにあるのか。敢えて挙げるならばSubscribed(登録済み)なのだろう。観たからといってその動画やチャンネルが「好き」とは限らない、むしろ観た結果嫌いになっている可能性すらある。しかし、SubscribedとRecommendedのそれぞれの内容が相互作用していると感じたことは一切無い。Subscribeしたチャンネルの動画がRecommendされることはあるが、そんなことされても意味は無い(=知ってた、でしかない)、相応の計算機リソースを消費しながらRecommendはユーザにとって意味あることを一切しておらず何の価値も生み出していない。

 YouTubeのRecommendedには動作だけではなく在り方自体に何か釈然としないものを感じていたのだが、このたった2日間でその理由が分かった気になってしまった。Recommendedがやっていることは、90年代の大々容量データに対応したデータベースソフトができたこと未満の低レベルなものなのである、少なくともこの2日間で起きたことを見る限りは。

2019/02/22

まさかここまで・・・

 そもそもは睡眠障害である。

 なかなか寝付けない(入眠障害)、夜中に何度も目が覚める(中途覚醒)、そもそも眠りが浅い(熟眠障害)、本来の起床時間の三時間ほど前に目が覚めてその後は寝られない(早朝覚醒)と、主要な症状は全て経験した。特に熟眠障害はポリグラフなどの検査結果から客観的に確認され、発症から一週間と経たずに入院となった。ホント、「このままでは死ぬ」と思った。睡眠不足は体調から明らか、とにかく眠い・・・なのに寝られない、仮眠もできない、これが私の睡眠障害の基本的症状である。

 現在の睡眠障害の症状は早朝覚醒のみと言って良い・・・が、その上に別の症状が乗っかっている。とにかく日中は頭が痛くて動けない。酷い脳貧血の症状に似ていて、多少の吐き気も伴う。効き方の急変で1月に使用を中止せざるを得なかった薬の影響ではないかと言う思いが、個人的には未だ拭えない。ちなみに顔なじみの薬剤師さんの見立ては「更年期障害のようなもの」であり、きっぱり「症状はこれから徐々に軽くなります」と言う。そう言える理由を聞くと「多くの患者さんを見てきたし、(更年期障害は)自分も経験しましたから分かります」とのこと。「その言葉、信じちゃいますよ」と言うと「信じて!(ニッコリ)」とこれまたきっぱり。疑う理由も無いし、自律神経失調っぽい症状も出ているから思い当たらない訳でも無いので、ここは信じておこうと思う。

 が、こんな調子では休むばかりでサラリーマン稼業は続けられない。と言う訳で上司の判断もあり暫く会社を休むことになった。数か月単位の入院、加療を前提とした処置である。とにかく合う薬が見つからなかったという経緯の結果だから、考えている今後の治療方法には最後の手段感が避け難くある。文句無しのハイリターンが期待できる反面、基本命がけとはならないにしてもリスクの程は全く分からない。

 来週から本格的にドタバタすることになりそうだ。ついては多少なりとも日中の頭痛等は緩んで欲しい。また暫く、世間から遠ざかることになりそうだ。

 あ、今日は処分準備中だったiPod(80GB)を取り出してきて、頭痛の中ライブラリを復旧した。この世代のiPodにはカメラが付いていないのが肝なのだ。いざ入院となると、プライバシー保護の観点からカメラ付き機器は持ち込めないことが多いのである。実際、先の入院ではカメラ付き故にiPod touchは病院預かりとなってしまった。

 あと、特に関係ないけど、最近よく聞いてる曲とか貼っときますか・・・古めが多いなぁ(笑)

 (オマケ)称えよ!資本論、ウォッカ、ソビエト熊!

2017/06/25

これが病気快復の1ステップだと良いなぁ・・・

 文章に変なところがあるかもしれませんが、それは何故かという点に今回は触れます。

 さて、3月末に季節外れの風邪にやられたところから、体調が一気に崩れました。治療中の病気の癪みたいなものが現れたのです。病気とはざっくり、鬱病です。

 私は完全な技術職志望者だったし、今でもそうなのですが、悪いタイミングで一時的に課長職を拝命しました。何が悪かったかと言うと、手が離せない技術的な仕事を抱えたまま課長になってしまったことでした。「どう考えても時間が足りない、体力的に無理」との主張は、様々な周囲状況から通りませんでした。そして約1年後、案の上職場で倒れてしまいました。「もう頑張るの嫌だな」という思いが頭を掠めた次の瞬間、目の前が真っ暗になったのです。幸い脳などには異常は無く、まずは一週間の休むことになったのですが、その一週間が明けても会社に行けなくなりました。まさに「心が折れた」のだと思います。それから薬による治療に入り、現在に至ります。当初は6種類の薬をボリボリかじりながらの毎日でしたが、現在は1日1種1カプセルまで減っています。また、詳細は省きますが、職場で倒れる前後の時期から見られ始めた幾つかの身体機能の不調も復帰、改善してきています。

 そんな中、件の癪が起こりました。起きたことをざっくり言えば、言語的な短期記憶能力の著しい低下です。口を開いた瞬間、どういう言葉を発そうとしていたかを忘れてしまいます。キーボードに触っての文章作成ができません。主語を打ち終わった時点で続くべき動詞や副詞が出てこないのです。しかし、何を言うべきか、何を書くべきかは分かっているのです。概念や思考そのものは頭の中にしっかりあるのに、いったん変換した言葉が脳内に維持できないのです。これでは入り組んだ話や文書書きは実質的に不可能です。

 論理的かどうかは問わず思考すること自体には何の問題もありません。むしろ病気からの快復のお陰なのか、この2、3年のどの時期よりも思考の切れは良いように思います。ゲームもやれます。言語を使わない脳活動には影響が無いようだったのです。ところで、図や数式は言葉でしょうか?これらはスラスラと書けたのはとても奇異な感じがしました。

 何れにしてもかなり不思議な症状、体験をしたものです。

 ここからは私なりの体験したものへの解釈です。

 思考や概念は(少なくとも私の場合)書き言葉や話言葉などは一切使いません。情報入力が話し言葉であっても、可能な限り思考の初期の段階で日常的に言うところの言語には頼らなくてもよいレベルの概念まで分解、解釈します。これは生まれつきと言うよりも経験的に身に着けた一種の作法です。目的は、相手が相手の中のルールに従て言語化した概念自体を、できるだけ1対1に対応していると信じられる概念として私の脳内に再構成するためです。ですから、時には相手がうんざりするような細かな質問を発せざるを得なくなります。しかし、このやり取りが上手く回り始めると色々なメリットがあります。まず、お互いの脳内の概念がほぼ同じものと見做せるようになると、以降のその概念に絡むコミュケーションがとてつもなく簡単、確実になります。概念に対するチェックが多重化されます。その概念自体に関わる他者からの質問への反応に人毎の違いが無くなったり、互いに互いの役割が代替可能になります。これらは、「概念と1対1に対応した表現が無い」が故に「言語化というプロセスで付加が避けられない曖昧さ」を可能な限り排除、キャンセルすることで得られるメリットと考えています。

 少なくとも私の場合は、鬱状態下では曖昧さや矛盾は最大級の苦痛源であり、受け付けられなくなります。忖度なんてのは不可能ですし、素人の思いつきでしかない発言がポンポン飛び出すようなテレビ番組なんて観れません。上記のような症状を「鬱病の癪」と私が信じて疑わない(し、実際に上ではそう書いてしまっている)のは、それが「特定の脳内活動にのみ発生した鬱症状」と自然と解釈できるからです。 図や数式が影響を受けなかったのは、基本的に曖昧さが付加される余地がなかったからでしょう。

 先週あたりから会話中の曖昧さにイライラすることも無くなり、その曖昧さ自体もネタにできるほどの余裕も出てきました。でも「職場で技術の話」となると何時でも曖昧さ排除のスイッチは入れられるようにしていきたいですね、入り切りがコントロールできるようにならない限り意味が無いですからね。

 以上のように、個人的にかなり変な体験をした訳ですが、楽天的に「これは鬱病からの快復過程の1ステップなのだ」と信じたいなぁ…というのが本音ですね。まだ時制関係はちょっとおかしいですけどね。

2017/06/24

まぁ、帰ってきた

 諸般の状況によりネット上での活動を一時的かつ完全に止めていましたが、まぁ、帰ってきたと。

 かといって嫌なことがあったりしてネットから離れていた訳ではなくて、体調がらみとか個人的な状況が原因です。具体的に私自身にどんなことが起こっていたかについてはおいおい書きますが、例えばPCゲームは普通にプレイしていて、Ghost Recon Wildlandsは難易度エクストリームでしっかり2周、Fallen Ghost DLCもクリア済だったりします。 ブログ向きのネタもしっかり貯まっています。

 ここ一週間ぐらいはPCのソフト環境の再整理、というか、この2~3年でアップグレードしたにも関わず、全く触っていなかったCubase 9(DAW、楽曲制作アプリ)やLightwave3D 2015.3(3DCGアプリ)がちゃんと使える環境を整備していました。間にWindows10の大型アップデートがあったので、なかなかやっかいな状況が発生していたのです。ともあれ、「これらのアプリを再び使い始めましょう」という一種の「やる気の回復」があった訳で、個人的には結構重要な状況の変化と言えます。

 しかし楽曲制作にしても3Dモデリングにしてもいきなり一からは厳しいので、いったん放棄したり中断したりしたプロジェクトの再開からのスタートです。まずは、これ。正直のところ自分に音楽的素養は乏しいとは思っているのですが、まぁ、好きなので。

2016/04/18

【のっそりThe Division】 MMOはサービスである

 「富む者は富み続け、続く者たちの頭を押さえて溜飲を下げる」

これがパッチ1.1適用前の状態だ。つまり、優れた装備を先に手に入れたプレイヤーたちがローグプレイを満喫、これから装備を充実させていこうというプレイヤーをダークゾーンで殺し続けるという状態だ。また、Exploitを使ったズルをするためにはそれなりの装備が必要だ。「富む者だけが更に富む」所以と言える。

 パッチ1.1にはその辺りを多少なりとも是正することを期待していたが、現れた状況は目も当てられない。

 「富む者は更に富み、富む者と富まぬ者との装備の差も広がり、ローグは増える」

 そもそも、パッチ1.1以前から富んでいる者は、極端な話、ダークゾーンクレジットもフェニックスクレジットもダークゾーンキーも使う当てもないまま積みあがっていた筈だ。パッチ1.1で導入された新たなハイエンド装備の入手はさして難しい話ではない。ファルコンロストミッションのExploitを使えばクレジットすら必要ない(Exploit自体はもう無効化されているが遅きに失しているのは明らかだ)。

 「装備レベルが160台と210以上のプレイヤーを同じダークゾーンに割り当てる」という運用も、ローグに入れ食い状態の狩場を与えるに等しい。 せめて161+、181+、201+ぐらいには分けるべきだろう。開発側の想像力の欠如を本気で憂う。

 今晩は久しぶりにダークゾーン(161+)に入ってみたが、ローグが少なくとも6人居たのでそそくさと出てしまった。ローグが跋扈するダークゾーンでの活動は非生産的過ぎる。海外のレビューでも「(もはや)ソロや装備が不十分なグループがダークゾーンに入ることは『死刑宣告』以外の何物でもない」とはっきりと書いたものすらあった。同意だ。

 MMOはサービスである。売り切りのパッケージ製品とは異なり、変動し続けるプレイヤーの満足度が命だ。開発元のUbi Massiveはその辺りを完全に外してきている。不毛なローグシステムすら全くいじれないところに来て、益々やばい兆候だ。

 件のファルコンロストミッションのExploitに対してはパッチが当てられたが、その後も別のExploitが幾つも見つかっている。 とあるネット上のコミュニティの雰囲気は、パッチ前は「ズルする奴らは糞喰らえ!」だったが、パッチでの対応が本質的ではないことが明らかになったあたりから「Massive糞喰らえ!」に完全に振れている。いい加減、対処療法ではなく本質に踏み込まないとサービスとしては間違いなく死ぬ。

 Massiveは「Exploitを使ったズルをしたプレイヤーは、無警告に3日間banする(締め出す)」等といった方針を明らかにしたが、 私に言わせればどれ一つとっても本質的ではない。第一の責任はExploitを頻発させているMassiveにある。

 「新しく発見されたExploit当たり、DLC発売を3日間延期する。その間の経費は持ち出しです。」

ぐらいは言ってくれないものか、責任転嫁にはもう多くのプレイヤーが飽き飽きしている。サービスなんだよ、客を舐めると後が怖いよ。

 決してお粗末な装備とは思わないのだが、この程度では今やダークゾーンでは良いカモに過ぎないんだなぁ。

2016/04/02

【のっそりThe Division】 ローグシステムはやっぱり不毛

 エンドゲームはレベルアップのおまけみたいなもの。レベル29でちゃんと自キャラの装備を整えていたので、UNでのミッションは初見で死ぬことなくクリアできた。問題は、レベル30のダークゾーンである。

 時間やタイミング、めぐり合わせもあろうが、現行のローグシステムは当然予測される状況をレベル30のダークゾーンに引き起こしている。以前に「ローグシステムは一種の実験と考えている」と書いたが、結果は予測された最低の、反吐が出るようなものである。端的に言えば、「先行して装備を整えたグループによる弱い者いじめの横行」「他プレイヤーをローグに陥れる数々の手練手管の横行」である。

 前者は、ほぼローグに成りっぱなしのグループの所業である。正直のところ、レベル30になったばかりのソロプレイヤーはこれらのグループには全く歯が立たず、一方的な虐殺を何度も何度も何度も受けることになる。彼らはエージェントを攻撃することになんら躊躇しないし、ソロプレイヤーしか襲わない。しかも、敵のレベルが低い区画をぐるぐる回っている。彼らは敵も殺して回り、箱は開け、ディビジョンテックを根こそぎ奪っていくから、他プレイヤーは会敵するチャンスすらも激減し、ましてや高価値アイテムやディビジョンテックも入手できない。結果、他プレイヤーはランクアップする機会も損なわれる。

 後者も手が込んできて、単にこちらの引いた火線に飛び込んでくるだけでなく、カバー内外で体を寄せる、ライカーを思わせるような移動パターンをして見せるなどと手が込んできている。うっかりローグにされると、後ろで待機していたグループメンバーが攻撃してくる。 特に同じカバー内に飛び込んできプレイヤーには注意した方が良い。カバーから敵を撃ったつもりが、全弾隣にいる他キャラクターに撃ち込んでしまう場合がある。そもそも数に勝る敵の攻撃はまず分散すべきであるから、同じカバーに2人も入っている状況は集中攻撃を受けるだけで戦術的には愚の骨頂としか言えない(回復系スキルを使うような場合はもちろん除く)。

 結果、回収地点に他プレイヤーが居る場合は回収はやらない、戦闘中に他プレイヤーが接近してきた場合は即戦闘から離脱する、といったトラウマとも言えるプレイスタイルに陥っている。だからと言ってまだこのゲームを辞めるつもりはない。

 斯く言う状況の原因は明らかに、「先行して装備を整えたプレイヤーがローグすることに、実質的に何のデメリットもない、対してメリットは極めて大」という現行のローグシステムにある。予想通りの状況しか生み出していないとすれば、このシステムはクソでしかないということだ。多くのレビューでローグシステムの不毛さ、意味の無さは指摘されてきていたが、ここに至っては私も心からそう思う。以前のエントリで書いたように、ローグ化してもISACがエージェントをサポートし続けるとか、プレイヤーはエージェントという設定に照らせば明らかにおかしい。ローグ化すればHUD表示が無くなるとかは最低限必要だろう。

 で、現在進行形で酷い目にあっているソロプレイヤーの反省だ。

 レベル30になる前に、ダークゾーンランクは50以上にしておき、ディビジョンテックもダークゾーンクレジットもできるだけ集め、装備もレベル29段階で整えておく。

 こうしておけば、難易度ハードのミッションリプレイにも十分対応でき、ランクアップに手間取るような目には合いにくいだろう。もちろん、ディベロッパーは「グループでプレイしてね」と言ってる訳だが、ダークゾーン内では弱者連合にあまりメリットはない。

 ローグシステムはゲーム自体を衰退させかねない失策だ。もし失策とは言えなくなるまでの改善が行われた場合、それは現行のローグシステムの本質が完全に失なわれるということ、つまり全くの別システムということになろう。

2016/03/08

もうパーティーには間に合わない。有り難うUbisoft!有り難うSteam!(くどい)

 サーバーがダウンしようが、起動してもブラックスクリーンだとか、音が出ないとか、サーバーが不安定でリワードが受け取れない状態になってるとか、盛り上がっているパーティーに参加するならハプニング上等。だが、そんなパーティーに参加させてすらもらえないなんてのは、金を払って予約購入した身としては「責任者出てこい」級の不愉快さだ。もうf**kですよs**tですよwthですよs*bですよa** ****ですよ香×リカ氏ばりに**立てますよ!

 あ、PCゲームの"Tom Clancy's The Division"の話だよ。

 あらら、やっぱりPC/国内版のSteamでのリリース(プリロードファイルのアンロック)は3/10でしかも正午なんだねぇ。色々な意味でカチンときたのが正直なところ。新しい薬の副作用の頭痛で苦しんでいる中、何でこういう展開を目にしなければならないのか・・・
  日本でのコンソール版の発売は3/10だからそれといっしょでしょうというロジックに一定の理はあるように思うかもしれないが、そもそもUbiソフトの日本法人は「PC/国内版を扱っていない」、当然ラインナップにも表示されない。従って「PC/国内版」のリリース日に関する日本法人からの正式なアナウンスがある筈もない。実際、クローズド、オープンの2つのベータのPC/日本語版について日本法人は「公式にサポートしない」ことをアナウンスしており、ユーザーサイドから見れば放置も同然のスタンスだった。故に如何に国内版とは言え、PC版のリリース日が日本法人が取り扱うコンソール版のそれに縛られることがもしあろうものなら理解に苦しむと言うか、理由が全く見つからない、ってことでカチン。んぐ~、
  つーか、そもそもコンソール/国内版のリリース「時刻」がなぜヨーロッパや米国より1日以上2日未満遅いのかも理解に苦しむと言うか、理由が全く見つからない、ってことで+1カチン。ローカライズのラグも無いのにな、そもそもこの時点で既に混乱の種は蒔かれていると言って良い。このような日本の状況に対して「インターナショナルリリースだろ、おかしい」と言ってくれる海外の人がいるのが救いと言えば救い。だが、やっぱり
  となればUbiソフト(グローバル)のアナウンスを信用するしかなくなるが、これでもPS4版のリリースタイミングについては日本が例外であることに触れているものの、PC版には一切例外に関する記述は無い。加えて、欧州地域ではPC版のリリースタイミングが結局のところ前倒しされ、事前に予告されたリリースタイミングなんぞ(少なくとも今回は)前倒し可能であることを明確に示した形となっている。ちなみにリリース前倒しの理由は、既にユーロッパではリリース済みのXbox One版のプレーヤーとのエクスペリエンスのラグを最少とするためだそうだ。つーか、他にも最少とすべきラグがあるでしょうってことにもなりませんかね、ってことで+1カチン。もう、
 YouTubeなどでの事前情報源としてとてもお世話になっていたMarcoStyleさんは、3人グループで24時間プレイライブを絶賛開催中だ。リリース前倒しとなったヨーロッパだとは言え、レベルは日本時間の20:45時点で既に25(最高30)である。これぞパーティーってもんだ。廃人達に至ってはそのゲーム進展は想像を超えるが、プレイ開始に2日以上のラグがあっては私がプレイ可能となった時点での彼らの到達レベルは想像に難くない、っつーか2巡目かも知れない。ああ、もう国連ビルに達してるじゃねーか!・・・あ、"End Game"だってさ・・・
  Amazon.co.jpでの「PC/国内/ダウンロード版」のリリース日時を今日初めて確認したところ、3/10の「0:00」となっている。これは国内向けコンソール版も同じだ。一方、表示されているアンロックまでの時間から計算したSteamでのアンロック時刻は3/10の「正午」だ。幾らSteamがいろいろやらかすとは言え、既にグローバル向けサーバーがサービスインしているゲームのリリースタイミングが購入先が違うが故に12時間も遅いことは理解に苦しむと言うか、理由が全く見つからない、ってことで+3カチン。くどいが、
 Steamが既にやらかしたのは、いったん「今すぐプレイ」ボタンを(ストアの製品ページに)表示したことだ。後にして思えばヨーロッパでのリリース前倒しと関係があったのかもしれないが、これは完全に混乱の元だ。当然、プリロードがアンロックされていないユーザーがそのボタンを押しても「まだ正式公開日ではない」とのメッセージが表示されるだけで何ら意味がない。そのボタンがいつ表示されなくなったかは知らないが、米国リリース前後にも表示されていなかったと聞くので、ホント、Steamがまたやらかした臭いのだ[訂正:Steamのクライアントとウェブの表示の不一致という話でした。ウェブ版だけボタンが表示されていた。](DLCではそのボタンは表示されている。DLCの販売はリリース後だから、もう有り様が矛盾だらけな訳です)。これが最後だよ、
  という訳で、PC/国内版のリリースタイミングに関わる事実関係は全く変わらないのだが、つらつら事実を整理していくと以前には想定もしていなかった結論に至った。それは、
「PC/国内版をSteamで予約購入した人が"Tom Clancy's The Division"をプレイできるようになるタイミングは、プラットフォームをも問わず、世界中で一番最後っぽい(少なくとも先進国と呼ばれる国の中では最後のグループ)」
という事だ。更に駄目を押すと、 
「国内ではリリース日の朝にコンソールのパッケージ版を店頭で購入した人よりも遅い」 
のだ。
[追記:3/8 0:10ごろSteamでもアンロックされた模様、結局Steamで表示されていた情報はどれも信じられなかったというオチ。アップデートだけ済ませるとしても明日を考えるとプレイできないのが社会人の辛さ・・・]

 ホント、意味が分かりませんわ。有り難うUbisoft!有り難うSteam!本当に有り難いわ。

2016/01/19

Kawaii?

 台湾総統選挙は蔡英文氏が勝利しました。で、選挙運動で使った公式キャラクターがこれらしい。
 蔡氏と似てる似てないとか、これは萌えキャラなのか違うのかとか色々意見はあるようですが、個人的にはアリ、「媚びた感じの無いキャラ造形」って辺りを極めて好感してます。台湾の選挙や国政と有権者との距離感についてちょっと思いを巡らせてしまいました。  

2015/06/16

私はあなたではない

 これはとっても重要なことであり、うっかりこれを読んでしまっている未来ある方々は肝に銘じておいて頂きたい。と言うか、これぐらいのことを理解していないと、実は古き良き日本社会では生きていけない。「読み書きそろばん」ができなくとも日本人ならこれは体得しておかないといけない思考方法であり、常識以前の話なのだ。

 東洋経済の記事「中国の書店が『親日』であるのにはワケがある」は突っ込みどころ満載の「馬○の主張」以外の何物でもないのだが、いかんせん、おそらく無意識の「○鹿自慢」は読み手を不愉快にする。
私が最初に同書店で「日本本」の多さに気づいたのは、2013年のこと。それまでも年に2~3回ほど北京や上海に取材に出かけていたが、ゆっくり書店を巡る時間がなかった。だが、その日は地方都市の詳細な地図を買い求めたくて、わざわざ大型書店に足を運んでみた。そして、思わず小さな声で叫んでしまった。

 「上海の書店には、日本本があふれているじゃないか!!」と――。

  1階の正面玄関を入ってすぐの「話題の本・ベストセラー本」というコーナーに、冒頭の本がズラリと並べられていたからだ。まさか、と思いつつ手に取ると、装丁などは多少異なっているが、正真正銘、日本の同名本の翻訳だった。ビニールでパックされていて開けられないものもあるが、開けられるものは中国人が熱心に立ち読みしているではないか。うれしくて、思わず「あの、私、日本人。それ、日本の本なんですけど……」と隣で日本本を読みふけっている中国人に声をかけてみたい衝動にかられた。 待ち合わせしていた中国人の友人がやって来たので、彼女に私のびっくり具合を説明すると、あきれた表情で「中島さんったら、今頃、何を言っているの。そんなのずっと以前からですよ。中国人は以前から日本の本が大好きですよ」と教えてくれた。

  しかし、多くの日本人にとって、この事実はちょっとした衝撃ではないか。 
おそらく「多くの日本人」は驚かない。記事の執筆者に比べれば、主観で事実を歪める傾向は遥かに弱いだろうし、より論理的でもあるし、事象の時系列関係もより踏まえているだろうからだ。

 「 しかし、多くの日本人にとって、この事実はちょっとした衝撃ではないか。」とさらっと書ける感性は信じられない。それはあなたの主観であって、世間一般はそうじゃない。自分の認識が普通かどうか、一般的かどうかに自覚的ではない人間はジャーナリストはやっちゃいけない(はっきり言えば迷惑だ)。

 「知らないこと」は条件付ではあるけれど恥ずかしいことではない(専門家が専門家たるための努力を軽んずなかれ!)。だが、「自分が知らなかった事に対して、自分の『必ずしも一般的とは言えない主観』のみに照らして反応する」様は(ジャーナリストでなくとも)とっても恥ずかしい。まだ知ったかぶりする方が可愛げもあると言うものだ・・・それは一種「空気を読んだ上での恥の認識に基づく反応」だからだ。

 恥も無く、恥を認識できる感性も無く、空気も読めず、無知。これは辛い。うっかりガス抜き記事だったとしても、さして効果はないだろう。

2014/06/14

奥さん、論文査読お願いします。:やっぱりあの大学は駄目...

 今取り組んでいる仕事に役立つかと思い、海外の大学の修士論文などを読み漁っていた。なぜ修士論文か。
  • 一般的に博士論文の出来は完全に当人の責任、修士論文までは重要な点については指導者の指導が入っていると考えていい。結果、中身の充実度は修士論文が勝る場合が多々ある。酷い博士論文は「受理しない」でおしまいにできるけど、修士はそうはいかないからね。
  • 試験データをまとめた付録が充実している場合が多々ある、これは、指導者の指導にそってデータまとめを執筆者自身が行っている可能性が高いため。

 私の専門分野だと例えばカナダのオタワ大学に大家がいらっしゃる。新規性はさすがに最近は厳しくなってきたが、実用性という観点からは成果を着実に積み上げてきている。修士の学生もその成果の蓄積をきっちり踏まえることを要求されるから、修士論文も大外しはしない。基礎がしっかりしているので、浮ついた展開にならない。付録の試験データの整理方法もこなれており、客観的な評価に耐えられるものだ。

 つまり、「検証可能」。

 で、そんな過程で米国の某大学の「修士論文」を読んだところ、工学にも関わらず数式がほとんど出てこず、技術用語の誤用や試験データの一貫性の欠如(試験データからだけでは妥当性の検討か不可)となかなか酷い出来だった。

 はっきり言おう、あれはエッセイだ。「ここまでの旅路」とか、目次にも技術論文感がない。

 「ああ、あの大学の修士じゃぁしょうがねぇかぁ…」などと思いつつ机に投げ出した論文の写しの表紙を何気に眺めると…「え、博士(Ph. D)論文?!しかも受理したとな!?」。

 やっぱり私の専門分野ではあの大学は駄目だ。

2014/03/26

アジアワッチ

 もともと政治的な話はしないつもりで始めた本ブログだが、やっぱりそうもいかないご時世のようだ。やはり触れずには済ませられない遺憾な事が余りに多い。ま、おそらくシリーズ化すると思われマス。
  • 台湾立法院(日本の国会に相当)を学生達が占拠、警察により強制排除
    原因は、中共との経済・貿易協定。ちょっとでも想像力が有れば、協定が中共にとって一方的に有利な内容であり、一種のトロイの木馬であることはすぐ分かる。中共からは投資だけじゃなくて人も来る。台湾を実質的に自国の一地域化する中共の意図が見え過ぎていて怖い。
    台湾の国民の大部分は、先祖代々の現地民(内省人)達と大陸から中華民国政府とともに渡ってきた移住者(外省人)達から構成されており、両者の対中共姿勢の大きな違いは台湾立法院で乱闘騒ぎが絶えない理由のひとつとなっている。当然ながら、現在の台湾が日本領だった時代には、中華民国政府はまだ大陸にあった。台湾は親日国とされるが、これは内省人を中心としたものと考えて良いだろう。中華民国はかつて大陸で日本帝国軍と戦っていた訳だからね。
    台湾が何処へ行こうとしているのか、暫くは目を離せない。

  • 韓国、ロシアから経済制裁?!
    こんなことができるなんて、やはり韓国だ。悪い意味で「奇跡の存在」と容赦なく無慈悲に呼ばせてもらおう。やろうと思っても普通できない、底抜け具合が半端無い。
    口は災いの元。クリミア半島情勢に関して対ロシア経済制裁の可能性を韓国政府が公式に述べたところ、ロシア側から経済協力協議などを一方的にキャンセルされたそうだ。
    また爆撃機が来るかもよ。

  • 安重根義士?!
    中共と韓国がノリノリだが、彼らの主張内容は学術的検証には全く耐えられない。当時から彼はテロリストでしかない。
    安重根氏の思想は、支離滅裂ではあるが「西洋列強に伍するためには日朝中による汎アジア連合が必要」とするものであり、反日ではない。そもそも伊藤博文氏の暗殺の理由の一つは、伊藤氏を「日本皇室に仇為す君側の奸」と見做した”事実無根の勘違い”にあり、彼が日本皇室に汎アジア連合形成の求心力となることを期待していた節もあるのだ。
    実は「理想に燃える青年を嘘で煽ったコミンテルンの陰謀」とか?
    共産主義なんてもはやお題目に過ぎない実利優先のリアリスト中共…のはずだったのだが、なにこのリアリティの欠如は!
 あっ!中共は今そんなに何かヤバいってことですか!?

2013/04/27

馬鹿ネタ三題

 昨日は職場の喫煙室で同僚と馬鹿話で盛り上がる。で、その話の中から三題。


 その一 宇宙空間への散骨

 死んだら2~3ミリグラムで良いから遺骨を宇宙へ飛ばしたい。小瓶に詰めて人工衛星打ち上げに便乗させれば、200万円かからないだろうというのが真面目な試算結果。ただし、便乗の場合には地球周回軌道に乗ることになり、国際宇宙ステーションとかにぶつかってしまったりしたら死後とはいえ大変申し訳ない。

 小瓶1000個位を1基のロケットで打ち上げ、高めの弾道軌道に乗せるサービスはどうか。大気圏突入時間、突入位置を遺族に事前に通知することで、遺族は遺骨が入った小瓶が流れ星となって輝きながら落下する様を観られる。天候が曇りや雨となった場合や、ロケット打ち上げ失敗時には、費用の一部は遺族に返還。「宇宙散骨保険(加害、被害)」なんかもありだが、詐欺事件発生の可能性もあり。ただし、天候のせいで輝きながら燃え尽きる様を遺族に見てもらえなかったりしたら死後とはいえ大変切ない。

 その二 宇宙飛行士の自殺

 自殺願望の強い宇宙飛行士が、宇宙空間で作業中に特殊金属製のボルトか何かを投げる。地球帰還後、宇宙飛行士を本人が宇宙で投げたボルトかなんかが直撃、見事自殺を果たす。宇宙空間から落下してきた金属塊の運動エネルギーは半端なく、直径5mmの球でも人体なんかエライことになるのは真面目な計算結果からも明らか。

 その三 投身自殺

 飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように……………………地面はなかなか近付いてこない。

 これはきっついですよ、無間地獄ですよ。少なくとも投身自殺はお勧めできないなぁ。

2013/03/02

年度末進行とけいれん

 2月後半から完全に年度末進行。お客向けの報告書作成やお金の計算やら、果ては来年度の作業計画策定など締め切り目白押し。ここ2週間で自分の報告書は2本仕上げて、今週末はちょっとばかりゆっくりできそう。週明けはおそらく他の人間の書いた報告書のチェックの仕事が数本入る筈。

 実は自分の報告書がすんなり上長のチェックをパスするのは久しぶり、秘密のひとつは抗うつ剤の増量にある。単純にうつ症状が出なければ、それなりに論理的思考ができるということだろう。とは言え、しゃべると異様に疲れるのは抗うつ剤だけでは解決できない。よって会議は辛い、特に専門家として参加する会議は辛い。うっかり論理の破綻或いは脆弱性を目の当たりにするようなことがあれば、例え厳しくとも言うことは言わなければならないし、非専門家相手なら良くも悪くも懇切丁寧に説明しなければならない。心に余裕の無い身としては、会議の席で宿題(予定外の仕事)をもらう事態も避けたい。

 現在使用している抗うつ剤の副作用には胃腸障害などがあるが、けいれん閾値を下げる場合もあるらしい。そのせいか、靴を脱ごうとしてふくらはぎがけいれんし、玄関でのたうつ事態に何度か陥っている。特にまずいのが東京出張帰り。自宅から駅まで約2kmの往復に加えて、東京出張はけっこう最寄り駅から歩く距離が長くなることが多い。更に言えば、出張先(つまり客先)で黙っている訳にもいかない。

 ふくらはぎがけいれんするなんてのは、何気に体育会系だった十代のころは日常茶飯事。対応も手慣れたものだったのだが、いかんせん運動不足と加齢で身体がすっかり固くなっている。が、今やけいれんが怖くてジョギングにも腰が引けるというのが実態だ。

 …いかんのぅ。

2013/02/17

有難う、ジェリー・アンダーソン

 昨年末の事なので2カ月近く前の話になるが、「サンダーバード」や「謎の円盤UFO」などのTVシリーズを製作したジェリー・アンダーソン氏が亡くなった。タイムリーな時期にいったん本ブログでも取上げたのだが、いかんせん、気持ちが先走って文章がまとまらなかったのですぐにそのエントリは削除した。状況は今も変わらないが、内容は無くてもお礼だけは書いておこうと思う。

 有難う、ジェリー。

2012/11/18

BSG : B&Cのエピソード3 & 4 公開されましたよ。

 Mikalaさんのブログでは"awful crap"なんてタグが付けられた記事で言及されているBSG: B&Cですが、告知通り新エピソードが公開されました。

 ありゃ、バルキリー型バトルスターが出ちゃってますよ。個人的には休戦後のデザインだと信じて疑っていなかったんですけどね。まぁ、バーサーク型/級がいるのは無問題ですけど。

 一部ではバイパーがMk.IIなのかMk.IIIなのか、"Archeron"がバトルスターなのか重巡洋艦なのか、なんて議論も起きてるようですが、まぁ、もうどうでも良いです。ゲーム「BSGオンライン」のスクリーンショットを観た時点で新BSGの世界観の統一が破綻しているのは明らか。世界観にちゃんと投資をしておかないとBSGである必然性すら失ってしまって、ドンパチあればオッケー的なレベルの低い視聴者しか残ってくれませんよ。

2012/11/05

Battlestar Galacticaが日本ではどう見えるのか、真面目に考えてみた。

 今回ものっけから主観だが、日本人の文化的コード(行動や考え方に対する主に倫理的な規範、制限、限界などに対応するものと思って欲しい)は絶対的なモノを想定しない傾向が強く、相互に矛盾したり敵対する価値観の共存にかなり寛容に見える。現実問題として海外の多くの国や地方において文化的コードは宗教的倫理規範や教義と実質的に等価であり、タブーと称されるコードからの逸脱も宗教的価値観を強く反映している場合が多い。

 結局何が言いたいかというと、相対的に日本人の意識にはタブーが少ないのではないかということだ。もしそうならば我々日本人は相対的に自由であるとも言えるが、タブーを犯すという一種のスリルからも遠いということにもなる。「出る杭は打たれる」は、自由度の高い文化的コードに基づく社会が必然的に備えた安全装置と言えるかもしれない。ここで「出る杭…」をコードの一部と見なさない理由は、どこまで出れば打たれるかが事前に明示化されていないからである。打たれるかどうかは読むべき「空気」そのもの、かなり日本的な不思議な合意形成プロセスで決まる。

 小説家やマンガ家、映画やTVドラマのクリエイター達が提示するストーリーや世界観も、それぞれの背負う文化的コードを反映している筈だ。或いはより普遍的な、最大公約数的な倫理規範を想定している者もいるかもしれない。が、それら提示された作品が面白いか、スリリングかどうかは結局受け手側の倫理規範に制限される。特定の文化的コードではタブーや倫理的、宗教的に複雑な問題でも、他の文化的コードではなんてことのない日常茶飯事かもしれない。

 作り手側にとっての有り得る一つの不幸は、自分達の文化的コードでは作中で匂わすだけでも重大事と捉えられる事態が、他の文化的コードに従う人間に全く気付いて貰えないことである。Battlestar Galacticaの最終回のラスト、現代の北米の街並みとAsimoなどの人型ロボットが踊るシーンに込められた作り手側の意図は、人型ロボットに対して持つ感情に関わる文化的コードの違いから日本人には意図を察することはできても理解はできない。

 Galacticaの製作者の一人は、「(如何にもロボットという金属ボディの代わりに人間にしか見えない生体ボディを持つ)人型サイロンを登場させることで、作品に哲学的意味合いを与えることができた。」との趣旨の発言をした。だが、暴言を許してもらえれば、「ロボットを突き詰めていけば人型は一つの必然的帰結」ぐらいの感覚を持つ日本人ならば何らの哲学的意味合いう感じる筈もない。作り手が作品で匂わせた重要なものが受け手に全く届かない、という不幸がここにある。

 人型ロボットを一種の偶像と見るならば、人型ロボット自体が幾つかの宗教諸派においてすでにタブーである。そこまで行かなくても、一部の西欧文化圏には「フランケンシュタイン・コンプレックス」と呼ばれる魂を持つ人型のモノに対する恐怖感があるという。

 Galacticaの特に後半は、「フランケンシュタイン・コンプレックス」を持つ者にとって居心地の悪い展開が続く。集合的単一意識に基づき個を有さなかったそれまでのサイロンと違い、人型を与えられたサイロンの一部は個としての意志を確立、人類抹殺に対して疑義を唱え、挙句にサイロンを裏切る者まで現れる。また主要登場人物の多くが自分が実は人型サイロンではないかと苦悩する。登場人物達も視聴者も、劇中で描かれる行動からは人型サイロンと人間を区別することができなくなっていくのだ。おそらく区別できなくなることに重大な命題が潜む。「人とは何か、人を人たらしめているのは何か」である。

 一日本人である私にはそんな命題なんかはどうでも良い。そういうことを真面目に考えることに価値を見出しもしない。ただ、一視聴者として、作り手側がその命題に対してどのような回答を劇中で提示するのかが気になるだけだ。だが、そのようなモノは実質的に提示されないままGalacticaは完結する。作り手側の文化的コードではそのような命題を匂わす形で提示することだけで充分スリリングとする。他方、日本では「東映特撮シリーズ」や「ドラえもん映画」ですら当たり前にその先を描く。日本の文化的コードにおいて人型ロボットが「人とは何か」という命題と必然的に一対で現れることはない。ロボットだって恋をするのが日本だ。日本ではむしろロボットが自分のアイデンティティについて悩むことの方が多くないか----「何故僕は人間ではないのか?」

 「トランスフォーマー」すら「フランケンシュタイン・コンプレックス」とは無縁ではないという話をWebの何処かで読んだ。「トランスフォーマー」のデザインですら、充分に人間っぽいということなのだろう。「トランスフォーマー」の成功には、何年にも及ぶマーケティング活動による一種の啓蒙、或いは免疫の形成が必要だったらしい。それを思うと、「フランケンシュタイン・コンプレックス」の根深さと最初の「ターミネーター」が持っていた本来の怖さを想像することぐらいはできる。

 少し脱線するが、日本では「どこまでが人間か?」という命題には多少敏感に見える。士郎正宗-押井守の映画「攻殻機動隊/Ghost in the Shell」では、サイボーグ義体の主人公が「本来の人としての自分はただひと固まりの脳細胞だけしか残っていない」ではないかという考えに恐怖を感じる。しかしその主人公も「自分のGhostの囁き」を信じ、最後にはサイボーグ義体すらも捨てて「どこまでが人間か?」という問いを軽やかに飛び越えてしまう。ここで一度確立された人としての個は、自己改変が可能な、換言すれば新たなルールを自らの内部に取り込み可能な構造を持つプログラムと経験データベースに置き換え可能で、さらにネット上で成長出来るという考えを示唆する。この考え自体は全く新しくないが、とにかくそれを直球で描いてしまったのは事実だ。「エヴァンゲリヲン」においては「そう、エヴァは人なの」という類のセリフ一つで「人」の定義があっさりと拡張されるとともに、「個の喪失により人を人でなくす」計画が語られる。「ロボコップ」が米国生まれなのは実に不思議だが、脚本ができているのに監督がなかなか決まらなかった理由の一端を「フランケンシュタイン・コンプレックス」に求めるというのはどうだろうか。

 話をBattlestar Galacticaに戻す。

 結局、作り手側が作品に持ち込んだ「雰囲気(どうもロジカルに導入した形跡がない)」=「フランケンシュタイン・コンプレックス」は日本人の文化的コードでは何らの機能も果たさず、救いの無いエピソードがただ積み重ねられるだけに見えてしまった。「フランケンシュタイン・コンプレックス」の導入に気付いた人もその先が一切語られないことにフラストレーションを持った。

という辺りが実体ではないかと思う。

2012/11/04

奥さん、論文査読お願いします。

 なんやかんやあったようで、知り合いの知り合いの仕事仲間ぐらいの距離から英語論文の査読依頼が来た。タイトルだけでネガティブな意味で大笑いさせてもらったが、抄録や本文はもっと凄い、というか文章ですらない。

 概して英語になじみの無い日本人が頑張って英語で論文を書くと、文法的には多々問題があっても論理はむしろ露わになることが多い。解釈に文脈依存性が強い日本語より英語の方が純粋な論理記述に向いている上、書き手が凝った英語表現を使えない点がむしろ文章をシンプルに読みやすくする良い方向に作用する。が、それは書き手がきっちりとした論理を持っていることが前提だ。タイトルや抄録の第1センテンスで駄目な論文はそれと分かることが多い。タイトルをどうするかは大抵悩ましいものだが、タイトルの変更は論文の結論の変更とリンクしても良いぐらい論文中の論展開と密接に結びついているべきであり、実はタイトルに関する選択肢は本文の内容が決まっていれば限られて当然なのだ。

 タイトルで大笑いした理由は、使われている一つの単語の不適切な選択からタイトル自体が「嘘」としか解釈できなかったからにほかならない。1940年代なら世紀の大ニュース、1950年代でも大した偉業、2012年では嘘かここ60年間の科学技術の発展を知らない人の言い草だ。

 論文発行も電子化が進み、査読にもスピード感が要求されるようになった。査読といっても昨今は技術的に云々は言わず、まぁ名も実もある学会なり協会なりが発行しても恥ずかしくないかどうか位しかチェックしないのが遺憾ながら実体に近い。それでもなお、自信を持って拒絶できるレベルのものを目にしなければならないというのは正直キツい。

 かつて経験した厳しいながら実に本質的な査読結果は、自分の論文の質向上に確実に結びついた。どうやら著者にとっては初の論文投稿のようだが、この著者もそのうち自分と同じような経験をする機会があるのだろうか、などとふと思う。

 主観ながら、読む価値のある論文はたいてい短いか、長くても読み込むべき個所が論展開上から明確に分かる。私の専門分野では、2ページとは言え1945~1960年のソ連研究者の論文は後述する「再発見」に関わり要注意だ。また実際ある研究グループの論文は、絶対読むけれども第3章以外は読み飛ばす。ただし、その研究グループの論文をせめて10本は事前に読んでいることが前提だ。第2章まではこれまでの研究内容のあらすじみたいなもので、その研究グループの論文を初めて読む人にとっては実に有難い内容がぎっしり詰まっているので念の為。

 論文は基本的に研究のログなのだが、電子化などでより一層コミュニケーション色を強めつつあるように見える。悪い側面として玉石混交具合が酷くなってきたとも言えるが、現時点では検索技術の整備による論文入手にかかる時間的、金銭的コスト低減効果の方が勝っている。

 インターネットにさえ繋がっていれば、従来は一部の専門家しか入手しようとしなかった論文に誰でも簡単にアクセスできる時代に気がつけばなっていた。ただし、駆け出し研究者のころの私が感動すら覚えながら読んだ1950~1960年代の素晴らしい論文達の大部分は未だ電子化されておらず、間違った文脈で論文で引用されたり、ちょっと頭の回転の早い人に同じ結論を「再発見」されたりしているのを極稀に見ることがある。どんなに査読が形骸化しようとも、査読者たる者たまたま著者が「知らなかった」ことぐらいは指摘しておかなければね。