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2015/07/27

かってにセレクト、ライムスター宇多丸さんの宇宙戦かんああと評

 いつも的確と思います、っつーかしゃべってる内容が他人のものとは思えないんですが。ネタは古いですが、再評価には耐えられないだろう作品に対する評は人類が滅びても変わらないでしょう。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」評・・・タイトルが違うとかは小さいこと。駄目なものが何故駄目なのかはそもそも駄目だからということが駄目な作品の共通因子。要は「力の無い人間の覚悟」なんて「覚悟ですらない」が故に意味が無いということ。「Sport man ヤマダ」にも共通しますが、作り手の「志の低さ」は作品に明確に宿ります。
 「Sport man ヤマダ」評

2014/11/02

やっと「宇宙戦艦ヤマト 復活編」を観ました。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」にギリギリ引っかかっているオッサン世代の視点からは、実写版「Space Battleship Yamato」、「2199」とは較ぶべくもなく遥かに「ヤマトらしさ」を感じてしまう作品。ヤマトの無双ぶりは気持ち良いぐらい。

 作品として特筆すべき点のひとつは3DCGカットの他のカットとのなじみの良さ、画作りのセンスがあるとこうなるのか、という好例ではないかと思う。

 「Space Battleship Yamato」は悪い意味でCG屋の手癖、実は安く上げるための合理的ワークフロー、の枠をはみ出すことが無く、結果的にクリエイティビティは今二つ。明らかに参考としたであろう米国TVシリーズ「Battlestal Galactica(リメイク版)」の洗礼を浴びていた身としては、質はTVシリーズレベルと同等か及ばないとの印象を持たざるを得ない。画として具体的に見せる、という観点のクリエイティビティにも乏しい。動きにアニメ的なタメが無いのは当然としても、ゲーム用物理エンジン的な「慣性力」感を払拭できなかった点は単純に製作側の汚点であろう。使ったレンダリングエンジン(CGソフトによって意外に癖がある。特に点光源の処理結果)がアマチュアの私にも分かるのはポスト処理に余り手をかけていない、或いはレンダリング画像で良しとしたとも考えられるが、「それで良いのか(誰にでも作れる画で良いのか)?」という話。

 「Battlestar Galactica」の3DCGカットにしても、VFX専門スタジオZoicとUniversal社のインハウスVFXチームとの画の質の違いは歴然で、Lightwave3D丸出しのインハウスVFXチームの仕事は決して褒められるものではない。「安かろう悪かろう」の典型例、或いはアイディアを持つアーチスト集団と想像力に欠けるエンジニア集団との違いとでも例えられようか。

 また「2199」は結局のところ手書きの焼き直しに過ぎず、レイアウトは基本的に非凡。モーション付けはタメがあったり無かったりのバラつきが大きく、アウトラインシェーダーとセルシェーダー(輪郭線とセル塗りをシミュレートするもの)の使用が他のカットとの断絶感をむしろ強調してしまうというのは皮肉な話だ。

 「宇宙戦艦ヤマト 復活編」でも全ての3DCGカットが良いとは当然言わないし、言えない。個人的には「どういう順番で3DCGカットが製作されたのか?」がかなり気になる。大雑把に言って、ストーリーの進展とともに3DCGカットのなじみがどんどん良くなっていくからだ。これは単に後半に集中しがちな重要なカットに時間をかけたというだけなのかも知れないが、一作の中で「地球の3DCGカットの出来」にあんなに落差のある作品は個人的には初めてだ。レンダリングエンジン一世代(3~4年)分ぐらいのギャップがある。

 「宇宙戦艦ヤマト 復活編」の3DCGカットではアウトラインシェーダー、セルシェーダーともに使用していない。このため、火焔、煙、水などの処理には悩まなくても良く、特に煙は完全にリアリティ重視と言える。他方、爆発に伴う閃光が周囲に及ぼす影響は、無視されるか細部を省略したかのような大雑把な表現になっている。換言すれば、3DCGを使いながらも光の処理は(おそらく意図的に)極めて手描きアニメ的であると言える。これを3DCGでやるということは、むしろ一手間も二手間も余計に手間をかけたということに他ならない。しかし、手描き背景の緻密さとアニメ的な嘘(例えばメタリックな構造物への写り込みが無い)との相性は格段と良くなることを期待して良い。

  「Space Battleship Yamato」は光の媒介物(真空なのか、ガスがあるのか)の効果をレンダリングの時点で作りこめていないので、ポスト処理で頑張ってもスケール感や重量感の表現には制限が多い。点光源の光が遠くまで届いてしまっては、(真空中ではそうだと言っても)巨大感はスポイルされてしまう。また、Universal社のインハウスVFXチームと同様に「何が光源なのか分からない環境光」を強くするという愚を犯しており、宇宙空間での光と影のリアリティはほぼ無いと言って良い。船体表面などの凹凸、微細構造は影があってこそ見た目のリアリティに寄与する訳で、影を積極的に使わないのであればモデリングの頑張りは意味がない(影を使わないならバンプマップやノーマルマップで十分で、単にメモリの無駄でもある)。「2199」はアウトライン、セル塗り調でありながら光(と影)の表現が突出してリアル寄りであるため出来上がりの画が内在する違和感の排除は不可能だ。結局、「宇宙戦艦ヤマト 復活編」のヤマトが重量感という観点からは突出して見栄えが良い。特に逆光のなか海上に佇むヤマトの姿は、「重量感」を越えて「戦艦感」とでも言うべき風情すら感じてしまった。それは単に止め絵であるからではなく、ヤマトが登場する3DCGカットのほぼ全てにわたって共通する光の処理への考え方に負うところが大きいと思うのだ。

 ちなみに「キャプテン・ハーロック」のモデリング+テクスチャに極端に頼った方向性では影が使えない。結果、画で使えるコントラスト幅、色の彩度幅は著しく制限され、光と言えば白色しか使えず(白色しか使わないだけでも見るべき見識はあると言える)勢い画は単調とならざるを得ない。

2014/07/21

2199劇場版の副題は・・・

 もうどうでも良いと思っているので今日知ることになったという。

 エントリタイトルの件は、「追憶の航海」と「星巡る方舟」だそうです。

 ほんっとーにセンスねぇな、プロじゃねぇな、と思います、少なくとも再構成版に過ぎないなら。

 「箱舟」って、どこをどうひねくり回せば論理的に出てくるのか。あ、「箱舟」が指す先がヤマトじゃなく、かつ先のシリーズには含まれていないエピソードに「箱舟と呼べる船」が出てくるなら別にかまいませんけれどね。でも、そっちの船がメインになっちゃうの?ヤマトには「箱舟」なんて要素は一片もない、百歩譲ってイズモ計画派(非論理的、非現実的無能集団)の妄想に過ぎないじゃないですか。

 「追憶」とか好きだね、ホント。雰囲気でやっちゃうのは○○、それしかできないなのは××な○○。

 きっとあなた方が愛しているのは自分、ヤマトじゃない。

2014/06/15

ぷうぺらさんの三段空母は…:蛇足

 このエントリでも書いた通り、私はぷうぺらさんの三段空母造形へのアプローチを強く支持している。あれには愛があるとおもうんだけどなぁ・・・版権不許諾でワンフェスには出せないとのことで実に残念。

蛇足1

 リメイク版Battlestar Galacticaのギャラクティカのデザインモチーフのひとつが、第二次世界大戦~戦後第一世代の空母であることはその筋では有名な話。ギャラクティカの尾部にあっては、如何にも実在する空母の船尾部を思わせる船体にエンジンポッドを4本加えることでヴォリューム感を与えている。コンセプトデザイナーEric Chu氏の与えたデザインの方向性は、ずばり「ぱっと見でどちらが前/後かが分かること」、「男性器的意匠から一定の距離を与える(要素としては残す)こと」と見た。サイロンベーススターはデザイン自体も素晴らしいが、デザインの方向性がギャクティカとほぼ逆方向である点も素晴らしい。コンセプトデザインって仕事の意味をデザイン自身が雄弁に語っていると思う。

 2199の三段空母のデザインも「実在する空母の船尾部を思わせる船体にエンジンポッド加えた」イメージが強く、1974版の三段空母のデザイン画の造形が持つ不安定感(平らな所に置くと絶対後ろにコケそう、船尾部の下部の処理が肝で横から見ると菱形感が出る)はかなり失われている。2199における三段空母デザインに感じる中途半端感の原因はまさにここにあって、処理が「無難過ぎる」のだ。

 劇中で「波をけたてる」描写を行うならば、より実際の船に近い1974版のデザイン処理の方が絶対良い(どうせ嘘なんだから喫水線は曲げちゃえば良い)。2199版もデザイン単体で捉えれば単に今時っぽい普通の処理に過ぎないのだが、それが劇中での演出とマッチしていないというのは、2199という作品にとっても三段空母のデザインにとっても不幸としか言いようがない。デザインを世界観に奉仕させない(奉仕させられない?)ところは、2199という作品の完成度を著しく下げていると断言する。

蛇足2

 先のエントリで不用意に下記のように書いた。
ジャガイモに名刺を3枚突き刺しただけでは普通は三段空母にはならんのですよ。だけどジャガイモの形の目利きにはそれができるかも。
ここで「不用意」の意味は、「そんなことを書いておいて自らやってみないのはまずいだろう」ということ。いや、「そんなこと誰もやらんだろう」という油断があったというのが正しい。だが、ぷうぺらさんのフットワークは実に軽く、私の思い込みが如何に偏狭であったかを痛感する事態となった次第。何歳になってもこういう刺激があるのは実に嬉しい限り、ぷうぺらさんとはこれからもこんな感じで緩~くキャッチボールできれば良いなと思います。で、「ジャガイモに名刺3枚」はこのページの中段あたり。まさに私のイメージ通りの三段空母なのですが、皆さんはどうお感じになりますか?

 でもぷうぺらさん、お言葉は有難く、心に染みわたるものがあるのですが・・・・・・そんなにハードル上げんで下さい・・・

2014/06/07

ぷうぺらさんの三段空母は…

 ワンフェスやらガレキとかの世界にはとんと疎いのですが、「ラブタコス」の名でワンフェスに参加されている「ぷうぺら」さんの次作が宇宙戦艦ヤマトの「三段空母」、しかも題して「ガミラス三段空母1945」ですと!

 製作過程をウェブで公開されているので、ここのところワクワクしながらページ更新を待つ日々が続いています。

 メールの相手をして頂いた事があるだけで直接の面識はないのですが、ぷうぺらさんは私にとっては「遥か先を行く松本(零士)造形への挑戦者」とでも呼びたい存在。おそらく松本零士氏のペンの入り抜き(ペンタッチ)にまで思いを馳せながら松本造形の立体化に挑んでいる、と勝手に想像している次第。

 で、「ガミラス三段空母1945」ですが…あぁ、やはりやってくれましたか、そうでなくっちゃね、と私的には納得の展開、全力での支持を表明します。何がって、「丸いおしり」ですよ。あそこはああいうヴォリューム感でああいう丸さであるべきです。もちろん、その「おしり」が成立するためにはそれ以外の部分も重要、そういう辺りの塊感、ヴォリューム感のバランス感覚には何時もながら唸らされます。そういうセンスが私には無いのが実に遺憾、ジャガイモに名刺を3枚突き刺しただけでは普通は三段空母にはならんのですよ。だけどジャガイモの形の目利きにはそれができるかも。

 例えが分かりにくくて申し訳ないですが、要は三段空母の見た目全体像をどう料理するかのポイントのひとつは、丸さを湛えたヴォリュームと直線的な甲板とのバランスと境界の処理じゃないかということです。境界をくっきりさせるか、それとも馴染ませるか。松本氏のペンタッチからはおそらく馴染ませるのが正解という気もするけれど、あくまでそれは二次元でかつ輪郭線でのお話。既に不用意に「名刺を突き刺す」なんて書いてしまいましたが、「ジャガイモの一部を削って名刺をそおっと乗せる」という解だってあるわけです。やっぱりこういう感覚を正確に表現する言葉ってのは無いですね。ぷうぺらさんの解はまた違ったもの、甲板の側部に曲線要素を導入しているので「名刺」の例えはもはや使えません。

 実は三段空母、2199版がやっつけぽくて余りに面白味に欠けたのでオレ版CGモデルネタとしてリストアップはしてあるのですが、あの「おしり」見ちゃうとなぁ…やりにくいよなぁ…止めるつもりも無いですけど、方向性は少し変えないと面白くないですね。もちろんアングルドデッキは恥しいからやんないですよ、あの醸し出される「考えてない感」は半端じゃないですからね。

 興味を持った方は、ぷうぺらさんのページ「sumika on the web」 の上部のリンク「ラブタコス」からどうぞ。

追記:2014/06/07
 版権不許諾通知届いて製作ストップ
が~ん!!

2014/04/07

毎日新聞デジタル”宇宙戦艦ヤマト2199 : 出渕監督に聞く”を読む

 久しぶりに2199ネタ。毎日新聞デジタルの記事、「宇宙戦艦ヤマト2199 : 出渕監督に聞く オファーは『天命』」(2014年04月05日)を一読。

 新作劇場版とやらもやっぱり駄目っぽい、監督も監督自身も変わんねぇのな、な雰囲気濃厚。
 「ヤマトができるのはとにかく楽しかった。自分が楽しいと思っていると、作品にもそれが出てくるんだなと思った」としみじみと語る。
そこ、駄目だったところその1。あなたが何処を楽しんでいるかはおそらく半分ぐらいは分かっているつもりだ。しかし、全体として見たとき、あなたが楽しんでいるだろう辺りは全く物語の成立性に寄与していなかった。ただの食い散らかしになっていなかったか。
「(13年の)テレビ版から今作に入った方には特に見ていただきたい。本当に違いますから。意図したわけではないんですが、劇場上映版は全7章がいい形で
まとまった。章ごとにアプローチ、切り口が違っていて、章ごとに味わいも違う。まとめて見るには非常に見やすくなっている。もちろん計算はしたんですが、
ここまでカチッとはまるとは思っていなかった」と自信をのぞかせる。
そこ、駄目だったところその2。章毎にトーンが違うのは言われなくたって分かる。問題は、先のシリーズでは、全体として見たときに「章毎にトーンが違う」ことが全く物語の成立性に寄与していなかったじゃないか、ということ。ただ違うだけだったじゃないか、というより、本来ガチガチかつ針に糸を通すような繊細な構成が求められる部分に限って、はぐらかしたり、抒情的な描写で誤魔化したりしてたよね。

 故に、劇場版で全体として纏め切れれば拍手も讃辞も惜しまない。ただ、やろうと思っても難しいこのようなことにどれだけ自覚的に取り組もうとしているのかは甚だ疑問だ。
「劇場版は自分たちがこうしたかったというものがピュアな形で出ているので、そういう部分も含めて見てもらいたいですね」と語る。
ここは驚きポイント。「ピュアな形ではない」先のシリーズはどう位置付ければ良いのよ。「ピュアな形」ってあんた、より食い散らかしを先鋭化するつもりなのか。せめて「よりピュアな形」と言って欲しかった。
「実はヤマト自体をモデリングし直しています。劇場用にもう少し緻密にやろうということで、細かい部分で直しを入れたり、ディテールを足していたりするので、そういうところも見どころではあると思いますね」と明かした。
だからぁ、そこじゃぁないんだってば。「できるのが分かっていること」だけやってちゃ見てる側は尚更面白くもなんともないし、それじゃぁ作品は何時まで経っても終わらせられない。プロフェッショナルってのは「終わらせられる」力量のある人のことだ。何時までアマチュア意識が抜けないのか。
「『天命かな。これはやらないといけない』と。あえて“火中のクリ”を拾う心境だった」と当時を振り返る。
さすがにこれには同意と言うか、感情移入はできる。が、「天命」とは不可分な「覚悟」ってぇのはただやりゃぁ示せるってもんじゃぁない。

え、覚悟なんて無い?

空耳だと思うけど、それじゃぁこいつに手をつけちゃいけねぇし、自ら「天命じゃない」って言ってるようなもんだねぇ。「天命」は「覚悟」のある人間にしか下されないよ、普通。

2013/12/30

アクセス解析:検索ワードラウンドアップ:その5

 本年最後のエントリとなります。皆さま良いお年を。

 さて、
  • 高出力電磁で嫌がせした人
    完全に意味不明…

  • フィアット500 ツインエア ツインエアエンジン etc.
    ツインエアはかなり癖があります。FIREエンジンとは別物です。
    単純に燃費やら動力特性やらでバランスが良いエンジンと言うならば、文句なくFIREエンジンに軍配が上がります。ツインエアエンジン車に乗っている身でナンですが、ツインエアエンジンはあまり好きではありません、でも楽しい、燃費もそこそこ。
    おそらく、ドライバーとしては楽しくて、エンジニアとしては癖の強さに疑問を持ってるんだと思います。マニュアル車やDualogic車でも積極的にシフトチェンジする人にはFIREエンジンはつまらない。アクセルとブレーキしか使う気のない人はFIREエンジンを選ぶべきでしょう。排気管以外は見た目変わりませんしね。

  • SynthMaster
    音作りをし、かつCPU負荷も気にする人には絶対お勧め、プリセットだけ使うという人には面白みに乏しいかも知れません。
    直ぐに音が出てしまうのも良し悪しですが、実は音作りの最初の敷居は高いかも知れないと最近思うようになりました。私はオシレータ部以外はほぼ同様のインターフェース構造を持つZ3TA+で散々苦労したので一目で何処を如何すればどうなるかが分かったのですが、これはピンポイントな幸運以外の何物でも無さそうです。だって、他のソフトシンセ操作には、Z3TA+の苦労なんてほとんど役に立ちませんから…フィルタ特性が全く違うが故にZ3TA+2ですら役に立ちませんでしたからね。

  • 3ds エラーコード 002-4
    気持ちは良く分かりますが、3dsと
    Lightwave3Dの相性は最悪です。っつーか3dsの規格自体が酷いものです。高価なファイルコンバータが売れたのもむべなるかな、と言ったところでしょう。
    Lightwaver(死語)には、3dsで作られた既存のモデルに頼らない覚悟が求められました。つまり、かつてのLightwave3Dユーザは「自分に必要なモデルは全て自分で作っていた」のです。

  • itunes11.1.3  同期 できない
    自分には無関係、かと思っていましたが、iPod touchの容量不足から「チェックした曲だけ同期する」オプションを使い始めた途端、転送エラーが頻発するようになりました。たいがいは3回目で同期に成功します…十分に不良アプリ?

  • piapro studio vocaloid editor 使いやすい
    Piapro StudioはVer.1.2からクリプトン社以外のボーカロイド製品も使えるようになり、個人的にはやっと用途が出てきました。ソフトとしての出来はVocaloid Editor 3を遥かに凌ぐもので、操作感は良い意味で別物です(あくまでCubase7上での話、他のDAWは分かりません)。ただし、以下の点は注意が必要です。
    まず、Windowsユーザの観点からは操作がやや煩雑です。これはコンテクストメニュー(マウスの右ボタンクリック)を積極的に使うユーザインターフェースとはなっていないことによるところが大きいです。その代わり、操作感はMac版と共通かもしれません。かといってコンテクストメニューが完全に使われていない訳では無いため、ユーザインターフェース設計にロジックなり思想なりを感じることはできません。そういう意味では、酷い部類のユーザインターフェースではないかと。あと、日本語、英語ボーカロイドでの歌詞入力には問題ありませんが、少なくともスペイン語歌詞の入力はボーカロイドがスペイン語版でも音素記号に変換されません。結局、スペイン語などの場合はVocalod Editorを使わなくてはいけないようです(現状は)。
で、お約束です。
  • ヤマト 出淵 頭悪い、宇宙戦艦ヤマト2199 酷い、宇宙戦艦ヤマト2199 つまらない!!、ヤマト 2199 駄作
    まぁ、普通の検索エンジンならここへのリンクを表示しますわな。
    ただし、個人名を挙げて「頭悪い」とは書いたことはない筈。頭の良し悪しは社会に出れば直ぐに周囲には分かるもので、どの種の頭の良さが求められるかは分野によって違います。
    本ブログでは「プロとしての自覚の有無」、「論理性の有無」、「オリジナリティの有無への姿勢」の3点には突出してカラいのですが、頭の良し悪しは問いません。そもそも面識の無い人のことは分かりませんしね。でも、お金を払って入手した作品に対しては言いたいこと言っても罰は当たらない筈。
    アニメも作るとある監督は「絵のクオリティを下げてでも作品の納期を守る」訳ですが、これは「作品としてのクオリティ」を下げない限りにおいては正論であり有能ということになります。裏を返すと、「作品のクオリティが上がらないのに絵のクオリティを上げるために納期を守れない」のはその分野においては少なくとも有能とは言えないでしょうねぇ。

  • イデオン 絶望
    何故毎日?


 でわ、2014年までさようなら。

2013/12/28

2013年を振り返ってみる

 まだ今年も何日か残ってますが、会社も休みになりますし、もはや年末年始まったりモードです。

 会社の同僚が「正月攻勢と称して某国が某線を越えるのではないか」と心配していますが、個人的にはこの時期に動くことは賢明とは思えません。が、ちょっと某国に関する報道が以前と較べて減っているのが気になります。要は、中共と上手くいっていないのではないかという点が懸念事項ではある訳です。

 とは言え、2015年には朝鮮半島国連軍の戦時統制権が米国から韓国へ完全委譲されることは決まっており、また米国が非核化を条件に某国との不可侵条約締結も考えていることは米国自身が明言しています。事実関係として、某国、米国、中共は休戦条約を結びました(韓国は休戦していない)が、この休戦条約、今年になって某国が一方的に破棄を宣言し、米国もそれを公式に認めています。戦時統制権に韓国への委譲、休戦条約の実質的破棄という事実関係の文脈からは、「不可侵条約締結」はあながち想定されないシナリオでもない様なのです。ポイントは「半島非核化」、北から南まで全てですよ、もちろん。

 この辺りは裏取りしていくと、国内では報道されていない話がポンポン出てきて面白いです。

 で、我が国はというと、首相が靖国参拝したかと思うと仕事納めということで。まぁ国家100年の計の一部である筈だと信じてますからね。少なくとも事大主義はマジアカンでしょう、というのが今年の最大の教訓、国家も経済も仕事もね。米国の「残念」の意味ですが、TV報道での解説の説得力無さったらありません。米国はロジカルに怖いですからね、キャンペーン(大抵は褒め殺し)が始まったらもう手遅れですよ、おそらくここまでは想定通りの展開と思われますが。

 良くも悪くも来年は今年以上に国際情勢、世界経済に色々動きがありそう、との認識は同僚とも共有してますが、内容については云わぬが華ということで。IMF(国際通貨基金)とかEU(欧州連合)の公開資料とかに目を通しているとちょっとドキドキしますよ。アジアの事は、アジアだけ見てては理解できません。

 後は気のまま。
  • 9月以降は出社拒否も起こさず、時折PCを前に寝オチする始末。
     そもそも職場で倒れた原因が不眠症で、睡眠導入剤も飲まずに「寝オチ」なんてのはここ3年ほど無かったこと。きっと体調良くなっているって思いたいのが人情ではありますが。ただ仕事以外への粘りと言うかやる気は明らかに減退、まぁ歳のせいでしょうけどね。

  • 車の乗り換え。
     気が付けば9年乗ってたのねFIAT Nuova Panda(2004年型)、良い車でした。2004年型は色々と原価低減策をする前の型式なので、実は外見が一緒でも後の年代の同型車よりもインテリアはしっかりしていたのです。
     一応プレミアムコンパクトとの位置付けのFIAT 500シリーズですが、「インテリアにおける原価低減策」はしっかり継承されているのはちょっと残念。TwinAirエンジンはちょっと回し気味でナンボって感じですねぇ。

  • 「宇宙戦艦ヤマト2199」良いところ無く完全撃沈、覚悟の心中。
     酷い出来でしたけれども最期まで付き合いました、Blu-rayプレーヤーもわざわざ買ったのにねぇ。あの素材で事前の予想を大幅に凌ぐ物語の薄っぺらさ、いつもの事とは言えあの素材でアレが平気でできるって辺りが「性根がプロじゃない」って証拠かと。金出す人も相手は選ばないとさ。
     一部報道では「市場規模なんとか億年!」なんて報道もありましたが、ゆるキャラ「くまモン」の経済波及効果(推定、活動開始からの積算)の1/10以下ですからねぇ…「くまモン」にしても「ふなっしー」にしても、中の人の「ゆるキャラとしてのプロ魂」みたいなものを感じますよ、マジで。

  • 「パシフィック・リム」に救われる。
     ツッコミ所満載という点は認めるけど、理詰めの構成力は凄い。労作にして傑作、シナリオが酷いという人は映画の読み方を知らないと思うべき、カットの一つ一つまでがなんと饒舌なことか!VFXとライブアクションを同じ人間がデシジョンすることで、何故作ったか、どんな作品を作りたいかから始まって実際の作品までが理詰めの一品。
     あこがれや思い入れを理に落とし込めた時点で、某2199とは別次元になったと言えよう。米国では不評とのことだが、それはかなり映画リテラシーのレベルの問題じゃないのか。「スターウォーズ」の興行的成功による「映画における新たなるイマジネーションの不在」をウン十年ぶりに打破した作品であり、その意味では「2001年の宇宙の旅」の直系かと思う。イマジネーションだけならば「インデペンデンス・デイ」っつーミッシングリンクがあるにはあるのだが、あれはシナリオが良い意味で馬鹿過ぎるもんなぁ。
     あと「マーズ・アタック」は「どこかで見たことがあるような感じのちょっと曖昧だけどそれっぽい一連のイメージ」を具体化したという点で、「スターウォーズ」の流儀を尖鋭化したと言って良いのではないかと思う。問題は、そこを尖鋭化しただけでは面白くなる理由がないことで、その辺りが確信犯的に作られている点を面白がれるかどうかという意味で、やはり観客を選ぶ映画ではないかと思う。

  • キャプテン・ハーロック…ん?
     気になって調べてみたら国内興行収入5億円程度とか、やっぱり大赤字。「くまモン」との比較は…ケタが違うね。某2199と同じで、金出す人間は相手を選ばなきゃだめっつーか、どうしてこんな企画に大金が投じられたのか?存在自体がファンタジーな感じ。
     今時モーションキャプチャーとか「作り手にイマジネーションありません」と言ってるも同然で、面白い物が出来るはずもない。「ロボットもカイジューも動きは全て手付けです、それがこの作品にとって必須なのです」と監督が言いきってしまう「パシフィック・リム」とは雲泥の差。作品の有様やら金の使い方やら色々間違ってる点では「デビルマン」の再来かもよ東映さん。
     世間のレビューを見るに、映画リテラシー的な観点からは評価が二分、シナリオ、或いは物語展開をきっちり追えている人とそうでない人との意識差が歴然。フランスではシナリオは受けるかもしれんが、小説同様マンガっぽさは余計かと思います。

  • 3Dモデリング封印、海外ネットコミュニティとの断絶。
     体調優先のため、一応「病気にて休みます」と仁義は切っておいて3Dモデリング関係のコミュニティからいったん断絶。まぁ、英語でやり取りすることが多少負担になっていたし、自分の3Dデータの商用利用差し止めとかでてんやわんやした経験も大きい。
     参加していたコミュニティはポライトであることを基本としつつも押しつけがましくないフランクな側面をも持ちバランスの良いところなのだが、時折その辺りの空気を読まないニューカマーが現れて「浮きまく」っていたりするのは(日本人っぽかったりして)ご愛嬌。ちなみに私は一部の人間に米国人だと思われていた模様、やはりカナダ人や英国人とは物言いが違うようです。

  • PC更新せず、3Dモデリングから音楽寄りにシフト。
     もうメモリも売ってないようなロートルPCなのだが、取り敢えず困らないのでそのまま。かつては毎年のように更新していたのが嘘のよう。PCアップデートに使っていたお金は音楽関係のソフト購入費にシフトした感じ。
今日のところはこんな感じかな。

2013/10/30

アクセス解析:検索ワードラウンドアップ:その3

  • リピッシュの耳
    マニアックですね。アレクサンダー・リピッシュ先生についてはウィキペディアで。「リピッシュの耳」というのは「主翼端の下げ」で、有名な例はハインケルHe162。「リピッシュ先生の耳」ではなくて「リピッシュ先生の提案したある犬種の耳みたいな主翼端下げ」ですので念の為。効能は飛行時の横方向安定性の向上で、類似の構造はMig-25の試作機や、イランのF-313(笑)とかに見られますね。
    これがHe162、ちなみに"M23"は「見本(試作機)23」の意味です。
  • イデオン 絶望
    また来ました。

  • ヤマト2199 itune 音質 ひどい
    最近はかなり良くなりましたが、iTunes Storeの初期の楽曲データは音質が酷いものが多かったのも事実。同じ楽曲をCDから同ビットレートのAAC形式でiTunesに取り込んだところ、ダウンロードデータより格段に音質が良かったという経験は何度かあります。ダウンロードデータでは音の奥行き方向の定位が完全に潰れていた、とかが典型的な例。モンティ・パイソンのネタで"How could you miss?!(お前らどうやったら(銃の狙いを)外せるんだ?!)"というのがありましたが、将にそういう感じ。どうやったらそんな酷い音質にできるの?ってことです。そういうのに限って非プロテクトデータへの更新がないとか、最初が駄目なところは駄目な状態を平気で放置できるようです。どうなんですか、 エイベックス・トラックスさん?
    もしOST1のことならば、そもそものマスタリングが酷い(という表現でも生ぬるいほどの絶望的なまでに恥しい出来、こんなものにお金を払ってはいけません。演奏者にも失礼です。)ですからもうどうしようもありません。非圧縮のCDリップデータを違法ダウンロードしてもCDを買っても音質的には何も良いことはありませんし、iTunes Store並びにAppleには何ら非はありません。

  • 奥さんと連絡するディーラー
    探偵の出番でしょうか?ストーリー有り気な珠玉の検索ワードかも。

  • jjj
    じぇじぇじぇ?

2013/10/29

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.7で地球帰還です。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の最終回をTVで観たあと、下記のように書いた。
単にご都合主義で、無用に感傷的で、時に演出が過剰に感覚的で、ネタを散々食い散らかしながら大事なところに限って回収しなかったのが「宇宙戦艦ヤマト
2199」だ。物語や世界観との整合を欠いた「ちょっとしたアイディア」は「とんち」ではない。物語や世界観の論理性や合理性の欠如は回を重ねるにつれて
耐えがたいレベルにまで達し、夢の機械「コスモリバースシステム」は作品の製作者のためにのみ存在することがあからさまとなり、「青い地球の回復」のカットにカタルシスはない。
Vol.7をあらためて観てもその思いは変わらない。むしろながら見だったTV放映時よりも印象は悪くなった。引用の多さはそのセンスの無さも含めて耐えがたい。「罪と罰」の本の登場は、「罪と罰」をちゃんと読んだ人ほど意味が分からないんじゃないだろうか。引用に対してどの程度腹くくりができていたのだろう。いかにも表層的、独りよがりな感じは「プロの作品」としては観ていて実に気持ち悪い。挙句の果てには"Battlestar Galactica"を引用したかのような「どこかで観たな」というカットのオンパレードである。

 キャラクターを多数出しながら群像劇としての構造はついに与えられず、消化不良との印象も否めない。

 製作者達は本作の物語にきっちりとした骨格も筋肉も与えていない。これは一種の例えだが、言いたいことは「つまらない雑音」をねじふせてでも「物語」を視聴者に「物語」と感じさせるだけの「力」がないということだ。

 TVアニメシリーズ「ラーゼフォン」も似たような構造を持っている。物語全体としてはヒルコの如くぐにゃぐにゃで骨格は無いに等しい。「東京ジュピター」から街中の映画のポスターまでも含めて多くの引用はつまらないし、センスがあるとも思わない。映画版に至っては何もかもがギャグにしか思えなくなる、たちの悪いTVシリーズのパロディのようだ。

 が、第19楽章のような回もあった。第19楽章の戦闘シーンでの街中の電光掲示板などの描写は、真面目に考えると「理屈が全く分からない」。しかし、前半での細かなエピソードの積み重ねが不合理な描写を力ずくで成立させる。「力ずく」には骨格も筋肉も必要だ。一瞬であっても物語が「力強さ」を獲得すれば、「感傷的で、時に演出が過剰に感覚的で」あっても「理屈が全く分からなく」ともその物語を受け入れることができる。別の言い方をすると、「理屈が全く分からなくてもええやんけ」と言えるようになる。「良いものは良い」と言う表現は実は全然論理的じゃないが、そうとしか言えないものの一つや二つは誰にだってあるだろう。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」はついにその種の「力強さ」を獲得できぬまま終わった。なんとも残念なことだ。新作劇場版は「力強さ」を獲得できるだろうか。

2013/10/19

アクセス解析:検索ワードラウンドアップ:その2

 さて、第2回です。
  • KORG M01dと相性の良いDAWソフト
    KORG M01DはNintendo 3DSソフト、PC上のDAWソフトとの相性とは?3DS持ってないのでなんとも。

  • korg SQ-8 取扱説明書
    さる情報によると、KORG SQ-8の取扱説明書のオリジナルはKORG社内にも今や存在していないとか。海外のオークションサイトに英語版が13ドル程度で出品されています。

  • 宇宙戦艦ヤマト2199 オリジナルサウンドトラック rar
    違法ダウンロードが狙いならその行為自体が罰則対象ですよ。"yamato 2199 ost download"の方が効率良いかも、あ、独り言です。
    ちなみに楽曲データの違法ダウンロードを刑罰化してもCD売り上げは回復していないそうで。レンタルで失われている売上の方が大きいのでは?レンタルを許してるからCD価格が下げられないんじゃないの?レンタルによる損失分も上乗せされた定価なんてのは客を馬鹿にしています。定価販売が保証される再販制度に胡坐をかいてちゃ文字通り座して死を迎えるだけかも、音楽業界の都合は理解に苦しみます。
    iTunnes Storeが先鞭をきって開けた風穴のひとつは、「欲しい1曲の為につまらない他の曲の分のお金まで客は払わなくても良い」ことかと思います。裏を返すと、売れる楽曲と同じCDに収録されれば、そのCDが売れる限りつまらない楽曲であってもその著作者には一定の印税が入ります。でも曲単位での購入が可能となると、売れる楽曲にパラサイトすることによる印税収入はもはや望めません。
    通信カラオケも含めて、今や音楽は曲単位で消費される時代になっているのかも。古いとか新しいとかではなくて、CDという媒体自体が「曲単位で消費される」ことに向いていないのは明らか。そうは言っても「所有」することを客が欲する楽曲は、音質も考慮すればCDなどの媒体で供給される意味も価値もあるでしょう。CD売り上げの回復には、「所有」に耐えうる楽曲の提供が必要なだけじゃないのかなぁ。

  • ios702 起動してるアプリを消せなくなった
    音楽ライブラリの肥大化で私はアプリ使わなくなりました。iPhone5Sでは"Blue screen of death"で勝手にリブートとかまで発生しているらしく、一週間で使うのをやめた"Windows ME"を思い出さざるをえません。「今時ブルースクリーン?」って辺りはまさに想定外級、「有り得ない」という言葉は今も昔もAppleのためにあるような言葉です。

  • 宇宙戦艦ヤマト2199 ギャラクティカ
    本ブログ狙い撃ち?某アニメ監督とその周辺狙い?どうでも良いけど"Blood and Chrome"を誉める人のセンスは理解できないっす…

  • ヤマト 出淵 バカ
    ノーコメント。ほんーっとに検索した人がいるのです、それも一人じゃな…

  • スマホユーザー 迷惑行為
    ほんーっと困るのよ。

  • ipod touch ios7.0.2 気に入らない
    iOS7.0.2はかなり良いと思います。音楽プレーヤーで使っている「赤」を目にする度にiPod touch自体を叩き折りたいぐらいの衝動を今も感じますが、大っきらいなだけで、気にいっていない訳ではありません。

2013/10/06

アクセス解析:検索ワードラウンドアップ

 久々に当ブログのアクセス解析結果を見てみてびっくり、アクセス数が5倍以上に増えている。理由は簡単で、みんなiOS7でエラい目にあっているようです。あなたは決して一人ではないですよ。

 という訳で、当ブログのアクセス解析から分かったみんなが使う検索キーワードまとめ(ラウンドアップ)です。件数よりもインパクト重視ですけどね。
  • iPod touch iOS7 不具合 アップデート
     アクセス数増大の最大要因はiOS7。
     個人的にはiOS7.0.2はかなり良いんではないかという気がしてきました。iOS7.0は無かったことするべきです、あはは。iOS7にアップデートするとカバーフロー表示がアルバムジャケットのタイル表示に置き換えられますが、これも割と使い易い気がしてきてます。ジェスチャでジャケットの拡大・縮小もできるしね。むしろiTunesのアルバム表示も同じようにできないか(アルバムタイトルとか表示しない)っていうぐらいの気分になってます。
     ただし、iOS7ではスワイプや拡大・縮小のジェスチャとか、各画面で要求される操作が整理されていなくて、「こうしたいんだけどどうすりゃいいの?」という状態に何度も陥っています。操作に関しては仕様が論理的ではありませんし、iOS6を基準にすると直感的でもありません。Apple製品ですからそのうち良くなります、iOS8が楽しみです。
     iOS6が基本的に横スワイプとタップだけで操作するように出来ていた訳ですが、iOS7はそうじゃないということを受け入れなければなりません。今回ばかりはMicrosoftチックでもあきらめましょう。「やりたいことははっきりしているのにどう操作すれば良いか分からない」という状態を生むというのは一種の不具合ではありますが、そもそもAppleってそんなしっかりした製品作った試しは無いでしょ?いつものことです。

  • iOS702 アイコン 色
     やっぱりちょっとケバい気はしますよね。個人的にはiPod touchは音楽プレーヤーとしてしか使ってませんから、起動後2~3秒を我慢すればケバケバしい赤い文字にイライラするだけで済みますよ。

  • ios7 アップデート 音質劣化
     iOSアップデートと同時期にそれまで使っていた既に型落ちヘッドフォンを壊してしまったので、iOS変更による音質変化は分かりません。あのビットレートのAAC音源では音質なんか気にしてもしようが無いかとも思いますが如何でしょうか。

  • iPod touch ios7.0.2  右にスライドで検索
     iOS7では縦スワイプで検索です。
    3つまであるどのホーム画面からでも検索にアクセスできるようになったという意味では、こちらの方法の方が合理的ではないでしょうか。iOS6のスワイプは一次元的、iOS7のスワイプは二次元的とも言えるかもしれませんね。

  • ios7でもカバーフローを使いたいios7 横にするとアルバム画面になってしまう
     カバーフローは過去のものです。ダサいです。使うべきではありません…とは言えないよなぁ。気持ちは分かります。
     iOS6でも画面を横にするとカバーフロー画面になりませんでしたっけ?

  • iPhone 脱獄 ios7.0.2
     脱獄???

  • iTunes 11.1 応答なし
     まるで潜水艦が出てくる戦争映画のタイトルみたいです。日常茶飯事なので私は全く気にしていません。
    そもそもAppleってそんなしっかりした製品作った試しは無いでしょ?いつものことです。

  • 2199*駄作、宇宙戦艦ヤマト2199 つまらない、2199 酷い
     まぁ、そうでしょう。

     2199のTV放送されたバージョンは過去のものです。ダサいです。観るべきではありません…とは言えないよなぁ。気持ちは分かります。そもそも×××ってそんなしっかりした作品作った試しは無いでしょ?いつものことです。

  • コスモタイガーⅡ 黒い部分
     確かに気になりますよね。ちなみにバンダイのEXモデルでの解釈は私は大嫌いです。
    おそらくあの部分のみだけいじっても、全体として整合性の取れる解釈は無理だろうと思いますが如何でしょうか。

  • イデオン 絶望
     どういう文脈で出てくる検索ワードなのかが全く推定できません。3日に1回はアクセスログに現れます。

  • 初音ミク V3 アクティベート
     アクティベートサーバーはまだ不調なのかな?

2013/10/01

最終回…で、完全新作劇場版ですか…

 「とんち」の意味をを調べると「その場に応じて即座に出る知恵、機知」ということらしい。

 「機知」はけっこうポジティブなニュアンスが強いから、あんまり自分のアイディアを「とんち」と呼ぶのは危険な気がする。本当にそのアイディアが「機知」と呼べるほどのものかどうか、判断は他人に任せた方が公平だ。

 最終回まで見終えて、ついに「とんち」を感じることがなかったことを明言しよう。

 単にご都合主義で、無用に感傷的で、時に演出が過剰に感覚的で、ネタを散々食い散らかしながら大事なところに限って回収しなかったのが「宇宙戦艦ヤマト2199」だ。物語や世界観との整合を欠いた「ちょっとしたアイディア」は「とんち」ではない。物語や世界観の論理性や合理性の欠如は回を重ねるにつれて耐えがたいレベルにまで達し、夢の機械「コスモリバースシステム」は作品の製作者のためにのみ存在することがあからさまとなり、「青い地球の回復」のカットにカタルシスはない。

 夢の機械は「可能性として有りうる世界」を現実とする一種の量子状態観測装置+αのようだ。2199における「波動」は、量子力学における「波動」と「まるで同義と解釈せざるを得ないように」取り扱われている。量子力学的並行宇宙仮説のひとつに基づけば、「地球が青いまま」の並行宇宙は存在確率がほぼ0%ながら存在する。存在確率が小さくともその状態を観測すれば、「地球が青いまま」の宇宙の存在確率は0%か100%の「どちらか」に収斂する。量子力学的並行宇宙仮説で保証されるのは実はここまでだ。

 一方、夢の機械は「必ず」望む並行宇宙の存在確率が100%の状態のみを選びとる(0%に収斂することを排除する)。つまり、夢の機械の機能は「量子力学的並行宇宙仮説で説明可能」かと見えつつ、実は最後の最後で「前提である(かも知れない)量子力学的並行宇宙仮説から当然得られる結果を否定」してしまっているのだ。「存在確率が100%の状態のみを選びとる」ことは、量子力学的並行宇宙仮説の枠組み内では不可能ということだ。

 考察や理解の浅さか、都合の良いところだけのつまみ喰いか、夢の機械はそんなものにしか見えない。「夢の機械は作品の製作者のためにのみ存在する」というのはそういう意味だ。

 そんな夢の機械の存在を前にしては、如何なる物語も成立し得るが故に如何なる物語も意味がない。それは「とんち」ではなく、世間一般では「ずる」と呼ぶ。比較的近いところでは、「エウレカセブンAO」の「クオーツガン」が夢の機械として「ずる」に加担していた。

 「あなたのやりたい事は分かるし、実際にやってるようだね」という言葉を贈ろう。問題は、「宇宙戦艦ヤマト」でそれらをやることの必然性が全くないことだ。私が改変部や新しいアイディアと物語や世界観との整合にこだわり続けた理由はそこにある。これではまるでファンフィルムであって、プロフェッショナルな仕事とは思えない。「木を見て森を見ない」とはこのことだが、OSTの異常なマスタリングなどに照らせば「木すら見ていない」とも思える。力量がなかった、常識がなかった、と堂々と言えるのならばそれはそれで清々しいが、どこまで自覚があるのだろうか。

 儲かる限り、そんな作品でも作られ続ける。だからそのような作品が生まれ続けることに視聴者側にも一定の責任がある。この辺りはちょっともどかしいところだ。

(2013/10/5加筆修正)

2013/07/28

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.6まで来ましたな

 流通量の大幅減は明らか、TV放送も始めてしまった今となっては映像ソフトパッケージなんて売れないだろうという判断はおそらく妥当。TV放映開始も当初の想定よりも早かったのではないかとも思う。送り手側が賞味期限切れと判断したとなればコンテンツが余りに哀れだ。もしそうなら、「送り手側にも賞味期限切れ、乃至はそもそも作品作りに取り組む能力が無かった、という認識も同時に持てよ」と声を大にして言いたい。

 当ブログのアクセスログに残る検索キーワードも、最近は「ヤマト2199 おもしろくない」「ヤマト2199 つまらない」「ヤマト2199 ひどい」となかなか容赦ない。

 さて、まずは訂正。ガミラス帝国にとって「バラン」は豪快に辺境だったことが判明。あはは、ゲシュタムジャンプでも本星まで30日とか。「ゲシュタムの門」ネットワークは弾力性が低いようですなぁ…あと「コスモなんとか」が有るようです、名前からは波動砲よりもヤバそうな代物に思えます。

 で、Vol.5までは結構真面目に観てたんだけど、本ヴォリュームの4話は心底キツくて、ツッこむ気も完全に失せてしまったのよ、実際んとこ。こんな展開だと最初から分かってたらトレースなんてしなかった、この期におよんで自分に腹が立ってしまう。

 ご都合主義を超えて、本4話はもはや「全く面白くないコメディ」だ。これは演出とか表層的なレベルの話じゃない、物語の論理的構造と作品の有様の問題だ。各話のタイトルの選択も元ネタの手垢の付き具合が半端じゃなくてうまくない感じ。また作画レベルが時折下がるのも悪い兆候、作品がもはや作り手に愛されていない可能性を感じさせてしまいます。

 本ヴォリュームは充分に事故、いや事件ですよ。

2013/07/02

「宇宙戦艦ヤマト2199」のラスト:いやーんな妄想

 職場の喫煙室でいつものバカ話の最中、ほとんど脈絡なく「宇宙戦艦ヤマト2199」のラストのイメージが頭をよぎる。かなりいやーんな展開、単なる妄想であれば良いですが。ちなみにこの手の妄想は「並行多列的な様々な可能性の重ね合わせ」として突如降って来るのだよ。
  • ユリーシャが憑依(?)している際の岬の発言から、「波動砲」は結構ヤバい代物らしい。「時空をぶっ壊す」んじゃねぇか。

  • ヤマトはイスカンダルに何を取りに言ってるんだっけ?コスモクリーナーDはおそらくない。「コスモクリーナーD」に相当するものもない、とか。

  • スターシャから波動砲の「想定外の使い方」を教わっちゃたりする。

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってヤマトは地球艦隊-ガミラス艦隊のファーストコンタクトの現場に時間もワープ。

  • 地球艦隊、ガミラス艦隊の両方からの攻撃を受けつつも、ヤマトクルーの説得の努力が実り、地球-ガミラス帝国の平和的なコンタクトが実現する。ヤマトが地球を救う。

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってデスラーがとっても良い人になっちゃたりして地球-ガミラス帝国間の戦闘自体が起きない。ヤマトが地球を救った…のか?何も解決してないじゃん!

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってヤマトは…とにかく、なんかとっても都合が良い並行宇宙にワープ。

  • 想定外の使い方とは、「波動砲」と「デスラー砲」の正面からの同時発射だ!

  • デスラー艦とヤマトの一騎打ち、うっかりデスラー艦の発砲でスターシャ死亡、デスラーがっくり。「デスラー砲もあと一射が限界だ…古代、スターシャの生きている世界を取り戻してくれ……デスラー砲、発射!」な展開。デスラー艦は爆沈、ヤマトは…以下略。
「あ、ラーゼフォンね?」と思ったあなた、はい正解。

2013/06/09

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.5でましたね。:補足の補足

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の出来についてネガティブな態度を取ると、ごくたまに「オリジナル原理主義者」なるレッテルをすぐ貼る人がいる。実に困ったものだ。

 私は少なくとも「オリジナル原理主義者」ではないし、そういう態度に出る人に限って「宇宙戦艦ヤマト2199」の良さや好きなところを「自分の言葉」では語ってくれない。引用を用いて権威主義的な態度に出てくる場合もある。「オリジナル原理主義」なんて曖昧な言葉を使うのは独裁政権のスローガンを鵜呑みにするようなもので、思考停止を正当化する誤魔化しにしか思えない。「オリジナル原理主義者」と「そうでない者」との二分法、相対化は分かり易さにおいては究極的なのだが、ほぼ例外なく間違いであるため、それを選択的に用いる場合は確信犯でない限り嘲笑の対象にしかならない。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の出来については、ちゃんと追っかけてる人でも結構もやもやしてるんじゃないかなぁ。私は最初っから最後まで見届ける覚悟だから、声無き途中脱落者の思いの一部なりとも言葉にして代弁できれば本望なのだ。

 敢えて私の立場を表明すれば「物語至上主義」。ヤマトのファンでもアニメ好きでもないから視点はかなり客観的なつもりだし、作品の好き嫌いで言えば「宇宙戦艦ヤマト2199」は好きなのである、個人的にはイマイチ面白くないとか光るところもトンと見かけないとか思いは複雑なのだが。「好き嫌い」、「良し悪し」、「好みとかツボ」はそれぞれ別次元の話であり、私の中ではこれらは完全に切り離されている。

 私の視点は、全ての設定や考証は「一貫性のある物語性の獲得」の観点から選択されるべきであり、逆に影響がないなら別の観点からの選択で良いということにすぎない。以前に「三式弾」への引っかかりについて触れたことがあったけど、これは上げ足取りのつもりは全く無く、作品タイトルにも冠されている西暦2199年との整合性があまりに取りにくいからだ。同様の観点から、「コスモゼロ」という呼称を単なるペットネーム(宇宙零戦)とするのか、まさに零年(2200年)採用の機体故とするのかは、作り手側の態度や立ち位置を考察する上での重要な手掛かりなのである。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は基本的に誉めまくるけど、他の映画やTVシリーズにはヤマトであろうが苦言を呈せざるを得ない。オリジナルTVシリーズは、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を成立させるためのプロローグに過ぎなかったのではとすら思うぐらいだ。

 私の意見は、「一貫性のある物語の構築」という「一種の知的作業の完成度」という尺度で較べた場合、「宇宙戦艦ヤマト2199」はオリジナルの「宇宙戦艦ヤマト」やヤマト以外の他の作品と較べても低い部類に入りませんか、ということだ。ちなみに、私は「駄作」という表現はよっぽどのことがない限り使わない。自分の中に「駄作」の明確な定義が無いからだ。まぁ「金返せ」「時間返せ」と言わずにいられない場合は、個人的な尺度では「駄作」ということになるのだろう。

 プロフェッショナル「の」仕事というのは基本的に結果の世界だ。私はプロフェッショナル「な」仕事と呼べる結果を極めて尊ぶことを基本としているだけで、「全てのプロフェッショナル『の』仕事」が「プロフェッショナル『な』仕事」とはなっていないのではないか、という極個人的な問題提起を出発点としている。

 じゃ、近いところで高評価のTVアニメとかあるの?と問われれば…「天元突破グレンラガン」かなぁ。最終話の最後にふらっと出てくるオッサンのセリフの重みとその重み自体をひらりとかわす距離感の取り方ってのは、第一話から積み重ねてきた物語があってこそ合点がいくし、説得力を持つことになるんじゃないかなぁ。あ、全然最近の作品じゃないですね。

2013/06/06

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.5でましたね。:補足

Q.ビーメラ4は辺境か?

 まず事実を確認しよう。

 第15話「帰還限界点」の開始時点で地球滅亡まで最長310日、終了時点で298日である。つまり、第15話のストーリーは最長12日間内の話となる。劇中でドメル上級大将はバランで作戦を部下に説明しているから、ガミラス艦のバランからビーメラ4周辺宙域への移動時間は12日以下ということになる。また、ヤマトは60日プラスアルファで地球からビーメラ4周辺宙域に到達していることにもなる。

 これらの数値に間違いはないよね?

 テロン、すなわち地球はガミラス帝国の版図の中では辺境とされる。つまり、ガミラス帝国から見て辺境と呼べる宙域までの航宙時間は、ゲシュタムジャンプを使えばバランから60日とかからないことになる。ヤマトの航宙は紆余曲折を伴ったものだから、トラブルなく移動できれば30日でもお釣りがくるのかも知れない。実際、島大介は「35日の遅れ」を劇中で口にしている。

 て~ことは、「バランから到達に30日かかる宙域は辺境」で間違いないだろう。では12日かかる宙域はどうか?航宙に要する時間の観点からは判断材料が無い、というのが実態だ。が、天の川銀河への版図拡大を図りながらビーメラ星系内の亜空間ゲートを使用していないということは、バラン~ビーメラ星系の移動にはさして苦労は無いと考えるのが合理的だ。

 つまり、ビーメラ4はガミラス帝国にとって辺境とは見なし難い。で、本題。面倒臭いので遠まわしはやめよう。

Q.「イズモ計画派」は馬鹿ばかりなのか?

 少なくともヤマトに乗り込んでいる連中は馬鹿ばかりとしか思えない。想像力に欠けるか、自分で考えることを止めて(誰かの言うままに動いて)いるかのどちらかに見える。

 ガミラス軍はバランに1万隻の戦闘艦艇を簡単に集結させられるのみならず、バランからビーメラ4への移動も苦にしない。となれば、地球からビーメラ4に地球人類が移住したとしても、発見されれば2週間と保たずに壊滅させられるのがオチだ。壊滅を免れるためには軍の再建が必須だが、移住開始までの猶予はせいぜい270日、最初の移民のビーメラ4到達からどのくらいガミラス帝国の目を逃れられるかは全く分からない。というより、逃れられる筈もない。軍の再建に使える時間など無いのだ。おそらく、大型ミサイルの20発もあれば地球人類はこの宇宙から消え去ってしまう。つまり、ビーメラ4への移住を考えるという一点だけで、「イズモ計画派」の理性や想像力の欠如を指摘するに十分なのである。

 まぁ、ヤマトクルーがガミラス帝国の勢力範囲を把握していないだろうことは間違いないのだが、そういう状況を視聴者に陽に伝えるような描写は劇中になく、逆にガミラス帝国の勢力範囲をクルーが気にする描写もない。ただし、新見情報長がガミラス帝国の勢力範囲を把握できていないことや、ヤマトの航宙がガミラス帝国の勢力圏により深く入っていくことと等価である可能性を考えていないことは、劇中の行動や言動から明らかだ。亜空間ゲートの情報が、ガミラス帝国の中心宙域、或いは支配宙域のコア宙域の推定に使える筈で、今後の真田副長の分析に期待しよう。

 ついでに地球はどうなってるの、という点にも思いを巡らしてみよう。

 ヤマトとの戦闘で太陽系内のガミラス軍の拠点は全て壊滅した。遊星爆弾が落下することは無くなり、人類滅亡まで1年の猶予を確実なものとしたことになる筈だ。で、次は?

 確かに地球人類は絶滅の危機に瀕しているのだが、それは地球に居る限りにおいてのみ正しい。火星のテラフォーミングがどの程度のレベルなのかは不明だが、劇中で火星の海ははっきりと描かれ、総監督がオーディオ・コメンタリーでもそれに触れたことは無視できない。少なくとも火星の一部では人類が生存できる可能性が大なのだ。

 もう言いたいことは分かるよね?

 「大局的視点からの物語への一貫性、論理性の付与」、その踏み絵のひとつは踏まれるどころか大きく踏み外され、新たな踏み絵も先に控えているのである。

2013/06/02

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.5でましたね。

 内容盛りだくさん+新たな伏線張りに終始する感じで、Vol.3や4みたいにダレたところがなく、全体としては好印象。総統暗殺事件はやっぱりやったか。

 森雪とユリーシャの関係性に関わる伏線は基本的に回収され、森雪の「こころ」については回収不要となった。とはいえ雪の記憶喪失はそのままだから、まだ一波乱あるかも知れないっちゃ知れない。全体としては妥当な落とし所と言えるが、「あの状況」を「憑依」なんて超常現象的なニュアンスの言葉で止めてしまうシナリオにはやはり疑問を呈せざるを得ない。要は自分の周りで同じようなことがあった時、「あ、憑依だったんですかぁ、そうかぁ!」なんて合点してくれる人なんていますかね、「憑依」状態の人の話を信用する人なんていますかね、という話。

 第14話の「魔女はささやく」を踏まえれば何らかの説明は可能であり、(新見情報長があの状態なので)真田副長なりがもっともらしいことを言っても良い気がする。つまり「憑依」という表現で止めているのはあくまで製作者達であり、これまでのエントリでも書いたことがあるように2199の世界観に寄りそう(登場人物達の視点に立つ)ならば説明にまで踏み込むのが正解だ。2199の「作品として」の座りの悪さ、一種の「出来そこない感」は、そういう小さな踏み込みの欠如の積み重ねに起因するところ大やに思う。他方、デスラーが自分の暗殺計画を何処から知ったかなんてのは余りに明白なのに関わらず、セリフできっちり説明してしまうバランスの悪さ、ちぐはぐ感には、世界観に対する大局的な視点の欠如を感じずにはいられない。デスラーならいかにも「何でもお見通しだよ、バカ共め」って態度で「バカ」にわざわざ説明なんてしないんじゃないかな。

 ちなみに「憑依時の岬にはアホ毛が無い」というのも有りかと思ったが、あの一房ははたして「アホ毛」に分類できるものなのか、もし「アホ毛」だとしても絵面からは分かんないよなぁ…。

 艦長室に置かれた「罪と罰」の本、中原中也氏の詩の引用などは、誰の趣味なのか知らないが、きっちり描かれたり語られたりと描写は極めて饒舌である。本来は作品にとって或いは世界観にとっての狭雑物に過ぎないものの描写の饒舌さは、先に述べた踏み込みの無さとは対照的で、さらにちぐはぐ感の原因となる。

 個人的には「罪と罰」の引用の理由は全く理解できず、中原中也氏の詩の引用も不快だ。まるで小学校か中学校の国語の試験問題の如く、おそらく先に進んでも薄っぺらい解釈しか出てこないのではとの危惧すら持つ。かつて自著「火垂るの墓」が入試問題に使われた際、野坂昭如氏は「正解とされる文章」の内容に対して異を唱えたことがある。まぁTV出演時などの印象から野坂氏の述べたことが本心であると考えること自体がナイーブに過ぎるとは分かっているが、「正解とされる文章」の内容の平板さ、薄っぺらさに比べれば何倍もの説得力があった。いかにも試験問題の正解っぽい「戦争がどうのこうの…」とう文章を全否定、「(当時は)とにかく何か腹いっぱい食いたいとしか考えていなかった。」といった趣旨の発言をされたのだよ、野坂氏は。この話を知ってしまうと、映画「火垂るの墓」の(以下自己検閲)

 「罪と罰」は好きな小説であり、思うところは多々ある。映画「ローレライ」での引用でもちょっと困ってしまったが、こちらでは特定の登場人部の心情乃至は信条の吐露としての機能が優先であり、観客が「罪と罰」を読んでおく必要は要求されない(「罪と罰」を引き合いに出す必然性があったかは、登場人物の背景描写として機能するかどうかだけの問題である)。2199での「罪と罰」の本の位置付けはどのようなところにあるのか?読んでいて、かつ好きだと明言している私の視点からは解が見いだせない。

 詩を引用して、その内容に何らかの作品上の意味付けを行うのは危険である。特定の詩に対する個人の好き嫌いは小説よりも顕著であり、私はと言えば中原中也氏の作品は15歳ぐらいまでで平板でつまらないものと化してしまった。詳細は省こう。

 念押ししておくけれども、中原氏の詩の引用を否と言いたい訳ではない。引用を介して古代守-真田-新見の過去を上手く劇作に取りこんでいると思う。が、本来作り込むべき描写をおろそかにしながら、引用そのものの描写が突出して饒舌なところがアンバランスだと言いたいのである。「記憶の森から」といった感傷的とも言えるサブタイトルも含めて捉えると、私の思うところのアンバランスさに製作者達は頓着していないように感じてしまう。「本気」の結果としてアンバランスなものを作っているならば、それは作り手側の自己満足の結果に過ぎず、作品自体や視聴者は基本的においてけぼりと言える。

 以前から何度か書いているように、演出や劇作の構造が論理よりも感性に偏り過ぎている印象は変わらない。「理詰めじゃヤマトなんて作れない。」と言う方もおられると思うが、この場合は「なら、作るな!」とはっきり言ってしまおう。それが出来る人達がやらないと、単なるおちゃらけ、ファンムービーに堕してしまうのだ。

 ここでまたまた念押しなのだが、私は「科学考証や設定」に対して論理性を与えよ、とは一言も言っていない。論理性が与えられるべきは「物語」であり、大局的見地からの一貫性を物語に付与せよ、と言っているのである。そもそも物語性を意思を持って明示的に放棄しているエヴァならいざ知らず(作られる度に語られる物語が変わる、或いは様々な物語が何度も繰り返されるという構造にする。明確なラストの提示を保留しているので一貫性のある物語を論理的に構築できないが、それ故に論理的帰結としてラストを回避し続ける繰り返し構造を選択せざるを得ない。)、ヤマトでは「一貫性を持つ物語」を語ることをやらなきゃ駄目だろうと。

 オリジナルを代表する脚本家である藤川桂介氏のシナリオ集などを読んでみよう。それが「格」かどうかはここでは言明しないが、明らかに質の違いがある。Battlestar Galacticaが主要シナリオライターの変更後に人気急降下、というのは海外の友人達の話からもほぼ間違いない事実なのだが、シナリオライターの変更がもたらしたのは明らかに「論理性の喪失に伴う物語性の消失」である。「論理性を排した」が故に破綻が見えないだけであって、状況は「論理性を維持することができなくなった」よりも酷い状態になった、別の言い方をすれば「低レベルな状態」になった、というだけに過ぎない。シナリオライター変更の理由は十中八九製作費カットで、ライターの質が下がったのだから当然といったところなのだろう。視聴者はそんな「質」に対して実に敏感なんですよ、実際。

 細かいところでは三段(四段?)空母にアングルドデッキ(米国ニミッツ級空母のように、船の進行方向から左斜め前向きに設けられているデッキ)が付いているの所には笑ってしまった。オリジナルのヤマトの世界観では艦船のデザインモチーフの多くは第二次世界大戦中の兵器から採られている。そのため、大戦時にはまだ生まれていないアングルドデッキはオリジナルには出てきようがない。

 ドメル艦とヤマトとの接触、ゼロ距離射撃の一連のシーンはちょっと良かった。広大な三次元空間でそれが起っちゃうって辺りはまさにヤマトと言える。他方、重力アンカーのあの使い方は波動砲を使うと分かった時点で読めてしまって(と言うか、アンカーを上手く使うなら今ですよ、と作り手気分で思ってしまった)ちょっと楽しみ損ねたところはありました、はい。

 あ、「イスカンダル」のメロディーモチーフを2199ではこういうところで使うのね。

2013/02/24

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.4でましたよ。

 うっかり過去に「『宇宙戦艦ヤマト2199』Vol.3でましたよ。」へのリンクをクリックしてしまった全国約120名の皆さま、今回が本ブログの初めての訪問となる皆さま、おはようございます/こんにちわ/こんばんわ。「宇宙戦艦ヤマト2199/第11話~第14話」のDVD/Blu-rayが発売、さっそく購入しましたよ。

 Vol.4とは関係ない話で申し訳ないですが、実はVol.3は一回見たきり。Vol.2がBGVにも使えたのでプレーヤーに入れっぱなしだったのとは雲泥の差です。要するに、2199オリジナルの語り口が肌に合わないのでしょう。Vol.3が面白かったのか面白くなかったのかと聞かれれば、「今は『ザ・ペンギンズ from マダガスカル』の方が見たいです!」って話をはぐらかしそうです。

 Vol.4はとっちらか感がVol.3よりも露わ。結果、細かいことが気になるばかりという有様。2199の総監督が出淵氏と知った時点で、①Me262かMe163あたりのWWIIドイツ機のモチーフを絶対持ち込む、②耳がとんがった女性キャラが絶対出てくる、という直観があったのだが、実は既にその通りになっていということにやっと気付く、というのが一例。いい加減①②を外してくれば、プロっぽい雰囲気も出てくるだろうにね、と正直思います。

 とっちらか感のひとつの原因は、Vol.1から思わせぶりなセリフがとにかく多い所にきて、更に思わせぶりなセリフを重ねていくところ。その話の中でだけならカッコ良かったり、雰囲気が良かったりしても、こんな使い方ではそれだけで終わってしまいます。確信犯的に視聴者をミスリードしても良いから、思わせぶりなセリフの謎をちゃんと順次回収していくのが送り手側としての良識ではないかと思いますけどね。

 オリジナルは「アニメでSFをやろう」感がありました。「アニメ」は手段に過ぎない感がありました。私にとってのオリジナルの凄さは、「アニメ」という手段を選んでやりたいことをやった結果として、出来た作品が既存の「アニメ≒テレビ漫画」感を打ち壊し、表現手法や手段としての「アニメ」の可能性を実際に示してしまったことにつきます。つまり、「ヤマト」=「アニメ」である必然性はないのです。加えて、個人的には2199のSF感の欠如具合が本当に残念。私は「SFファン」ではあっても「アニメファン」であったことは一度もないので、私が2199に魅力を感じるか否かにとってSF感の欠如は致命的なのです。

 また、ハンドルしなければならないキャラクターの数を増やしておきながら、エピソード構成はとても群像劇向きとは思えないのも奇妙。森雪、ユリーシャの扱いも思わせぶりなシーンを重ねただけで、視聴者のミスリードを狙っている雰囲気すらVol.4では失われてしまいました。

 宇宙戦艦ヤマトという素材を「アニメ」で表現することは、「アニメを作ることを職業とする人たち」だけでは手に余るということなのでしょうか。

追記:「トランキ…ライザ?」なんてありましたね。有ったらヤダな、2199。
  • 佐渡先生の「…こう、もっとリキのあるヤツで引っ叩かないと…(驚愕、絶句)」その他諸々。
  • ・デスラー総統暗殺・クーデター計画「ワルキューレ」……ではベタ過ぎるので「ローレライ」……では終戦っぽいので「セイレーン」とか「オーロラ」、「トール」、「トゥーレ」、「ヴリル」。クーデター仲間同士の合言葉が「境界線(デマケーション)」。
  • ガミラス帝国の秘密兵器「ディー・グロッケ(釣鐘)」、かと思わせておいて実はヤマト搭載の自動航行装置の名前が「ディー・グロッケ」…ちょっと形が違うか。何れにしても究極の量子状態観測装置であってはいけませぬ。

2012/12/17

「~的な」という表現について思うこと。

 私も日常会話では使うものの、「~的な」という表現が大嫌いである。日常会話で使う場合は相手の「感覚」に合わせるとき、「察しと思いやり」の精神が必要なときだけである。仕事では、後輩の教育の際に使った方が早いと判断した場合を除いて絶対使わない。「~的な」という表現を使わなくても相手に自分の論理を伝えられるようになれば、エンジニアとしての入口には到達したと見なして良いと考えている。逆に、使っているうちは良くて半人前、正直本質的に駄目である。

 「~的な」という表現には、時代による言葉の意味の変化を原因とする二義性と、思考停止を招きかねない困った効能という二つの問題がある。

 「A的な」という表現の指し示す論理的意味はどのようなものか。充分におっさんな我々の世代の人間の多くは、「AっぽいけどAとは違う」または「Aとは違う可能性が高いのにAのように見える」と理解する。「違う」という意味が重要なのである。言い換えると、「Aとは違うもの(の筈)なのにAのようだ(なぜ?)」である。他方、TVCMなどでの今時の用例における「A的な」は「Aっぽい」までしか意味しておらず、「違う」という意味は完全に抜け落ちている。文字通りに「A的な。」だけの形で口にされない限り、二義性の問題に留意して使うべきである。実際、「カオス的な」という表現はカオスではないもの、カオスと識別できていないものに対してしか使わない。

 人間の考えられることを適切かつ客観的に表現するには話し言葉、書き言葉は全くの無力であり、エンジニアリングではグラフ、図、数表、数式の力も借りねばならない。哲学などの世界でも、新しい言葉を定義や概念ととともに提示することが繰り返し行われてきた。これは、人間の思考活動や内容が、話し言葉や書き言葉で表現できる範囲に制約されていないことを意味する。しかし、人間は言葉にしてしまうと分かった気になりがちなのも事実である。

 この「分かった気」は思考停止以外の何物でもない。今日的な「~的な」という表現の恐ろしさは、「実際のところどうなのか、何なのか」という判断は保留しつつ、言葉にできるところにある。「~的な」という表現を口にすることで「分かった気」になってしまう、という事態は、二重に思考停止しているのである。おっさん世代の「~的な」は、少なくとも「実際のところどうなのか、何なのか」という問いに対する個々人の判断結果が暗黙のうちに含まれており、積極的にそのような表現が使われたこと自体にも論理的な意味がある。

 後者の思考停止は、前者の二義性と無関係には見えない。今日的な用例において「違う」という意味合いが抜け落ちているのは、単に思考停止している様が露わになっただけかも知れない。私の周囲で最近起きたバカバカしい事態はその可能性を強く示唆しており、この一文を書くきっかけのひとつともなった。

 ある後輩が実験をして、Aという結果を得た。後輩らのグループはBという結果を実は期待していたのだが、Aの振る舞いはCに極めて似ていた。実験直後の結果検討会に呼ばれた際に後輩から「C的ですよね?」と問われ、私も「C的だね。」と答えた。それから1ヶ月ほど経って、まだ実験結果が説明できないから知恵を貸してくれという。後輩の説明が始まってものの30秒で全ての状況が分かってしまった。上述の二義性を思い出して欲しい。

 後輩は「C的ですよね?」と言葉にすることでBの可能性をいったん捨てた。私は「C的だね。」と言うことで「Cに見えるけど十中ハ九Bだね。」と伝えたつもりだった。が、実際には後輩にCである可能性を完全に捨てさせてしまっていたのだ。「ということは、あんたにも非があるだろう」という意見は正しい。が、失敗やミスを他人のせいに「だけ」してはいけない。彼は例えばこう問えば良かっただけの話なのだ。

「データの振る舞いだけならCのように見えます。」

対する私の答は例えばこうである。

「***な条件ではBはCのように振る舞う場合があると***の論文に書いてあった。Cのように振る舞う条件範囲でしか実験していない可能性はないか?」

 「~的な」なんて表現を使うからおかしくなったのだ。上記の仮定の会話では、試験自体が失敗している可能性にも既に触れている。

 で、実際のAの正体はどうだったのか。特定の条件を満たした場合に現れるBの特殊なケースである。C的な振る舞いの原因は試験条件が適切に設定できない試験装置の設計ミスと設計手順上のミスの重畳である。装置改造後は極めて快調である。

 で、結局何が言いたいかというと…
  1. とある船に、とある存在が「女神」と形容し、ハードウェアとしての存在が検出可能な「何か」が搭載されている。
  2. 霊感の強い少女がそのとある船に乗っている。彼女は自縛霊などの幽霊を見た経験がある。
  3. 霊感の強い少女が「何か」の近くで女性の姿をした「別の何か」を目撃、失神する。
という状況が仮にあったとする。①と②から純粋に論理的に示唆される③に対する説明は、「『別の何か』は幽霊である可能性が高い。『何か』、『別の何か』、『女神』相互の関連性を示唆するものは何もない。敢えて言えば、少女が『別の何か』を目撃したのが『何か』の近くであったことに何らかの意味があるかもしれない。」である。ここで「何か」=「女神」≒「別の何か」を成立させる論理的凄技は、「幽霊」や「霊感」を論理的に定義するところから始めなければ繰り出せない。が、21世紀の我々は素敵な武器を手に入れた。「~的な」という表現への新たな意味付け、或いはこのような意味付けの土壌となる「論理破綻に気付けない思考停止」や「論理性の必要を誰も要求しない(何かの)レベル低下」である。

 百歩譲ろう。「幽霊的なもの」、それは何か?