2015/01/31

三谷幸喜氏の脚本は・・・

基本的に上手いし、目の付けどころとかは出色な物が多い。が、それがTVや映画向きかって言うと別の話、というのが従来までの結論だし、これからも良くも悪くも変わらないんじゃないかと思う。

 小ネタがその見つけ方から見せ方までは基本的に上手いのだが、小ネタを小ネタとして単独で提示することができない性分のように見える。所詮小ネタは小ネタに過ぎないので、うっかりオーラスへの伏線として取り込んでしまうと、オーラスが一気にこじんまりとしてしまう。

 三谷脚本作品にはこの種の「一見尻すぼみ」なものが多い、というか90%ぐらいがそう。残り10%は何かというと、視聴者、酷い場合は映像作品の監督すらおいてけぼりで、せっかくの面白い脚本が理解されないままで終る場合だ。後者は、近日公開予定の三谷脚本、或いは監督映画の宣伝TV特番でやってしまう事が多かったが、さすがにその辺りは本人ももう気づいていると思う。

 一般的な日本人は欧米のコメディ(或いはスケッチ)TV番組のフォーマットなんて知らないから、そのフォーマット有りきで書かれた脚本や映像作品は本質的に理解される道理が無い。十代前半でそこらへんが分かってしまった場合には「三谷すげー!!!(って分かる俺すげー!!!)」ってことになるのかもしれないが、歳をとってから分かる場合には「分かってない人間の評価が的外れ」となる事を予測してうんざりし、やっぱり的外れな評価が出てきて二度うんざりという目に合う事となる。本人が止めたのか、周りが止めているのかは分からないが、幸いにして最近はそれが無い。

 ところが監督作品となると小ネタを小ネタとして使うということをやってしまう。しかし、小ネタを小ネタとして使う事に慣れたいないためだろう、小ネタという事は観ていて分かるが「ほぼ」面白くない。じゃあ面白い場合は?と聞かれれば、映画的或いはTV的でない小ネタ、カメラアングルやカット割に頼らずとも成立する小ネタの場合はなかなか侮れない。小演劇場だと割れんばかりの大爆笑となる可能性が高い。

 そう、基本はやっぱり演劇の人なのだ。

 演劇場というのは特殊な空間だ。TVや映画では当たり前の「空間を切り取るフレーム」、カット割は存在しない。演者のみによる時間の制御は不可能であり、回想シーンに相当するような演出を成立させるためには実は観客の共犯関係が求められる。そして、観客は演劇が始まる前に劇場に入り、劇が終ってから劇場を後にするのが基本だ。これは、たまたま、途中から観始めた人も極力視聴者として取り込みたいTVプログラムとは本質的に異なる。またTVプログラムは「ながら観」も許容しないといけないので、伏線は伏線、小ネタは小ネタできっちり割り切った方が良い。結局、TVドラマシリーズでは「キャラクターの決め台詞などの特定のセリフの反復」ぐらいしか小ネタとしては使えない状況になって久しい。これは吉本新喜劇の芸人のお約束芸と同じようなものだ。

 三谷脚本にはフォーマット(見た目を含む形式、或いはコンセプト)へのこだわりを強く感じるが、使われるフォーマットは現行の日本のTVプログラムが獲得、マンネリ化させたものとは異なる。この点は実はとっても評価しているのだが、如何せん映像化の段階でそれがスポイルされることが多い。氏の脚本を嬉々として使う割には、NHKにその辺りが分かっている製作者が居る様にも思えない。一見「人形劇TVプログラム」との相性は良さそうにも思えるが、これまた如何せん、現在の人形劇TVプログラムのフォーマット(フレーム構成やカット割)はライブアクションのそれとほぼ同じになってしまっている。つまり、現行の人形劇のフォーマットは三谷脚本向きではない。

 だから三谷脚本は三谷氏が望むようなフォーマットで映像化すべきではない、と断言してしまおう。三谷氏が脚本の形で提示したフォーマットを「理解した」上で、マンネリ化した業界のフォーマットとも異なる別のフォーマットで映像化、提示すべきである。それをしない限り、面白い脚本は面白い脚本で終ってしまう。基本的に三谷脚本はフォーマット、或いはコンセプトが明確で、コンパクトに出来上がっていると思う。だから同じフォーマットの枠組み内であれこれ考えても、オリジナルの脚本よりも面白い脚本にできる人間はそうはいない(フォーマットと独立した小ネタは例外)。でなければ三谷氏には才能がないことになってしまうが、決してそんなことはないと思う。

 プランBは、三谷氏が既存のフォーマットを放棄し、自ら新しいフォーマットを提示することである。最適なフォーマットの選定と先鋭化に関する氏の才能にはほぼ疑問の余地はない。ただ裏返しとして、必要ないので新しいフォーマットは使わない、という姿勢をとっている様にも見える。「あ、アレね(あ、刑事コロンボね、とか、あ、サタデ―ナイトライブね、とか)」と誰からも言われない三谷脚本はまだ存在していないのではないかと疑う。

 プランCは、三谷氏が明確に既存フォーマットにこだわりつつ、脚本のコンパクトさを追求し、かつ脚本自体をきっちりと後世に残すことである。「隠し砦の三悪人」が「スターウォーズ」になるには、元ネタのコンパクトさ(無駄の無さ)とコンパクトさを追求した映像化、加えてそのコンパクトさを理解してより強靭な(弾力性に富む、本質的な)別フォーマット内に落とし込むことが出来た人間の存在が欠かせない。つまり、想定外の発生に備えておくべきかも、と言う事だ。

ロシア+恋のバカンス

 知ってる人は知っている、ザ・ピーナッツの楽曲「恋のバカンス」はロシアでは結構ポピュラー。ロシア版のタイトルは「海で、青い海で」ぐらいでしょうか。ま、ステージ演出は色々と微妙ですが…編曲はほぼオリジナルのままだったり、宮川泰氏の仕事偉大なり。ロシア語歌詞にもバリエーションがあるようです(空耳?)。

2015/01/30

"Porkchop 'n Flatscreen! "、面白いんだか面白くないんだか

 おそらくFlashを使ったアニメ、Emezie Okorafor氏の"Porkchop 'n Flatscreen! "が面白いんだか面白くないんだかさっぱり分からない。が、現時点で公開されている8エピソードを全部見てしまった、不覚。
Ninja Girl Mai is a girl that looks like a boy.
Ayane Shiun is chubby.
Bobby Sykes is an angel.
Mina Kim is a fujoshi.
And, Mouse is mouse.

忍者ガールの舞は男の子に見える女の子。
彩音・紫雲はぽっちゃり。
ボビー・サイクスは天使。
ミナ・キムは腐女子。
そして、マウスはマウス。
だそーです。舞は男の子っぷり、彩音はぽっちゃりっぷり、マウス(アフリカ系女性キャラ)は不思議チャンっぷりがそれぞれ容赦なく、「萌え」とかとは完全にベクトルの向きも長さも太さ(!)も違います。そういう観点からは日本人にはなかなか作れない方向性という気も。

 英語が分からなくても基本的にストーリー(?)は追えます。

 往年の米国TVコメディ番組「可愛い魔女ジニー」のオープニングアニメのダンスをまんまマウスがエンディングでパクってるところで個人的にはバカ受け。"Photoshop"のセリフは実生活でも使えるかも(嘘)。

 絵が上手いかと言うと決してそうは言えないんだけど、たいがい古い「可愛い魔女ジニー」とか「ごめん、ね:)」とか"Fujyoshi"とか"Yaoi"とか製作者は色々と詳しいご様子、小ネタ満載、ややゆっくり目のタイミング系、すかし系ギャグが基本です。

 エピソード1です。下ネタ系ギャグも含むので念の為。

空間線量率の日韓比較

 福島第一原子力発電所の事故を矮小化するつもりは毛頭ないけれど、被曝量に繋がる空間線量率は事故が起きた発電所付近を除くと常識的な値の範囲にある。ちなみに私は一応原子力工学に相当する学科で卒論を書いているので、放射線に関する最低限の教育は受けている。

 ネット上で「東京での被ばく量はソウルよりも高い」などといった記述を多々目にすることがある。しかし、私の古い記憶に基づけば決してそんなことは無い筈だ。所謂「自然放射線量」は地質の影響が大きく(要は足の下の岩盤が放射性物質を含んでいるかどうかということ)、一般的には日本列島よりも大陸の方が地質的には高くなり易い。とは言え件の事故もある、ということでちょいと放射線量のリアルタイムモニタリングでググッてみた。

 このページ、タイトルは「福島事故の影響」となっているが、住民の被ばく量という観点からは総じて韓国の方が日本より高い(同等~3倍)。茨城県では短時間、ピンポイントで空間線量が上昇することがあるが、大抵は雨中、雨後である。これは煙突などから大気に放出された気体状の短半減期放射性物質の一部が雨水と共に落下するためで、原子力研究施設の多い茨城県東海村などでたまに見られる傾向だ。気体状の放射性物質だから基本的に地表面には残ったり溜まったりはしない。従って、件の事故後に見られるようになった所謂「ホットスポット(高空間線量領域)」は形成されないので念の為。

 「東京での被ばく量はソウルよりも高い」、は少なくとも現時点ではダウト。

2015/01/28

中国アニメの「巴啦啦小魔仙」、変身シーン

 パクリだ何だと国内で話題になってるそうです。個人的には北京語(マンダリン)の響きが好きなのもあって、まぁ有りかなぁと。日本よりはキャラの両目の距離が微妙に広め?+眼鏡のせいか、一人目の変身前がけっこう中国人っぽく見えます。男性も含まれるって点は何気に日本と違います。

 もうどうせだったらプリキュアシリーズ映画の一環として日中合作映画でも作っちゃえば、とか。 「人民解放軍製作の妄想爆発トップガンもどき似非愛国映画」なんか作ってるよりもよっぽど生産的かと思うし、かなり遠回りだけど日本の安全保障にも寄与しそうです。

 何故安全保障かは長いので省略、っつーか中国人の知り合いが何人かいないと日本人には余り縁のない「個人主義に根ざす行動原理の機微とイデオロギーやドグマからの自由」は分からないと思います。要は個々人は完全に追い詰めず、相互に利益のある退路のみを明示的に残す事が重要という事です。ダブルスタンダードに見える中共人民の行動の裏には、程度の差は有れどもしたたかな計算があると見ておいた方が良いと思います。何せ言行の結果には、自らの生命と財産がかかってますから。「国を喰う」個人が現れ得るのが大陸、個人におけるダブルスタンダードの解消の行きつく先の一つの姿ではないでしょうか。

 あくまで経験に基づく主観ですけど、一方・・・の言行にはそのような計算は無い様にしか解せません。そこは本質的にレベルが違う、大陸人の言行の劣化コピー未満の何かに過ぎいないのでしょう。

2015/01/25

Megpoid English、YMOの「The Madmen」カバー

 「おらといっしょにぱらいそさいくだ!」 ぼりぼり

 楽曲の元ネタというかインスパイア元は諸星大二郎氏のマンガ「マッドメン」とか。ちなみに冒頭のセリフ(うろ覚え)は同氏の別の作品(「生命の木」)からで、私の世代の伝奇マンガ好きなら必ず知っていなきゃならなかったセリフですね、あとヒルコの鳴き声とか。

「自分の解放の為に日本政府に圧力を掛け、安倍総理に働きかけて欲しい」???

「自分の解放の為に日本政府に圧力を掛け、安倍総理に働きかけて欲しい」 - 某報道

ここにはすごい違和感。脊髄反射に近い、まるで「警戒しろ、と私のゴーストが囁いたのよ」かのような。これは何????「安倍総理」って辺りが引っかかるのか????警戒しろとな????

OK, ISIS. I have two questions:
When did you kill Yukawa-san?
When did Goto-san know the death of Yukawa-san? Today, Yesterday or just before/after Goto-san moved to ISIS's territory at that time?

 身代金からヨルダンが拘束しているテロリストとの交換とか、むしろ敷居が上がっちゃってるじゃないですか。湯川氏の実際の殺害時期、それを後藤氏が知っているかどうかとか、様々なシナリオを考えてみてますが、どれも後藤氏解放には無理筋なものばかり。意外に闇深い感じがぬぐえない。う~ん・・・

2015/01/24

ISIS日本人拉致問題とか。

 ISISによる日本人拉致、身代金要求事案に対する総体的な日本人の反応は、ある意味私の想定通りで良い意味で驚いたというのが正直なところだ。想定外は拉致被害者の「母親?が記者会見」だが、会見内容についての私の反応は×○%$#$で、おおむねネット上での日本人の一般的な反応と大差ない。

 Twitterなどを介したいわゆる「コラ」の登場はリスキーだとは思ったが、現時点では一線を越えたものは現れていないようで何よりだ。具体的には「嘲笑或いは攻撃の対象が明確にISIS及びISISメンバーに特定されている」という事で、「イスラム教、イスラム教徒、預言者ムハンマド、クルアーン(コーラン)などを嘲笑、侮蔑或いは攻撃の対象としていない」と言う点で「一線を越えていない」と言える。この一線を越えると色々と面倒くさくなることが大抵の日本人にも分かっているという事なのだろう。

 国際関係における日本及び現行の日本国内環境の特殊性の一つは、例えば「キリスト教vsイスラム教」と言った「正義vs正義」の争いに自動的に組み込まれる要素が欧米諸国と較べて極めて少ないことが挙げられる。例えばドイツ、NATOにおける対外活動を見ていれば分かる通り活動対象地域の住人の宗教に自国内の主要宗教が含まれるか否かで対応、特に積極性が全く違う。カソリック国が同じくカソリック国を積極的に空爆しようとするだろうか、他のカソリック国を「不当に攻撃している非カソリック国」ならばどうか、と言う話だ。

 この観点からは、「支援金の使い方」を含む日本政府のメッセージ発信を基本的に支持している。もちろん、メッセージ通りの行動を日本は続ける必要がある。基本的と言う意味は、「状況の変化」には対応しなければならないからだ。ISISが日本のメッセージを受け取っているようとの報道が正しければ、「日本の置かれた状況を変化させる要因」はISIS側からしか作れない。つまり、発したメッセージによって結果として自由度が小さくなってしまった日本の行動可能範囲は、拉致日本人の殺害によって再びフリーとなる。冷徹に損得勘定する限りにおいて、ピンチなのは実はISIS側であり、米国などの有志聯合なのである。日本人人質が生き続けている限り、日本の取れる軍事的オプションは確かに制限を受け、有志連合軍の戦闘艦船への給油活動もおいそれとは本格化できない。だが、その代わりにメッセージ通りに社会インフラ復興活動への比重を大きくすれば良いだけとも言える。結局のところ、石油などに関わる戦後の利権に関与しない限り、文句を言う国(特アは除く)は出る筈も無い。

 想定はしているけれども良い対処法をまだ見つけられていないシナリオは、有志連合軍の空爆で日本人人質が死亡し、それをISISが宣伝した場合だ。これは次の点に繋がる。

 個人の行動が招いた事案に対する責任の所在、という点も本事案は特殊と言える。報道されている通り、被害者の一人、ジャーナリストである後藤氏はISIS支配地域に入るにあたって、「自らの意志」とその行動の結果に対する「責任の所在」について明確にしている。「ハラキリ」「死んでお詫びを!」は米国などでは定番の日本人ギャグだが、それら日本以外の文化圏の人間からは奇異にも見える行動の背景にある、「責任の所在はどこか、それが自らに帰するう場合の責任の取り方をどうするか」という点に重きを置く価値観が現在の日本においても強く生きていることを再認識させられた格好だ。「自己責任」と言う紋切形の表現の本質は、その裏返しとして上記の価値観があることを知らない人間には決して理解できないだろう。それ故、「身代金を払わないとは日本人には慈悲はないのか?」というISISからの問いかけには最初から意味が無い。

 件の動画公開とそれに引き続いた幾つかの報道を受けた段階で、「立派に死んでくれ」を最低ライン、「即時解放」を最高ラインとの認識は政府も含め、多くの日本人の共通認識となっていたと言っても良いだろう。もちろん、「立派に死んでくれ」を字句通り意味で捉えるなんて愚は日本人ならやっちゃいけない。これは一種の共犯関係の確立宣言であり、責任の所在の移動や死ぬ人間の意志の引き継ぎをも含む表現なのだ。これと同様の観点から、私はいわゆる「A級戦犯の靖国神社への合祀」を全く問題視しない。「戦犯」そのものが遡及法による罪状であることはもちろんだが、彼らに「立派に死んでくれることを望む」と言えた人間こそが戦後の日本復興を支える中心となり得た、と信じるが所以である。「あなたの死を決して無駄にしません」という表現も、本来はそんなお気楽なものではないのだ。

 有志連合軍の空爆が実効を伴う以上、ISISはいずれ自壊する。イナゴの大群、或いは大規模移動焼畑農業団みたいな事しかしていない、持続可能性のない行動しかしていないからだ。知識人の虐殺など、ポル・ポトを思わせるところすらある。そして敵は多い。有志連合だけでなく、産油国(ロシアも含む)、多くのイスラム圏の国やイスラム指導者及び信者も 潜在的な敵である。ここにきて日本にフリーハンドを与えるなんてのは悪手であろう。

 図らずも、ISISの登場は「ポスト・イスラム原理主義過激化」に思いを馳せる時期を明らかに早めた。理由は「反ISIS」と「反イスラム」が等価ではないという、日本人から見れば至極当たり前の認識が世界で受け入れられ始めているからだ。ISISはイスラム原理主義過激派を完全にはみ出ようとしている。

 TV報道などで「これはイスラム教宗派間の対立に根差した代理戦争」とか薄っぺらいテンプレ解説が氾濫しているが、ISISに関してはどう見ても「やっぱり金目でしょ?」が実態のようにしか見えない。「金を流れを追った」とき、 国、王族、経済圏間の代理戦争という枠組みが現れるのはないかと思う。

2015/01/21

音楽関係、Youtube動画2つ。

 まだ観てないんですが、こういうのを公開してくれるのはとっても有難いもの。

2015/01/18

「かまってチャン」をかまってやる優しいマスコミ

 世の中もっと大事な、報道に値する事案がいっぱいある。

 低レベルな言行を低レベルな視点で長時間にわたって放送する報道番組の低レベルぶりは呆れるばかり。コピーキャットの類いの氾濫はかまってやるマスコミにも原因があるだろう。「自分の犯罪行為をインターネット上に公開する若者が何故増えのか?」って、それはまさに「おまゆう」以外の何ものでもない。キャスターやコメンテーターの話す内容は半ばブーメランだ。

 本来は顔写真と名前を出して罪状を羅列、報道なんて15秒で良い。警察は動機を聞いているだろうが、どうせたいした事は言ってない。

 「かまってチャン」なんかは放置が一番・・・おや、エントリのラベルに「アジアワッチ」が・・・

2015/01/16

VOCALOID™4 Editor for CUBASEはまだ買っちゃダメ、かも。

 うちのPC環境特有かも知れないけど、VOCALOID™4 Editor for CUBASEを使うとメモリーリークかオーバーフローか何かが原因でCubase自体が落ちたり、ダブルクリック操作に一切反応しなくなったりと散々。特にクロスシンセシスを使い始めると不具合発生は必至で、VOCALOID™4 Editor for CUBASEを含むトラックの削除すらエラーで出来なくなる有様。

 VOCALOID™4 Editor for CUBASEはまだ使用に耐える仕上がりとはお世辞にも言えない。再生中には編集できないなど、仕様そのものにも疑問が残る。Piapro Studioの完成度だって今一つだが、安定性、レスポンスの良さなどはVOCALOID™4 Editor for CUBASEを遥かに凌ぐのが実態だ。VOCALOID™4 Editor for CUBASEのツールとしての生産性の低さは、ある意味驚くぐらい非常識なレベルと言って良い。

 ちなみに環境は、Windows7 64bit、Cubase Pro 8。

「Macintosh 2015」、かっちぇー

 残念ながら非公式、ドイツのテクノロジーサイト『CURVED/labs』が制作した架空の製品だそうです。かつての熱狂的Mac使いとしては文句なしに「アリ」。SE30とかの本体には片手で簡単に持ち運び出来るようにキャリングハンドル状の凹みがあったけど、そういうところも上手く取りれてくれてたらなぁとは思います。

2015/01/15

石油輸出国機構の挙動についてちょっと考えてみる。

 日本でもガソリン価格の低下が進んでいる。世界的な原油価格の低下によるものだが、これは石油輸出国機構が原油の減産をせず、値上げもしないことが大きな原因であるのは明らかだ。また欧州、中共などの経済減速による原油消費量の抑制が、市場での原油のだぼつきの加速を後押ししている。

 石油輸出国機構の「自らの利益をわざわざ削るような振る舞い」の意図に関しては多くの推定が報道されているが、未だ「それだ!」とお思えるようなそのものズバリの理由には出会っていない。もちろん石油輸出機構機構参加国にはそれぞれ別の思惑があり、おそらく儲けられない状況を苦々しく思っている国もあろう。

 当初はISIS対策との声があった。ISISは支配下に置いた油田、石油精製施設からの原油及び精製製品をブラックマーケットに安価で供給することで多額の活動資金を得ているとされる。しかしISISはスケールメリットを生かした低価格化に限界があるため、低価格化のチキンレースには石油輸出国機構には勝てないとの見立てだ。つまり、石油輸出国機構はブラックマーケットとISISの資金源を同時に潰すことを狙っている可能性である。今後、ISISが身代金目的の誘拐などを大々的に始めたり、勢力が急激に縮小し始めたりすることがあれば、この見立てを支持するサインとも思われる。

 対象としているブラックマーケットは原油、石油製品関係だけではないかもしれない。ISISが入手した資金の一部は武器、弾薬の購入に使われるだろう。 自国内への制御されない武器、弾薬の流入はどんな国も望まない。武器、弾薬のブラックマーケットの規模縮小は、実のところマーケットへの武器供給国への無言の圧力となる。という訳で、今後の石油輸出国機構参加l国とブラックマーケットへの武器供給が疑われる国との間の大型投資案件の内容はきっちりワッチしておく必要がある。あと、ISISを快く思わない中東の国が自国周辺に他国軍を展開させるという事は、傭兵をほぼタダで雇っているのと同等である点にも注意が必要。陰謀論ではなくて、あくまで各国の安全保障方針も含めてビジネスライクに全体状況を理解できないかということだ。

 もちろん、ISIS対策を口実にライバル潰しにかかっている側面も見逃せない。原油価格の低下によって米国のシュールオイル・ガス田の大部分はもはや採算割れが避けられない。カナダのオイルサンドに至ってはもう採算可能ラインを大幅に下回っている。また、経済危機も噂され始めたロシアでは輸出品である天然ガスなどの価格が上げられなくなっており、まさに泣きっ面に蜂という状態にある。

 いずれにしても現在の原油価格の低下は人為的なものであり、市場原理の枠外での動きだ。 しかも、石油輸出国機構への参加国は少なくとも短期的には利益機会の喪失を受け入れている。でもこんな状態が長く続く筈も無い。石油輸出国機構の本当の意図が見えた時には、既に彼らの勝利が確定したという事なのかも知れない。

2015/01/14

韓国・平昌冬季オリンピックに関してもう一度確認しておくべきこと

 久しぶりにこの絵を見たのでエントリタイトルの通り、ちょいと確認しておこう。ファクトはファクト、どうしようもない。ちなみにこの絵はオリンピック招致活動時に使われたものと聞いている。
  • まず、朝鮮半島がデカい。考えられる理由は言わぬが華、実につまらない。おそらく笑い処。
  • なんと既に南北朝鮮共催となっている。ここで「半島統一国家という意味では?」という指摘はおそらく誰か達にとっては正しいが、誰か達以外には唯の妄想。十中八九笑い処。
  • 日本は平昌冬季オリンピックには全く関係ない。そもそも日本が無い訳だから何もできません。まぁ、頬笑みを浮かべつつ生温かく見守るぐらいしかできることはありません。
    地図から消すとか、ヘイトってのは本来こういう事。ついでに日本海は太平洋の一部になりますな、ふふふ。
 대한민국 화이팅!(大韓民国、ファイトぉー!(棒))
 
 それはそうと、今日の某報ステもコメンテーター、キャスターともに大滑り。「報道の自由」については「報道の責任」に言及して見事なブーメラン、おまゆうとはまさにこれ。ODAについては例えば中共のアフリカでの所業などにはほっかむりで適当発言を連発、もしかしたらASEAN諸国などを見下しているのかな?自分がお花畑の住人だからと言って他人もそうだと思うのがおそらく彼らの限界、想像力や大局的視点の完全な欠如ぶり、情報薄弱ぶりを如実に示す証左だと思う。一般的な日本人はもちろん、ASEAN諸国が果たして中共の手玉に取られているとでも思っているのかな?海外の報道も追っかけていれば(私も英語だけだが)決してそんな結論にはなり得ないんだけどね。

2015/01/13

中共経済と豚肉価格

 ウォールストリートジャーナル日本語版のレポート「中国の予想外の低インフレ、背景に豚肉」が余りにタイムリーでびっくり。レポートの内容は、中共の消費者物価上昇幅が消費量の多い豚肉の価格低下で押し下げられている、という点を指摘したものだ。

 タイムリーの意味は、今朝テレビで「中共で死んだ豚の肉を違法に流通させて儲けているグループがある」という報道を観たからだ。儲ける仕組みは下記の通りである。
  • 養豚業者は病気などによる豚の死亡に対して保険をかけている。件のグループは保険業者に賄賂を支払って病死、事故死した豚の情報を入手、死んだ豚を養豚業者から買い取る。おそらく、買い取り価格は二束三文であろう。
  • 件のグループは豚肉の流通を管理している食品衛生部門の人間に賄賂を支払い、死んだ豚の肉が「流通させても問題ない健康な豚の肉」であることを示す証明書を入手する。一種のロンダリングである。
  • 晴れて病死、事故死などにより本来流通させられない豚肉を堂々と販売できる。
2ヶ所に賄賂を支払いつつ利益を出す最も簡単な方法は、不正に販売する量をとにかく稼ぐこと、すなわち大規模化である。この見立てが正しければ、中共がらみは二重三重にヤバい。

 まず、中共内で流通している豚肉にかなりの量の「病死した豚の肉」が混じっていることになる。輸出していればもはや中共内の問題では済まない。次いで儲けが出るほどの「豚の病死」がある場合、口蹄疫などの家畜の疫病が実は蔓延している可能性が高い。ちなみに豚口蹄疫は最近韓国でも蔓延が確認され、かなりの規模の殺処分が行われている。そしてウォールストリートジャーナル日本語版のレポートで指摘されているように、おそらく安価で流通している不正な豚肉によって消費者物価などの中共の経済指標がゆがんでしまう。判断材料自体が間違いとなれば、対策も間違いとなることはまず避けられない。つまり、死んだ豚の不正な流通は世界経済とリンクし得ると言って良い。

 なんとも恐ろしいことだ、っつーか全く洒落になってない。

2015/01/11

フランスでのテロ事件、雑感

 報道内容を信じる限り、逃走中に車を止めてまで殺害した警官がイスラム教徒だったというのは皮肉かつ救いの無い話だ。本件に関わるテレビでの朝日新聞社の解説委員らのコメントが具体性の無いのはさておいても、自社の姿勢(捏造報道の数々)に見事なまでにブーメランとして帰っていく様は救いが無いを越えて(論理性が全く無いが故に)馬鹿にしか見えないのも実に皮肉な話だ。自由の行使とそれに伴う責任について現時点の朝日新聞社の人間に語る資格なんかありゃしない。自ら行使した「報道の自由」に対する責任を放棄したまま、なんら「具体的に購っていない」からである。

 「イスラム教徒=テロリスト」或いは「マスコミが嬉々として報道=捏造、恣意的解釈」といった一種の定型化された、硬直的な認識の打破にはまず左辺側の言行のちょっとした、ただし本質的な変化が必要であり、変化しないことは主体的な選択と見做され得る。例えば「何処までがイスラムの大義に基づく正義だったのか」がイスラム指導者から明確にされれば、一連のテロの見え方をかなり違うものとできるだろう。報道機関、ジャーナリスト、国家も同様である。

 素朴に、「『神は偉大なり』『ムハンマドの名誉を回復したぞ』と声を挙げながら、明らかに殺害される理由の無いイスラム教徒警官を射殺したイスラム教徒達」がイスラム法でどう扱われるのかが現在凄く気になっている。(知らないが故にざっくりとした表現しかできないが、いわゆる)イスラム法を調べ、理解することが今後暫くの自分の課題となりそうだ。ただ敷居は極めて高い。その基礎たるクルアーン(コーラン)は基本的に他言語への翻訳が禁じられているためである。つまり、一次文献たるクルアーンの内容を文字通り正確に、翻訳による歪みがない状態で把握するためには、まずアラビア語が読めなければならないのだ。次いで解釈にはイスラム文化圏の知識も必要になる。

 さて、テレビで某朝日新聞社コメンテーターが不用意に「文明の衝突」という表現を口にした。

 「文明の衝突」という表現、概念自体は昭和からある使い古されたものであり、大雑把に言ってまぁ使っても良いだろうとは思う。が、使い古されているということは、その処方箋に対する議論も広く為されてきているのである。つまり少なくとも言論人たる者がポスト「文明の衝突」の一端にでも触れられないならば、勉強不足、知識不足、思考停止などなどのそしりは免れられない。上述の「朝日新聞社の解説委員らのコメントが具体性の無い」とは、まさに文明の衝突に対する処方箋を含まない点を指している。そもそも「文明の衝突」の概念を理解しているのかどうかも疑わしいのである。経済を知らず、歴史を知らず、社会を知らず、文明も知らず、宗教も知らずで解説委員とか、ふざけるにも程があるのであると言えよう。確かに現時点で有効かつ具体的な「文明の衝突に対する処方箋」はない。だがそれ故に、「解説員たる者」は処方箋に相当するヴィジョンぐらいは語って欲しいものだ。とは言え、言葉を選ばない限り自らの首をも締めることは必至と言える。一種のパラドクスとなるが、上述したような硬直化した認識の打破は、従来の自己否定をも含むものとならざるを得ない。本当の勇気が問われる、卑怯者と他者から後ろ指を差されなくなる一線と言えよう。アポロ計画をはじめ、技術発展においては名も無き「荒野に名を呼ばわる者」(誰にも相手にされない反逆者)の存在は無視できない。

 以降は不謹慎なジョークとして理解頂きたい。対テロ部隊を全員女性とすることにしたらどうだろうか。「女性に殺された場合は天国に行けない」「自殺した場合には天国に行けない」という宗教的価値観を持つ集団の構成員がテロリストである場合へのカウンターとしての一つの解である。

 「殺されなさい、死して永遠に呪われなさい。」という強烈なメッセージだ。

 「文明の衝突」を衝突のまま放置して先鋭化させた場合、この種の殺伐とした世界が待っている。

2015/01/09

イントレランス 再び

 イントレランスとは不寛容の意味。フランスでの新聞社襲撃をはじめとする一連のテロ事件の報道を見るにつけ、この言葉を意識せざるを得ない。自らの信条に基づく「正義」を他者への攻撃理由とする姿は不寛容の極みである。ましてやその「正義」に照らしても攻撃対象とはならない警官や工場作業員を殺害するに及んでは、単なるテロに過ぎない。

 「一種のイスラムの正義」自体は理解する。とあるイスラム教指導者がコメントしたように、「イスラムの正義はイスラム法に基づいて為されなければならない(今回の襲撃はイスラム法に照らしてもテロでしかない)」という考えも一種の奇弁ではあるが理解する。だが、どのような正義もテロとは両立しないということは指摘せざるを得ない。

 不寛容は不寛容を生む。

 個人的には、「テロを正当化し、正義と見做す」イスラム指導者が必ずしも少なくない事が気に食わない。彼らの言行は極めて無責任に見える、他者の命を奪う行為を奨励しながら自らの命は危険にさらさないように振る舞っているやに見えるからである。私の価値観に従えばそれは卑怯な振る舞いである。しかし、私はそれを持って一部のイスラム教指導者やイスラム教徒に敵意を向けたり糾弾するといったことはしない。

 これは他者に対して寛容であるというより、自分を卑怯者にしたくないというのが本音だ。ただし、「これはまごうことなく卑怯、無責任、適当」と確信した場合はその限りではない、某報道機関とかね。ホント、テロ朝とは良く言ったもの、キャスターやコメンテーター(経済学者らしい)の適当具合はもはやテロ。リフレ経済学(こんな日本語初めて聞いた。せめてリフレ派経済学)とか適当にしゃべってるし(本当に分かってるのかな?ただのレッテル貼りにしか聞こえない)、ドイツの実態(かなりえげつない経済的な戦争行動、財政均衡はユーロ発行権を持つが故に可能な一種の搾取という側面がある。まぁ、良くも悪くも「中庸」を取らないのは如何にもって感じ)を都合良く無視してるよ。

2015/01/08

これマジっすか!BAEシステムズの赤外線光学迷彩

 英国・BAEシステムズが赤外線光学迷彩を開発しているという話は知っていましたが、たまたま見つけたムービーの内容が結構衝撃的。これはマジですか、CGじゃない?

2015/01/06

韓国、運開前発電用原子炉で死亡事故...時限爆弾化必至?

 つい最近、韓国の発電用原子炉である新古里3号で作業員3名の死亡事故が発生した。事故の経緯はまだはっきりしないところもあるのだが、酸欠が死因であるようだ。漏れてはいけない窒素ガスが大量に漏れたために低酸素雰囲気が形成され、たまたまそこに足を踏み入れた作業員が死亡したということらしい。

 酸欠、と聞くと「息苦しいと感じる段階がある」と考えている人も少なくないと思うが、 本当の酸欠というのは当人がそれと気づくことなく一瞬で昏倒してしてしまうものらしい。人間の五感では酸欠を事前に察知できないから、「2次災害も含んでの3人」という可能性もある。目の前で人が倒れれば、思わず駆け寄ってしまうのが人情というものだ。

 さて、事故を受けて新古里3号及び4号の運転開始に向けた作業は停止されている。亡くなられた3人の方々には申し訳ないのだが、本件は「韓国の抱える時限爆弾の一つ」の針を大きく進めた可能性がある。

 新古里3号は韓国の最新型原子炉APR1400だ。この原子炉は韓国が受注、建設を進めているアラブ首長国連邦の原子炉と同形式である。問題はAPR1400に運転実績が無い事だ。新古里3号が初号機なのだが、当初予定の2013年中の運転開始ができないまま、未だ運転開始準備中なのである。

 アラブ首長国連邦は運転実績の無い原子炉を建設することを選択した訳だが、当然ながら新型原子炉の世界初運転、うっかりすると実験、をする事なぞ望む筈もない。従って、受注した韓国企業及び韓国との契約にあたって至極真っ当な事項を含めた。ざっくりと書くと、アラブ首長国連邦のAPR1400の運転開始に先立って同形式の運転実績を作る事、それができない場合は実績ができるまで賠償金を払い続ける事、である。では何時までに新古里3号或いは他のAPR1400を運転開始まで持っていけば賠償金を払わずに済むかというと、なんと今年の秋らしい。裏取りはできていないのだが、賠償金は毎月建設費の1%との話も聞く。本当なら洒落にならない額だ。

 原子力発電所建設のような大型プロジェクトでは経済的リスクをヘッジするために保険をかけるものである。が、当初プロジェクトに参加予定だった東芝が余りの安値受注に驚いて手を引いこともあり、ロイズが保険を引き受けなかったと聞く。そのため賠償金発生となれば韓国が引き受けなければならない。実績作りを意図したと思われる赤字必至の安値受注自体も裏目に出ているようだ。業界内でアラブ首長国連邦事案の受注額が既に知れわたっている(韓国の契約履行状況に不満を持ったアラブ首長国連邦が意図的にリークしたとされる)ため、もはやそれより高い価格では世界中で応札もさせてもらえない状態に韓国は追い込まれている。

 先にも触れた通り、受注段階での新古里3号の運転開始は2013年だった。韓国は十分余裕があると思っていたに違いない。が、信号ケーブルや多くの部品の性能未達、検査成績書偽造などのため未だ運転開始に辿り着けていないというのが実態だ。これも裏取りできていないのだが、近隣住民の反対運動で送電用の鉄塔が未だ作られていないとの話も聞く。これが本当なら新古里3号自体が完成しても商用運転には入れない。すなわち運転実績は作れない。

 さて、この爆弾は爆発しちゃうんだろうか?

2015/01/05

2015年!

 目出度いかどうかはさておき、年が明けました。仕事が立て込んでしまい、いまいち年末年始感の無い日々を過ごしました。来年の今頃はゆっくりできれば良いなぁ、などと思っている今日この頃です。

 さて、2013年~2014年前半は個人的には色々と面白いことが多く、色々新たに学ぶことが多い時期でした。学んだ、と言う事が実感できる瞬間の一つは、対象の反応が読めるようになった時。しかし対象の反応が読めるようになると、これが何とも面白くなくなってしまうもの。2014年後半はまさにそういう状態にあって、全く意外性の無い反応(要は滑ってばかりいる)に対象への興味も失われてしまいます。本年は予想+アルファな、斜め上な事項も発生しそうですが、さて?

 どっこい生きてる。本年もちびちび書いていきますので今後ともよろしくお願いいたします。