2014/04/30

The Model/KraftwerkのMegpoidカバー 本来の姿

 歌詞を間違ってみるとか小ネタが先行しましたが、通常版(本命)はこっち。

 暫く放置の後、リビジョン1になるでしょう。今日は午後から出勤、連休は明後日から。

ローマ法王「韓国民、倫理的に生まれ変わることを望む」

 中央日報の記事です。宗教的ではありますが、倫理的以外にもステップアップすべき重要な事項を法王は口にされております。「霊長類」とは良く言ったもの、法王のお言葉でなければ「差別妄言」とかにされて大騒動ですよ。

 身も蓋もないとはこのことです。と言うことで宜し…ん?…「生まれ変われ」ってことは…

アジアワッチ特別編:「反日」の正体が一瞬見えたような…(その2)

 ここ半年程の中共の「反日」的言行は全く意図が読めない。おそらく主体が複数のため、一貫性がないのではないかというのが一応の見立てだ。

 思わず唸る狡猾なもの(最近はほとんどない)、韓国と同じぐらい筋の悪いもの、通常の韓国すらぶっちぎる幼稚過ぎるもの、これらの主体はおそらく違う。ちなみに海上自衛隊の艦艇が射撃管制レーダーの照射を受けたというのは、幼稚過ぎるレベルにあたる。相手が挑発に乗る筈もないし、手の内を教えている様なものだ。日米では、とっくの昔に射撃管制レーダーの性能分析なんか終っているだろう。

 さて、中共の「反日」の正体について考える前に、中華人民共和国の「正統性」について考えてみる必要がある。ここでの考察の対象は「正統性」そのものではない。中華人民共和国に「支那を統べる正統性が備わっているのか」という問いに対する答えを考えてみようということだ。

 「中国」という呼称は中華民国の求めによって使われるようになった呼称だそうである。ではそれまではどうだったかというと、そう、”China”、「支那」だ。故に、少なくとも清国までは「支那」で良い訳だし、定義が曖昧な「中国」という表現は意図的にしか使う理由はない。

 話を「正統性」に戻すと、清国から中華民国への移行には「正統性」がある。ウィキペディアの「中華民国」からその辺りの経緯を引用しよう。
1912年1月1日に、革命家の孫文を臨時大総統(臨時大統領)として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立した。
同年2月12日には、清朝の皇帝である愛新覚羅溥儀が退位することによって、その後袁世凱が大総統(大統領)に就任した。その後、袁世凱と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州に樹立したものの、1925年に死去した。
つまり、新政府樹立→清国皇帝の退位を為しているが故に、中華民国は清国の後継として「少なくとも」清国の支配地域を統べる資格を持つと言える。だが、上記の通り支那の正統政府の系譜は直後から捻じれ始めている。現在の中華民国(台湾)の祖たる中国国民党は、革命政府として樹立されたのだ。まぁ、ここはちょっと目をつむろう。大事なのは、「正統性」は中華民国にまずあったという点だ。

 中華人民共和国が「支那の正統な後継政府」であるためには、正論から言えば、「中華民国から支那の支配権を委譲されなければならない」、或いは「中華民国を打倒して支配権を奪取しなければならない」。が、どっこい「中華民国」はまだ存在する。「ひとつの中国」論は、「清国支配地域の大部分を実効支配している」という事実を以て、さらに「中華民国も中国である」という理屈を重ね、「中国たる中華人民共和国」に支那後継政府としての「正統性」をこじつけるための方便という側面を強く持つと言って良い。裏返せば、「中華民国を除く中国」には支那後継政権としての「正統性が無い」と認めているに等しい。

 この観点から、中共が「実効支配」という表現や事実に敏感なのは当たり前なのだ。「実効支配こそ全ての根源、正義」としておかないと、自分の「正統性」が根底からひっくり返るからである。

 さらに中共にとって頭が痛いのが、「満洲国」の存在とその倒れ方である。

 満洲国(火属性の「明」へのカウンターとしての水属性ということで、洲にも「さんずい」を付けよう)は清国皇帝を退位した愛新覚羅溥儀を皇帝に迎え、満洲人の故郷に建国された。実態はともかく、満洲人が自分達のオリジンである満洲に自分達の王を戴く国を建てる、これは筋が良い。加えて満洲は清国の一部ではなかった、という事実がある。清国建国後も満洲地域は一種の特別区として独立を維持し、他民族の流入を制限していたのだ。さて、同じ皇帝を戴くという一点を以て、満洲国は清国の後継とは言えないか。中共は明らかにこの点にも神経質と見る。「偽満洲国」なんて呼び方はそんな背景の存在を疑わせる。

 映画「ラストエンペラー」で描かれたように、愛新覚羅溥儀は中華人民共和国の一人民となる。が、「満洲国を倒したのはソヴィエト連邦だ」。

 つまり、中華人民共和国は「清国も中華民国も満洲国も倒していない」が故に、「支那の正統な後継政権」としての資格を持っていないのだ。所謂「中華思想」を都合良く緩用しつつ、本質的には「中華思想と相容れないイレギュラーな政権」なのである。

 本来は身内でしか意味の無い筈の「中華思想」に絡め取られたままマゾヒスティックな喜びの声を挙げつつもだえ続ける巨獣、それが中華人民共和国だ。倒錯し、国民党軍との戦いと内部粛清の過程で手に入れた暴力を未だに核とする、欲望ではち切れんばかり膨れ上がったぶよぶよの巨獣だ。そこには龍のような優雅さや神々しさは微塵も無い。もちろん、清国国旗に描かれていた龍を中共が自らに投影することなぞ、イデオロギー的にあり得ない訳だが。

 さて、そんなやっかいな状況下でも「正統性」を確保する手段が無い訳ではない。いや、より正確には「正統性」を不要とする手段が無い訳ではない。

 一つは「中華思想的価値観を捨てること」だが、上述のようにこれは今の中共にはできそうもない。もう一つは、暗に「支那支配における正当性の系譜はいったん途切れた」とすること、もちろん「途切れさせたのは日帝」という理屈だ。これを成立させるには、「日本がいったん支那を実効支配したこと」と「その実効支配の終結に寄与した抗日活動が存在」し、かつ「抗日活動の主体が中共であった」という神話の創造と流布が必要だ。これは普通は歴史の「ねつ造」と呼ばれる行為である。

 「抗日」を起点に歴史をねじ曲げたい、せめて北朝鮮ぐらいのレベルの「正統性の主張」が出来るようにしたい、というのが本音だろう。だが、日帝支配にしても満洲国建国にしても、相手は几帳面な日本人が関与した事項であるため多数の資料が残っている。一方的な主張は簡単には通らない。

 近年の中共の「反日」には、「抗日の延長線上」という筋の悪さが見え隠れする。それは筋の悪さ故に、少なくとも鄧小平氏までの主流派は全く使った形跡の無い手法だ。となれば、今日的な中共の「反日」は、韓国の「反日」よりも新しいことになる。むむ。

 続きマス。

STAP細胞騒動:遅すぎるけど出さないより百万倍マシなメール

 YOMIURI ONLINE記事、「『STAP信じている』だけでは駄目…学会強調」から。
 STAP(スタップ)細胞論文の問題をめぐり、日本分子生物学会の大隅典子理事長は、データの正確な記録や再現性の確認など、科学の世界で決められている手続きを守るよう呼びかけるメッセージを、同学会の全会員に電子メールで送った。
あまりに遅い、という気もするけれども、「まっとうな人ほど陥り易い罠」もある。「まっとうな人は他人もまっとうに振る舞うと思いがち」、一種のバカの壁とも言える。ついにこらえきれずに、というのが実態かもしれない。ただ、メール内容の対象がどこまでか、という点は重要だ。学界全体へ、ということにならば少し記事の捉え方も違ってくる。

 「プロトコル」とは「手順」だが、使われる文脈によっては「礼儀に適った」というニュアンスをも伴う。以前にも触れたように、某論文の執筆者は技術者、科学者としての礼や品性を著しく欠く。

 私は育ちが多少悪いので「仁義を切る」とよく表現する。論文査読にあたって「侮辱」なんて言葉を飛び出させないためにも「仁義を切る」必要がある。一例は、少なくとも戦後の主要関連論文には全て目を通し、一、二世代前の研究者の「常識」をも身につけておくことだ。1950年代の論文に書いてあることを「再発見」しても意味がない。ただの勉強不足と一蹴されるだけだ。

 周囲も、仮説だなんだとか言ってる暇があったら再現試験やって結果を発表したらどう?というのが建設的な姿勢ってもんじゃないかな。

2014/04/29

韓国マスコミの報道姿勢もN○○は笑えない

 Jキャストニュースの記事「救助活動で韓国海軍がテレビ用に「やらせ」 休憩中ダイバーにウェットスーツを着せて水かけ、臨場感つくる」を読んで思い出した。

 これは本人から直接聞いた話。

 もう10年以上前のとある事故が発生した際、その分野の専門家であった知り合いが呼び出されて自治体の事故対策本部に入った。担当したのは技術的な視点からの報道対応だった。正確を期すため技術資料を何冊ものファイルバインダーで持ち込み、きっちり分野毎に目の前に並べて置いたそうだ。

 と、突然見知らぬ人間がやってきて、ファイルバインダーの位置を変えるわ、ひっくり返すわされたという。本人が抗議したところ、相手が一言。

「臨場感が無いので。」

N○○のディレクターだったそうだ。

 放映されたニュース映像では確かにファイルバインダーがめっちゃくちゃに積んでありました。N○○のニュースなんてそんなもの、と思うようになりましたよ。ちなみに私は地方新聞で「言ってもいないこと」を書かれたことがあります。

 全然関係ないけど、この記事も凄いよね?変な思考回路だなぁ。

 <韓米首脳会談>米大統領の慰安婦発言は韓日和解「折衷案」

2014/04/28

The Model/KraftwerkのMegpoidカバー リビジョンアップ!

 やっぱりリビジョン1ぐらいが「ま、いっか感」が出てバランスが良いようで。テンポを下げて、音量バランスを調整しました。

2014/04/27

米国だけじゃない

 多くの企業が凄~く遠まわしに、間違っても差別と呼ばれないように、慎重に手を打ち始めてると聞くスパイ対策。片やどっかの組織は「お人よし全開」なので、打ち合わせで話す内容に実は非常に気を使ってる昨今。「他人を犯罪者にしない(出来心の原因を作ってはいけない)」のも日本人の昔からの心使い。とは言え、法整備は必要ですな。

 あ、報道機関も一緒だよ。


ラフマニノフ1929

 エフゲニ・ポジャノフが「題名のない音楽会」で弾き、フィギュア浅田真央選手(もはやアスリートと呼ぶのも憚られる、まさにファイター)がフリー演技で使ったラフマニノフのあの曲、タイトルなんかどうでも良いよね。古い話だが、アニメ「のだめカンタービレ 巴里編」のオープニング曲の元ネタでもある。

 クラシカルも聞くようになったけど、クラシカルファンとは未だ共通の言葉が使えないという典型的な入門状態の私としては、こんな紹介が限界だ。ひょんな弾みでYoutube上のラフマニノフ本人がピアノを弾いた1929年録音版を見つけたので、自分の為にも貼っておこう。

 作曲者自身が演奏や指揮を担当した録音は実は面白い。ラヴェルの「ボレロ」は楽譜上はかなりゆっくりとした演奏が指示されている。が、作曲者本人が指揮した録音は、どう計算しても楽譜上の指示より15%ぐらい速かったりするそうだ。ちなみにこれを教えてくれ、実際に聞かせてくれたのは「銀河英雄伝説」ファン。どうでも良いことでした。

2014/04/26

アジアワッチ、八度。

 多分、この記事を書いた記者は状況を理解している…気がする。そうでないともうどうしようもなく、あらゆる言語表現も不可な、レベルが低いどころじゃない××だ。

 中央日報の記事「<韓米首脳会談>オバマ大統領『慰安婦問題は甚だしい人権侵害』」から。
  オバマ大統領は青瓦台(チョンワデ、大統領府)で朴槿恵(パク・クネ)大統領と韓米首脳会談を終えた後の共同記者会見で、日本指導者の歴史認識に関する考えを尋ねる質問に対し、このように答えた。また「被害女性の声を聞かなければいけない。彼女たちは尊重される権利がある」とし「どんなことがあったのか正確かつ明確な説明がなければならない」と強調した。「安倍首相と日本人は(韓日両国間の)過去が正直かつ公正に認識されるべきだという点を知っていると考える」とも述べた。(下線はブログ主)
記事の記載を信じれば、オバマ大統領は「きっちりと公正に検証せよ!」と明確に言っている、そして「日本もそれを望んでいる」とも。形容詞を全て取り去って、文脈、論理のみとすればそうなる。

 米国は(一枚岩ではないにしても)日韓関係はほどほどの緊張関係であった方が良いと考えている、という見立てが日本では多いし、おそらく正しい。故に、米国は従軍慰安婦の「強制性」に関わる問題の解決、すなわち「歴史的事実の検証」に第三者として介在してくれそうにはない。またオバマ大統領の先の発言を言質と捉えることを、韓国はもとより、米国も嫌がるだろう。結局、何も変わらないのだ。

 ただ、現在に至っても「日韓が協調して米国覇権主義に挑む」なんて可能性を考えている人がいたら、それは歴史的、政治的リアリティを完全に欠く。「両者は根本的に価値観の相違を抱えるため、現在の延長上では相容れることはない」、それが現在の日本の主要な認識だろうと思う。

 米国において、知日派とされる人ほど大統領の訪韓を推した理由についても想像してみよう。某国のモンスター具合を気にしてのことではないか。

 大統領訪韓に先立ち、朴大統領は中国首脳と電話会談したという。訪韓を望んでおきながら米国大統領の面目を潰すったぁ、酷い話。そんなところにも「相容れない価値観の相違」がある。

STAP細胞騒動がどうしようもなくアカデミックじゃない

 マスコミも上げ足取りに汲々とし、本質的なところに全く触れない。バカバカしくて開いた口がふさがらない。

 STAP細胞作成が第三者によって再現、確認されない限り、その論文はねつ造か、不完全だ。それ以外の解はない。

 逆に、第三者によってSTAP細胞の存在が確認されれば、論文がねつ造だってかまわない。ねつ造ならば論文執筆者は間違いなく馬鹿にされ、信用は地に落ちるが、科学的功績の有無や所在は揺るがない。

 ヌケや間違いがあるならとっとと発表論文のエラッタ(訂正)を出せ。そんな当たり前のことを何故とっととやらないのか。記者会見の何万倍も優先度が高いじゃないか。あんな記者会見、私の周囲のできる人間に限って一顧だにしていない。私も「そんことが開かれたらしい」ことしか知らない。

 経験不足とかいうレベルの話じゃない。科学者倫理、技術者倫理の基礎の基礎を未だ放り出しっぱなしなんて、論文執筆者は科学者、技術者としてはそれだけで十分軽蔑の対象だ。

 ホント、論文執筆者本人からマスコミまで事の本質を放り出しっぱなしに過ぎる。低レベルにも程がある。

 寝る暇があったらエラッタ(訂正)を書いてよ。

 まぁ、分野によって差はあるのだろうが、「ネイチャー」は別段権威がある雑誌ではない。とある組織に属していた時に、その組織の人間の論文が「ネイチャー」に掲載された。当の本人はエラくはしゃいでいたそうだが、周囲の反応が凄かった。

 「アレで載るの?ふ~ん。」「そんなことよりあんな出来た女性と結婚できた事の方がうらやましい。」「アイツ、一生このことを反芻しつづけるんだろうなぁ…。」

世の中、そんなもんですよ。

2014/04/25

「キングが帰って来た」、そいつはGodzilla!

 エントリタイトルのカッコ書きの部分は、映画”Godzilla ゴジラ”(日本では7月公開予定)のPR用ポスターのキャッチコピー。海外でも敢えて「日本語」らしいです。

 ローランド・エメリッヒ監督版は今やゴジラ界(?)の大トラウマですが、今度は如何に?

 富士のすそ野は東宝特撮映画(と引用、パロディ)にとっては一種の聖地。宇宙港があったり、異星人の地下移動要塞が現れたりしましたが、今回はどうやら原子力発電所が建っている模様。ちなみに、日本にはでっかい冷却塔を持つ原子力発電所はありませぬ。まぁそのあたりはご愛嬌、でも原子力発電所を出したゴジラ映画は大抵駄作寄り…

 津波の描写がありますが、観てて結構辛い自分に気付きます。う~ん、あの恐怖感は(自分の経験は高さ0.5mぐらいだったけど)経験した人間以外にはなかなか分かってもらえないだろうなぁ…

2014/04/24

やっぱり好きだね、London Elektricity

 前にも書いた事があるけど、未だにドラムンベースが大好きだ。ハウスは途中から('93辺り)訳分かんなくなっちゃったし、トランスはとても音楽とは思えないし、ダブステップやらポスト・ダブステップとか言われてもピンとこない。

 現在の愛車を購入したころには、3周遅れぐらいでダブステップを聞いていたりしたが、結局ドライブ中に聞く曲はブラジル音楽とドラムンベース、特にLondon Elektricity、Logistics、Nu:toneといったHospital系に落ち着いてしまった。

 今回はLondon Elektricityの"Billion Dollar Gravy"のライブ版を紹介。オリジナルとはまた味わいが違っていいねぇ。曲名は"Billion Dollar Baby"のもじり、なのかな?ちなみにこの曲を含むライブ盤、iTunesでは「ジャズ」に分類されてんだよねぇ……
 ちなみにオリジナルはこんな感じ。

2014/04/23

アジアワッチ、七度。

窪田順生の時事日想:「セウォル号事故」で韓国が日本の支援を断ったのは「反日」だからではない”を読んで、ストンと落ちるものがあった。一部引用させてもらおう。
 実は、海保が事故直後に支援を申し出たのは、いい子ぶったからではない。韓国の海洋警察とは過去9回、海難事故の合同訓練を実施しており、2013年11月にも釜山港の近海で旅客船が火災を起こし乗客が海に転落したという想定で訓練を行っているのだ。
 そこから半年も経たず想定していたような海難事故が起きた。これで支援を申し出ないほうがどうかしているし、普通は相手も受け入れる。にもかかわらず韓国は「間に合ってます」と言ったのだ。こういう状況を考えれば、韓国が日本からの支援を断った理由は1つしかない。それは、「この領海内に入ってきて欲しくない」ということだ。
うむ、やはりそれはアリだ。ただちょっとだけ引っかかっていたのは、米国への対応だった。軍事的理由からなら、日本は仮想敵国だから仕方無いとしても、米軍まで排除するにはもっとらしい理由が必要だ。が、こんな事も書いてある。こればかりは完全に想定外。
 日本人からすれば、済州島といえば、(中略)実はここに中国の空母「遼寧」が入るのではないかという仰天情報が日韓の政府関係者の間で飛び交っているのだ。
うむぅ…まさか「カジノとして入る」というオチではあるまい。これが実現したその時、在韓米軍はまだいるのだろうか。歴史を紐解けば分かる通り、韓国内に敵対する二カ国の軍隊が駐留する状態は最高に筋が悪い。日清戦争の原因のひとつは、李氏朝鮮が清国軍と日本軍をともに国内に受け入れるという愚挙に出たところにあった。

 これが「アジアのバランサー(笑)」の正体か。相も変わらないただの「事大主義」じゃないか。どうしてこんなに滅びたがるのか。一部韓国国民も新聞記者もおかしい、全然合理的じやないし建設的でもない。 自らを救おうとしない者には誰も救いの手など差し延べない。これじゃ乳幼児未満だ。

2014/04/22

アジアワッチ、六度。

 かつて職場の喫煙所で同僚と
 「中共がでっかい北朝鮮になったらたいへんだねぇ。」
なんて笑ってましたが……

 何と!中共が「でっかい韓国」になってしまいましたよ!?

 中国裁判所、戦前契約巡り商船三井船差し押さえ

 ふはっ!中共どうしちゃったんでしょう。どうやれば指導層の代変わりだけでこんな酷い政治的劣化が可能なのでしょうか?

 確かに日本の首相は、ほん~っとに久しぶりに親中派ではない。久し振りの状況に完全について行けてないのでしょうか。中共の「反日」は、かつては中共政権内の反主流派が主流派を突き上げるためにしか使えないどうでも良いイシューだった筈。しかも朝○○○とかの全面協力の下で。

 ん?今回も実は反主流派の突き上げ?

 もしそうなら主流派が党内を制御できていない証拠。党内のハネっ返りの愚行でも同様。人民解放軍の特定の軍管区だと、まぁ、ほぼ最悪。

 片や主流派がやっているのなら、中共政権が完全にリアリティを失っている証拠。反主流派と人民解放軍の特定の軍管区が結びつくと、かなり最悪。

 両者とも関係ないならば、党が国内を制御できていない証拠。人民解放軍が誰につくかで、どうしようもなく最悪の状況もあり。党の崩壊は党員への死刑宣告ですからねぇ、状況をほっとくと殺されると分かっていたら、先に相手を殺すとか何だってしちゃうでしょうよ。

 どれにしても中共ヤバいねぇ。この機会を生かせないと駄目ですよ…もちろん「誰が」は秘密です。

 あと、中央日報のコラム「平壌はなぜ誤った選択を繰り返すのか」は何の驚きもない、悪い意味で期待を裏切らない所謂平壌運転状態。

 「京城はなぜマトモな選択が不可能なのか」についての私見は先のエントリでどうぞ。

追記:

 某ニュース番組の報道によると、中共の主張は「民事は別」。うむ、筋が悪すぎる。

 「戦争賠償の放棄」の範囲は「現在の中共の範囲における民事も含む」筈だ。何故なら、中華人民共和国が建国されたのは大東亜戦争終結後であり、国家として見た場合は中華人民共和国に「放棄できる賠償事項がない」からだ。日本が「中華人民共和国が放棄できる賠償事項がある」と見做したのは、「中華人民共和国が当時の中華人民共和国の領内における『正統な』後継政府である」と認めたからに他ならない。

 つまり、「民事は別」という中共の発言は、「我々は正統な後継政府ではない」と言っているに等しい。そういう辺りが見えていないところが、私が政治的劣化と呼ぶところなのである。この狡猾さのかけらも感じさせない馬鹿丸出し感は、韓国政府のそれに比することができよう。

 中華人民共和国が自らの「正統性」にこだわらなければいけないのは、それを喪失すると「今日的中華思想」に基づく他の主張が、ただでさえ単なる身勝手に過ぎないところにきて、説得力を全く失うからである。「民事は別」ならば「チベットもウイグルも満洲も別」「国連常任理事国の資格なし」でなければならないのが論理的帰結だ。この辺りに関する私見は、アジアワッチ特別編(その2)で触れる予定の内容そのものだよ。<

2014/04/21

アジアワッチ特別編:「反日」の正体が一瞬見えたような…(その1)

 昨夜ふとんに入ってからいつものにように頭をいったん空っぽにし、「無意識に考えている(んじゃないかと私が解釈している)」ことが頭の中を駆け巡るにまかせた。で、ポンっと出てきたのがエントリタイトルの件だ。脱線はするけど本エントリの内容は大まじめだ。

 別段新しい話ではない。けれど、自分も同じ結論に至ったのだな、という点は「主体性は如何なる場面でも重要」、「他人の受け売りは恥(出典を明らかにしての引用はむしろ勉強している証拠)」などの自分の価値観の照らせば重要だ。

 結論から言えば、「反日」には正体なんてない。韓国国内問題である「今日的な反日」と、正統な民族運動に基づく「反日」とは、成立理由や経緯、品位にあっては天と地との差ぐらい違う。「反日」の種は、大和朝廷による日本と言う国の成立直後にまで遡る、ということだ。

 じゃぁ、迷走を始めるよ。

 他者を正当に評価し、自らを精神的に成長させ続けつつ実利としてのアウトプットを出し続けるには、実のところ「自信」が不可欠だ。

 「自信」は自らの精神的成長によっても得るものだが、最初の種としての「自信」は低いレベルで良い。もっとかみ砕くと、「自分で自分を認める(=私も以外に捨てたもんじゃないかも?!)」ことができれば良い。逆説的だが、「自分で自分を認める」ことの繰り返し、認めた内容のレベルアップこそが精神的な成長ってやつだ。ここまでは「他者の視線や評価」は必須ではない、いやむしろあまり望ましくない。

 幼少期の挫折はトラウマとしては最悪なもののひとつで、自力での克服は容易ではない。私が30歳ぐらいまでかなりメタメタだったのは幼少期に耳にした母親の不用意な一言、「あんたなんか産まなきゃ良かった」に起因する。これの解消には、母親の別の一言、「今になってあんたを生んだことが良かったと思えるようになった」が必要だった。全般的にメタメタだったものの、自分のそれまでの生き方が基本的に間違っていなかったことの私にとっての証左だからだ。

 それはさておき、

 従って「自信の種」は、自意識過剰気味な多感なお年頃に至る前に持ってしまった方が良い。「ポケモンの名前全部言える」で十分で、両親や祖父母に褒められるだけぐらいがちょうど良い。ただし、並行して「次の自信のための種」も持っておかないといけない。他者の視線や評価の対象となり得る「より一般的なもの」に対して興味を持ち、のめり込んでみることだ。このとき、親などの近親者の果たす役割は大きい。

 私の場合の興味の対象は、星とSci-Fi、つまり天文学と小説だ。私の両親の偉いところは、「本気か?」と私に確認した上で天体望遠鏡購入に資金的援助をしてくれたり、所謂小遣いと書籍代を別会計にしたことだ。

 のめり込んだ結果、多感なお年頃になる辺りでその分野については他者からも一目置かれるようになる。これは「自信」として良い、なぜならばそれは「自らの行動によって手に入れたもの」だからだ。お勉強は優劣が容易に明確化されるので、個人的にはお勉強「のみ」に絶対の自信を持つのは挫折予備群化する危険性が高いのでお勧めしない。だからって、お勉強をしなくたって良いと言っている訳じゃぁない。お勉強は「さらに次なる自信の種」でもあるからだ。

 さて多感なお年頃末期に、就職するなり高等教育を受けるなりの選択に迫られる。

 技能職、突き詰めていけば「職人」の世界は「腕が命」、つまり一流、せめて二流になるにも「他者の評価に裏打ちされた自信」の獲得が必須だ。ここにきて、「自分で自分を認める」ことができるかどうかは「自信」獲得における必要条件でしかなくなる(「他者による評価」が十分条件を満たす上で必須となる)。サラリーマンになるにしても、セールス業なんて最初っから「ノルマ」とかあれば大変だが、「自らの流儀、強み」を見出せるかもしれないチャンスでもある。

 一方、大学等に進む場合、理想的には「やりたいこと、興味あること」が進学先選択で重要な役割を果たすことになるだろう(この辺りは個人的には紆余曲折があったから内容には触れないけど、ここ4~5年の趣味なんてのは言わば「50%程度不本意だった進学」の代償行為みたいなものだ)。幸いにも「心ある師」を得ることができれば、卒業できたことだけでも「十分な自信」になる。専門性が強くなればなるほど、「どうでも良い1万人」の評価よりも、「認められたいと願う一人」から評価の方が嬉しくなる。「認められたいと願う一人」から何らかの反応があっただけでも十分だ。

 かくて、「自信」は強化の段階に入る。大抵の「良い意味で自分に厳しい人」はおそらくこのフェーズに自覚的に居続けている人だろう。私は辞めちゃったけどさ。

 さて、大風呂敷を広げるよ。これまでの個人の「自信」に関する考察を国家に敷衍してみる。ここから先は異論があっても全く無問題、所謂IMO(In my opinion、私の思うところ…)だからね。

 「国家たらん」とすれば、自主、独立が必須となる。「現在」の日本は両者共に心もとないところもあるのだが、このエントリでの論展開ではいったんうっちゃておく。あくまで「現代」の日本の話だからだね。

 例えばASEAN諸国が比較的「親日」であることは良く知られた事実だが、この中韓との温度差の原因にはやはり「自信」の有無があると私は見る。連合軍だって大東亜戦争の敗者という言説がある。大東亜戦争は、結果として、連合国がアジアに持つ植民地を短期間で失うことになるトリガーを引いたことに間違いはないからだ。

 「絶対勝てないと信じていた支配者である白人種を、黄色人種である日本人があっという間に打倒した。」

 これこそが「自信の種」である。重要なのは「日本がアジアの欧米植民地を解放した」という点よりも、「私達黄色人種って実はたいしたもんじゃないのか?!という意識」の明確な萌芽、共通認識化である。

 で、現在のASEAN諸国の人々が別に「日本人になりたがった訳ではなかった」こともとても重要だ。彼らは彼らの民族的なアイデンティティを維持しつつ、支配国に対して独立運動の刃を向けた。結果として得られた独立は文字通り血も流して「自ら獲得したもの」であり、「黄色人種の自信」を「自らの民族や民族集団の自信」へと昇華、強化するに十分な理由となる。

 だからこそ、それら血であがなった「自信」に裏打ちされた「国家」は「正当性」を持ち、それら国家やその国民は現在の日本人から見れば十分にリスペクトの対象だ。それ故、それら国家に住む人々から日本が好意的に捉えられいることは喜んで良い事だと思う。同時に、これらの国々から「今の日本は…」と言われると本当に頭が痛い思いをすることになる。

 所謂「自虐史観」のまずさは「自虐的であることにあるのではなく」、「現在の日本と周辺国との関係を正しく認識するために必要な文脈を備えていない歴史観」である点と、それが「歴史」と等価に意図的に誤って使われる点に尽きる。現在が過去の延長であり、連続性を持っている以上、件の文脈を備えていない歴史観は「真っ当な『歴史』なら備えるべきものを備えていない」と断言して良い。「歴史観」と「歴史」は別物、両立し得る。ここを分けられないのであれば間抜けにも程があると言えよう。

 さて、「歴史」を紐解くに、朝鮮半島が「植民地化」された事実は無いようだ。少なくとも近代的な植民地にはされたことがない。「朝鮮」という言葉の起源については色々とあるが、韓国ではおそらく教えていない説の例を敢えて挙げると、
  • 真新しく何も無い様を表す言葉。つまり、見るべきものや欲しいものが何もないよ、ということ。
  • 「朝貢是少」(中国への貢物が少ない)を縮めた表記。つまり、見るべきものや欲しいものが何もないよ、ということ。
なんてのがある。要は、朝鮮半島には何もないから「近代的植民地化の旨味がない」と考えられていた可能性が高いということだ。ただし、現在の北朝鮮内には良質の金鉱、炭鉱があることが現在では分かっている。

 実際に日本がやったのは「合邦」であり、朝鮮半島においても大日本帝国憲法が適用されたのである。どう考えたって「近代的植民地」とは状況は程遠い。とは言え、心ある民族主義者もいた訳で、そちらの視点に立てば「日本が朝鮮半島を侵略した」という言説にもうなづけるものはあるが、それでも「日帝による朝鮮半島の植民地化」はきっぱり無い。朝鮮半島の住人の多くは「日本人になりたがった」のである。だって、「朝鮮半島の人々から見た場合」、当時の日本人は朝鮮人より「格上」だったからね。

 が、それも大東亜戦争が終結するまでだ。戦後は「朝鮮進駐軍」なんて戦勝国気取りの連中まで国内に現れるに至る。これに対しダグラス・マッカーサーは「第三国人なり(連合国側でも枢軸国側でもない)」と発言したが、そこは「お前らは日本人だったじゃないか!お前らは負けた側だ!」と言うのが本当だろうなんだけどね。

 戦後、朝鮮半島南部は米国の軍政、北部はソ連の傀儡政権統治下となる。この時点でおそらく最も「自信」を持っていたのは、南部では金九氏らのガチの抗日活動家や日本で教育を受けた軍人、北部では中国系、ソ連系などの抗日活動家なのだが、結局彼らは現在の韓国、北朝鮮の成立にほぼ関わっていない。金九氏は米軍軍政下で臨時政府主席を務めるが暗殺され、日本で教育を受けた軍人達は優秀故にクーデターを恐れた李承晩氏の下で冷遇されることになる。李承晩氏は金九氏とも協調した時代もあるが、どうも民族主義とは相容れない行動、言行が目立ち、民族活動家としては「なんちゃって感」がぬぐえない。北は北で抗日勢力同士が内部抗争を繰り返して自滅、結局ソ連が連れてきたたどたどしい朝鮮語をしゃべる若い男(伝説的な抗日パルチザン、金日正氏とされる男)が実権を握る。

 つまり、南北朝鮮の国家の成立は「自らが手にした独立」という「自信」も「正当性」も欠いているのだ。そいう意味では韓国のパパ朴大統領は数少ない「自信」ある大統領ということになるし、やはり「自信」ある軍人によってクーデターが起きるという李承晩氏の判断はたまたまとは言え妥当だったということにはなるのだろう。

 パパ朴大統領は「克日」を唱え、韓国に「自信」を与えようとしたし、北朝鮮は「主体思想」により「独立の正当性」の後付けを試みた。彼らは彼らなりに自国の弱みを理解し、克服を試みたと言って良いだろう。が、パパ朴大統領も暗殺され、「克日」は忘れられ、韓国は「自信」も「正当性」も欠いたまま現在に至る。もちろん、「正統性」なんかありゃしない。北は北で「正統性」をねつ造するだけでなく、政権の「世襲」まで行い、これまた国家としての「正当性」をうやむやにしたまま現在に至っている。ちなみに「正統性」は、中共が過敏に成らざるを得ない概念だ。

 以上、ざっくり纏めると朝鮮半島国家の正当性に関わる事項は以下のようになる。
  • 日本による合邦時、朝鮮半島の住人の多くが「日本人になりたがった」。
  • 南部の抗日活動経験者は韓国成立時には排斥されていた。つまり、血であがなった結果として独立への「自信」を持つに至った人間は韓国成立に主要な役割を果たしていない。
  • (パパ)朴大統領時代に韓国が本当の「自信」を手に入れるチャンスはあったが、朴大統領暗殺後にはそのような意識改革のチャンスを設けた指導者は現れていない。
  • 金日正氏(とされる人物)には「独立のための正当性ある指導者」としての根拠に欠けるとされる。その資格のある人間は内部抗争の過程や他国の干渉で北朝鮮成立時には排除されていた。
つまり、純粋に自他ともに認めるガチな「抗日家」「反日家」は南北朝鮮国家成立時には、軍人の一部を除いて居ないということになる。極論すれば、南北朝鮮国家の国民の大部分が、かつて「日本人となることを受け入れた人々」と「それらの子孫」なのである。故に「反日」とは、「かつて日本人だった自分達との戦い」の筈なのである。「内なる日本人と戦え!」、まるでイスラム教における本来の聖戦の如き一生をかけても終わらないかもしれない戦い(修養)なのである、本来は。

 が、何の「自信」も「覚悟」も無しでそんな「厳しすぎる戦い」、「修養」に挑める筈もない。結果、それがもうどうしようもなく捻じれてしまうことになる。「殺した相手の事は気にしなくても、殺した相手の主張は益があるからそのまま使いましょう」と蝙蝠的態度を繰り返すうち、「殺した相手の功績、覚悟、資格、自信も自分達のもの」と勘違いするに至る。或いは意図的にそう信じることにする。「光復」なんて言葉、喜んで日本人になった人が使う筈無いでしょうよ。

 つまり「反日」とは、「かつて日本人となることを受け入れた自分達へ向けるべき刃であったのだが」、「『資格が無い』にも関わらず自分達を『反日』の主体に置き換えた結果、刃を向ける先を失い」、「日本に刃を向けることにした」ということだ。

 「自分達は悪くない、自分達には非が無い」という、「歴史的にはほぼ誤っている願望とでも呼ぶべき嘘」を「集団的につくこと」から「国が始まっている」のである。

 嘘をつく必要がないガチな抗日活動家は当然邪魔となるので粛清、排除済みだから、国内に異を唱える人間はもはやいない。その時点で、「反日」を唱える人間はすべからく「親日」を根として持つ者だけなのだ。国内においては、皆が親日罪人故に難癖付けて他人を親日罪人として強烈に吊るしあげずにはおられない。

 「ガチな抗日活動家」、すなわち他の多くのアジアの国々では「建国の父」や「独立運動の英雄」となるべき資格を持つ人々は、「自分達は親日ではなかった」ことにした人々によって構成された国家の「欺瞞と嘘を白日の下に晒す」だけの力、資格を有するが故に「国家の敵」となるのである。李氏朝鮮もそうだったが、「真に愛国者たる者」は国や国民に裏切られ、殺され、忘れさられるのである。

 これらの苛烈な反応は、「抗日が民族的運動ではなかった」という歴史的事実認識を、少なくとも当時の人々は共通認識として持っていたことに起因しよう。

 「なんちゃって反日活動家(なんちゃって抗日活動家、似非民族主義者、権力亡者)」が「なんちゃって」故におびえて「真の反日家(抗日活動経験者達)」を粛清し、「根拠ある『自信』を持つ日本で正式な訓練を受けた軍人達」を「親日罪人」を理由に冷遇し、なんちゃって反日活動家」から世代交代の後は親日罪人やその子孫」が親日罪人」を吊るしあげる。

 本来「論理的には国民総懺悔(総修養)」の筈が、何故かこうなっている(日本語文法にも「過去開始・現在進行形」が欲しいね)。これはとっても恐ろしい構造だ。

 「和解ではなく、他者を全て潜在的な敵とする」、それが韓国の選んだ道だ。「自分達は悪くなかった」という嘘を守るにはそうするしかなかったのだ。まぁ極論だけど、そんな国家的アイデンティティを継承する国に「過去の歴史を直視せよ」なんて言われても全く説得力が無い。

 日本も自虐的に「一億総懺悔」なんて言ってたけど、これはこれで国家としての禊、結構深い知恵に基づく反応と言えなくもない。「水に流す」には「かつての自分達には非があった」ことを嘘すれすれであっても認める必要がある。和解のために「非があった」ことを認める余地を与える文化的仕組み、それが「水に流す」だろう。

 故に、「あの国はどんだけコンプレックス(劣等感)が強いんだw」という言説は、上記の点を理解している人間に対してだけ正しい。大抵の場合は悪い意味でコンプレックスすら持っていないと言って良い。「コンプレックスを持つ資格すら無い」がより正確だ。だから韓国は「嘘なんかついていない」。韓国は「本当の事を言える能力を持たない」ことを暗黙の国是として成立し、それを維持することで「国家の体」を維持し続けているだけなのである。

 本来、「反日」の対義語が「親日」であってはいけない、「愛国」でなければならない。「親日」があるということは「愛国」不在の証左なのである。

 それは仕方がない、といえばその通りなのだ。だって彼らはかつて「日本人」であった時代があり、その時の「愛国」行為は、現在の尺度での「親日」行為に他ならない。だからと言って、それは「親日」の一応の説明にはなるけど、今日的な「反日」には何らの意味付けも存在理由も与えない。ここで存在が許されるのは「反親日」でなければならない。論理的ではないのである。

 既に別エントリで触れた通り「恨という他者から見れば理不尽な自虐史”観”」に飲み込まれるまかせ、甘え切ることで、それまでの自らの振る舞いの総括(左翼用語?)もしないまま、現在に至っているということだ。大東亜戦争の終結は、かろうじて中華思想のくびきから逃れた状態で自分達の有様を総括し得る千歳一隅の機会だった筈だ。だが、米国を新たな宗主国に奉ることに汲々とし、韓国はその機会を無為のままに失う。一方、北朝鮮では「伝説の抗日パルチザン、金日正とされる若い男」が狡猾にもその機会を逃さなかった。

 今日的は韓国の「反日」は、「抗日」、「民族主義(活動)」の正統な後継概念ではない。故に、その起源に歴史的な正統性を求めることはできない。今日的な「反日」と「光復節」や「三・一運動」を結び付けることの一種の奇異さ、ちぐはぐさは、割と普通の日本人でもなんとなく感じてるんじゃないだろうか。今日的な「反日」、それは「光復」よりも後に生まれたものだ、の状況を「光復」に命をかけた人々はどう見るだろうか。情けなくて、死んでも死にきれないんじゃないだろうか。

 対して、北朝鮮の「反日」には、その真偽の程は別として、日韓併合以降の「抗日」や「民族主義(活動)」の正統な後継概念としての資格がちゃんと与えられている。だから、「反日」といっても現在の韓国のそれとは全く異なる。少なくとも「反日」に関しては、北朝鮮の方が筋が良く見えることがある、或いは「北朝鮮の方がマトモに見えてきた」などと表現される事態の発生にはちゃんとした理由があるのだ。北朝鮮が韓国を「馬鹿にする資格」がそこにはちゃんとある。

  韓国の「反日」に正体がないという理由は、「日本が存在しなければ、自国すら存在しないことになる」という帰結を当然のように招くことになる、極めてねじくれたひたすら非現実的なロジックの上に成り立つ、かつ大東亜戦争終結後に生まれた概念だからだ。そこには「独立」も「自尊」もない。だから「他者を認める、愛する」こともない。米国は「反日」ではないから、残念、宗主国失格なのだ。

 おそらく「克日」とは、「日本に依存することを克服する」ではなかったのではなかろうか。自らの有様を「日本」との比較や相対的な位置付けで捉えるという甘え体質の克服、つまり「独立」と「自尊」の獲得、ただ無用に自意識過剰で多感な少年、少女から大人への成長だ。だから「火病」の原因は子供の反抗期の原因といっしょ、とってもとっても面倒で迷惑だけどさ。

 では中共の「反日」はどうか?こちらは逆に「大人の事情」の様相が強いんじゃないか、というのが私の見立てだ。

 続く!

2014/04/19

The Model/KraftwerkのMegpoidカバー

 まずはリビジョン0です。

 "Back to 88 Mix"がどういう意味かと言うと、私が1988年ごろに戻ってみたということ。要は、1988年ごろに自分が多重録音でThe Modelをカバーした時に組んだMIDIシーケンスの再現を試みたということだ。ベースラインとか、オリジナルに比較的準拠した先の「モデル」とは微妙に違うことが分かるかな。

 ちなみに1つ、明らかに打ち込み間違いっぽい8分音符がある。他人にとってはどうでも良いことだが、これは昔のシーケンスの打ち込みミスの再現なのだ。不協和音ではないので有っても問題ないと思い、当時結局残した音だ。

 先の「モデル」に較べれば音はスカスカ、多分音数は半分以下だ。その代わり、音色の組み合わせは個人的には唯一無二のものだ。音量バランスやエフェクトの深さにはいじり代があるけど、単独の音色のみの変更はこの名を持つミックスに限っては考えられないね。

アジアワッチ、五度。

 中央日報の記事。「韓国金融界に『統一』ブーム…担当部所・金融商品も」を前にして、ふと考え込んでしまった。

 この記事の内容にどういう反応をすべきか、である。
  • 笑う?
  • 馬鹿にする?
  • あきれる?
  • 読まなかったことにする?
結論は「無視する」。願望ばっかりで現状認識がなってない人は本当に大嫌いだからねぇ。特に研究開発分野には全く不要、不向きなので、心ある他人に迷惑をかけないようにしつつ勝手に死滅して下され。

2014/04/18

アジアワッチ、四度。

 韓国の旅客船転覆、沈没事故は痛ましい。横転事故発生以降の展開の酷さが痛ましさをいや増す。報道を追うと、米国や日本は救助活動への協力の用意があることを韓国に伝えたが、少なくとも日本には協力を辞退してきたという。また、正式に協力要請を受けた国はまだないそうだ。

 「人命は地球より重い」なんて言わない。もちろん、とある人の言を額面通りに受け取って「人命はイルカの命よりも軽い」とも言わない。要は口先なんて当てにしてもしょうがなく、その人にとっての「命の重さ」はその人の「行動」でしか分からないということだ。

 で、某ニュース番組のキャスターが「人命優先で、色んな最新技術も投入して…」という発言をした。これは正論だが一般論過ぎて他人事感、考えていない感(つまりテンプレ感)が半端ない。「他国からの救助協力の申し出を断るなんて、あの国は本当に人命を気にかけているんでしょうかね?」とか、「あの国の事故対応は信じられません!」ぐらいのことも言えないのかと驚かされる。

 プロのキャスターならば、「〆に何を発言するかの選択」は立派な「プロとしての行動」だ。「良い意味であきらめの悪い、最後の最後まで頑張りがち」な多くの日本人の感性に照らすと、某キャスターの件の発言内容には異質な感性を感じざるを得ない。なんだかなぁ…

2014/04/17

愛車危機一髪!

 帰宅ドライブ中、緩い右カーブの入口で対向車線を同じくカーブに入ろうとしている車を見た瞬間に「虫の知らせ」があり、思わずブレーキを踏んだ。

 あにはからんや、件の対向車が一瞬蛇行、こっちの車線内に車体を半分ほど突っ込んできた。ブレーキを踏んでなければ、間違いなく横腹に突っ込まれていたところだった。それでも、ドアミラーの高さが同等なら間違いなく当たっていた近距離を通り過ぎていった。光景をモノクロ、スローモションで見たから間違いない。掛け値なしに危機一髪だった。

 ブレーキの判断の理由が分からないので、全くもって「虫の知らせ」としか表現のしようがない。

 ちなみに「虫の知らせ」の内容は

 「ぶつかるよ!」

ではなく、

 「相手ドライバーは大馬鹿だ。関わるな!」

でした。本当だよ。

2014/04/15

アジアワッチ、三度。

 中央日報の記事、「『日本人観光客が来なくて…完全に終わったようだ』…韓国南大門商人の声」は、「やはりという結果」ながら内容は痛々しい。が、まずはいったん完全に終わらせることを個人的には支持しよう。今回ばかりは「お人よしと言われようが平気な日本人」であってもぐっとこらえよう、「情けは人のためならず」も今回ばかりはちょっとうっちゃておこう。もちろん、現状の韓国限定だ。

 私もこらえるからさ。


 韓国前大統領の「土下座発言」など、やはり一般的な日本人にとっても一線を越えたということなのだろう。実際、私の母親はほとんど激怒していたと言って良い。朝○○○(朝鮮日報ではありません)も止めているかもしれない。


 原因は言わずもがな。この原因についても「日本が~!」なんて言い出したら民間レベルの日韓交流も間違いなくいったん終わりだ。「用日」という言葉もかなりの人が知っている。


 朝鮮日報記者だって、本当の原因がどこにあるかは分かっている筈だ。


 日本では、このようなブログを書いたぐらいでは逮捕されたり刑事罰を科されたりすることはない。翻って韓国はどうか。


 この記事は意図的な「声なき声の代弁」のつもりなのだろうか………こんなんじゃヌル過ぎてほとんど実効的な意味はないだろう。問題のレベルはそんなもんじゃないでしょ?


 え?日本向け?……へぇ、大変なんですねぇ。

2014/04/14

Merzbow、懐かし~

 今朝の「題名のない音楽会」はノイズ?特集だった。ゲストにはとんと興味がなくて、気にしていたのは、いつ「Merzbow」が紹介されるかだった。あくまで主観だが、ノイズ(ミュージック?)の流れを語る上で、彼抜きはあり得ない。結局、紹介は一番最後、しかもアルバムは「抜刀隊」である。個人的には完璧な展開だったと言えよう。

 ただし観ていて違和感が常に付きまとった。ゲストは曲?をCDで紹介していたのだが、嗚呼、私のノイズ歴は実質的にレコードの終焉と期を一にしていたのである。私にとってのノイズは、レコードで入手するものだったのだ。まさに「隔世の感あり」と言えよう。

 現在でもDAWをいじりながら、ドラムやベースに過剰にモジュレーションなどをかける方向性は、ノイズ好き、金属系音好き故の結果だろう。「三つ子の魂、百まで」みたいなものだ。

 で、iTunesでMerzbowを検索してみたら、懐かしいものも含めて結構出てきた。が、

 「抜刀隊」がない!なぬぅぅっ!!

 この辺りのセンスはやはり80年代中期のものかも。林海象監督の映画「夢見るように眠りたい」とかとも一脈通ずるものを感じるよ。

2014/04/13

「大研究!中国共産党」読了

 沈才淋氏の「大研究!中国共産党」(角川SSC新書, 2013/3)読了。一気に読める語り口はお勧め。ただ、二点ほど気になったところがあったので触れておこう。

 一点目は「バナナ族」のくだりと中共の現状とのギャップだ。

 「バナナ族」とは、欧米からの帰国子女や欧米で高等教育を受けたエリート集団を指す。見かけは中国人だが思考方法は欧米人という事を、外見は黄色(アジア系)だが中身は白い(欧米系)バナナに例えているとのことだ。

 現在の習近平総書記体制においても、バナナ族は要所要所に配置されている。が、この一年程の中共の対外政策には、ほとんど「欧米的」な思想が感じられないというのが実感だ。沈氏は経済、技術開発分野へのバナナ族の登用について特に触れているが、軍事も含む外交分野ではどうなのだろうか。この期に及んで韓国の「反日」に肩入れしたり、日米の軍艦船に挑発的な行動をとったりする様は合理的、戦略的思考が感じられない。中共は良くも悪くももっとえげつなくはなかったか、大局的視点から政策を進めてこなかったか。

 二点目は、第8章「中国の尖閣諸島問題に対する本音」の冒頭において、日中の衝突を「2種類のナショナリズムのぶつかり合い」と断じていること。

 「ナショナリズム」という言葉はマスコミなどで余りに安易に使われるため、実態として意味が曖昧となっている。故に(古いエントリで触れているように)、本ブログでは「ナショナリズム」という言葉は基本的に使わないとにしている。個人的に引っかかった点は、ぶつかる日本側のナショナリズムを「国粋的な、日本という国家と不可分なナショナリズム」ではなく、「長引く不景気により衰退期のナショナリズム」としている点である。そもそも「ナショナリズム」という言葉が曖昧なところにきて、たたみかけるように国家観とは全くリンクしない曖昧な「何か」を取ってつけたように持ってきた、という感がぬぐえない。

 もちろん、尖閣諸島の領有権問題が日中関係正常化時に「棚上げ事項」となった歴史的事実は把握している。「将来の知恵で解決」≒「中国が十分に軍事力を獲得したら軍事的に解決」とか一般的な日本人なら考えもしない、という点は話を単純化するために意図的に無視している点は察して欲しい。

 私見を述べさせて頂くなら、沈氏の呼ぶ「何か」は日本人の気質に根付くものに過ぎず、仰々しく「ナショナリズム」と呼ぶべきものでも、不景気とも関係ない。単に「嘘が嫌い、嘘つきが嫌い」、「曲がったことが大嫌い、筋が通らないことが大嫌い」、加えて「力を背景に嘘や曲がったことを通そうとする主体を軽蔑する」という文化的価値観である。文化的価値観に基づく国民感情のベクトルの一致とうねりの形成は「ナショナリズム」と呼べなくもないが、そうであっても不景気とは関係ない。ましてや、「国内の不景気」は現在のグローバル化した経済環境においては、自国民にとっても単なるローカルな話に過ぎない。確かに自営業の方々は大変だが。

 狂乱地価、バブルの崩壊は確かに日本に経済的にダメージを与えたが、同時に「ポストバブル時代」においては日本経済の「等身大の力の認識」の獲得に一役かったと思っている。従って「長引く不景気」は織り込み済み、明確な前提であり、それ故に「衰退期」などという状況なぞ受け入れない。

 一般的な日本人の気質として、「座して死を待つのみ」なんてまっぴらご免なのである。「無駄なあがき」と言われようが、あがくのである。それでも前を向いて、上を目指すのである。あらゆる「道(どう)」と同様に、極めれば極めるほどさらに先があることを明確に知るのである。ゴールは無いし、「衰退期」が避けられないと悟ればそれを前提として新たな道を求めるのである。

 それも皆で、力を合わせて。日本の「平等感」には欧米的なそれに較べると多少歪んだところがあるが、「読み書きそろばん」は皆が一緒に先に進む上での基盤なのだ。

 故に、「うで蛙状態」を受け入れているように見える他国の有様を「皆が」訝しく思う。

 繰り返しになるけれど、本書は一読をお勧めする。日本外部からの視点、それを自らに新たに視座として「追加」できれば、それだけ自分が強くなる筈だ。

2014/04/12

対ドル韓国ウォン高進行!

 ここ数日、ウォン高が進行している。つい先ほど調べたところ、1ドル=1035.4ウォンとなっている。昨日には韓国為替当局のものと思われる為替介入があり、1ドル=1040ウォン程度までいったんは戻したものの、ウォン高は以降も進行している。

 ウォン高は輸出依存体質の韓国経済には辛いが、別に私はウォン高を喜んでいる訳では無い。まぁ、色々と理由が知りたい訳だ。

 学問としての経済学はさておき、実態経済には私はからっきし弱い。故に「何故為替介入は功を奏さなかったのか?」という疑問が生じたのでちょっと調べてみたら、「何故IMF(国際通貨基金)が韓国の為替介入に警告を発したのか?」というかつての疑問の答えもうっすら見えてきて、ちょっと目から鱗な気分なのだ。

 キーワードは「外国為替平衡基金債券」だ。不勉強でその存在を今日まで知らなかったのだが、こいつを知っておかないと確かに見通しが悪い。

 「外国為替平衡基金債券」は、例えば対ドルではドルを入手するために発行する債券だ。ポイントは、米国債よりも利率が必ず高いこと。プラスアルファのプレミアム利率を加えることで購入者のインセンティブを高めるという仕組みだ。

 問題は、「外国為替平衡基金債券」で入手したドルがそのままウォン購入という為替操作に使われている可能性が高いこと。為替操作によってウォン安誘導、維持に成功すれば、プレミアム利率分は一部なりとも取り返すことはできるかも知れない。が、対ドルレートが変化しない場合は利率分の負債は出る訳で、為替操作が功を奏さずさらにウォン高が進行すると負債は増えるばかりだ。う~ん。

 韓国の外貨準備額はGDP比で見ると必ずしも高いレベルではないそうだ。外貨準備額が十分であれば、為替介入の資金源として新たな債券を発行する必要はない。もし為替操作を実施していて、かつその資金源が実質的に「外国為替平衡基金債券」によるものだけだったとしたら…ちょっとでも想像力があれば結果は歴然だ、「自転車操業」はまだ良い状態、ブレーキの効かない車でチキンゲームに挑むようなものだ。

 では、韓国にとって最悪のシナリオは…
  • 「資金が潤沢な投資家」がウォン買、ウォン高を誘導
  • 韓国、為替操作資金確保のため「外国為替平衡基金債券」を発行
  • 「外国為替平衡基金債券」の購入者は実は「資金が潤沢な投資家」
  • 最初に戻るを複数回繰り返す
  • 「資金が潤沢な投資家」がウォン買を停止、ウォン安或いはウォン安定を誘導
  • 「外国為替平衡基金債券」の償還開始、「資金が潤沢な投資家」は利率、為替変動益で大儲け
  • 債券デフォルトで「資金が潤沢な投資家」以外は大損、韓国経済破綻!?
上記のシナリオが進行しているなら、「資金が潤沢な投資家」は利益が確保されるまでは韓国経済を破綻させる訳にはいかない。生かさず殺さず、ただしそれも利益確保が確定されるまでだ。

 つまり、
  • 為替操作をしなくとも為替相場が安定するだけの実態経済力(日本では内需の大きさがこれをかなり担保している)を韓国が持つ
  • 借金することなく為替操作できる外貨準備額を韓国が確保する
  • 韓国は為替操作を諦める
というような状態とならない限り、韓国の負債は雪だるま式に増えるだけなのである。極論ではあるかもしれないけれど、これは恐ろしい。

 で、以上のシナリオに一部なりとも真実が含まれているなら、IMFの警告の意味は明確だ。IMFは「為替操作自体」に警告を発しているのではない、「為替操作に必要な資金確保過程で雪だるま式に増える負債」に警告を発しているのだ。

 では、韓国の負債のヘッジ先はどこか。多くの企業は中共にそれを求めているようだ。

  え~っ!?

モデル/KRAFTWERK & ヒカシューのカバー:リビジョンアップ

 Rev.0→Rev.1にリビジョンアップです。ミックスの方向性は私の中では2つあったのですが、先に選んだ方向性が失敗だったと言うことで。

 ベースにリングモジュレーションをかけて、後はそれに合わせて音量バランスを調整しました。ずばり「ずんちゃちゃ感」を前に出す方向性。

2014/04/11

STAP細胞騒動について思うこと

 STAP細胞騒動の本質は、「他者が結果を再現できない」に尽きる。論文の記載に従って「結果の再現性が確認」されていれば、ねつ造なんて話には至らなかったろうし、ねつ造の有無にすら意味が無い。

 実のところ、真偽が確認できない時点で「論文」としての資格はない。アインシュタインの一般相対性理論の論文は発表時には検証に使えるデータが存在しなかった。つまり、理論の真偽は実験的に確認できなかった。しかし、論文を読み、内容を理解すれば誰でも同じ結論を導きだせ、かつその過程で仮定や前提から結論に至るまでのプロセスは厳密にチェックされる。それ故、アインシュタインの一般相対性理論の論文は論文たり得るのだ。

 ねつ造は、「悪意」があろうが無かろうがねつ造だ。「ミス」はとっととエラッタ(訂正)を出せばよいだけだ。ことさら「悪意」を前に出すのは科学的姿勢ではない。「ミス」を認めた以上、エラッタをすかさず出すのが科学的姿勢というものだ。

 研究の世界はある意味陰湿だが、厳しさは公正でファクトベースだ。「コピぺ」は冷笑の対象でしかなく、著者にはそう簡単に消せない研究者失格の烙印が押される。それでおしまいだ。

 以上。

内容がない、論理もない文章の例

 エントリタイトル通りです。この中央日報のコラムは凄い。

 ナチスドイツの恐ろしさは「合法的手続き」を積み重ねてどこかで一線を越えたところ。ヒトラーも政権掌握までは完全に合法的なプロセスを踏んでいる。このプロセスは特に「Machtergreifung(マハトエアグライフング」と呼ばれる。例えば、クノップ著, ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月(中央公論新社  2010/04)を読めば良く分かる。だから、ヴィシー政権が傀儡政権だったいうのはまず間違いないとしても、コラム内に明確に書いてあるように「合法政府」であったのも事実であるから「ヴィシー傀儡政権」とさらっと「傀儡」を付けてしまうのは印象操作でしかない。

 ド・ゴール氏のパリ入場までの経緯に関する記載内容も印象操作がある。ノルマンディ上陸作戦には直接の参加はしていないにしても、自由フランス軍は上陸作戦成功後に連合軍とともにフランスで戦い、煩がられながらもド・ゴール氏は「解放者(の演出)としてのパリ入城一番のり」の意向を連合軍にほぼ認めさせている。つまり、ノルマンディ上陸作戦成功後~パリ入城までのファクトを無視することで、フランスの有様を中傷しているようにしか思えない。それとも歴史を知らないのだろうか。

 ドイツは「悪いことは全てナチスの手によるものです」と悪役を仕立て、連合国側もそれを「受け入れた」というのが常識的な歴史認識だ。日本では「軍部」が悪役とされたが、そもそも「軍部」の指す先が不明確だ。「陸軍の一部」を指すとの説明もあるが、これは海軍や官僚に都合が良すぎる時点で怪しい。ま、これまで学んだ歴史からは実際に「悪役たる軍部」なんてなかったとしか判断できないが。

 「軍部のせいにする」ことは実のところ日本生まれの歴史観だ。が、それ故か、某国はドイツの説明は受け入れて、日本の説明は受け入れない。真面目な話、「軍部のせい+所謂自虐史観」を日本が公式に受け入れると、「日帝がどうのこうの」とは某国は言えなくなる。「軍部のせい」だからだ。まぁこの期に及んでは、どうせ都合のいい点だけを都合良く語るという姿勢は変わらないだろう。もちろん、自国についても同じ姿勢しかとらないだろう。

 被害者、加害者の下りはさっぱり意味不明だ。文化的差異を踏まえてもさっぱり分からない。また他国を責めるならば、「自国はどうか」という点にも触れるのが公平というものだ。つまり、公正性を欠いている。

 要は「結論ありき」で書き始めたものの、その「結論には実態が伴わない」が故に論理構築ができなかったということだろう。論理がおかしいのではない、論理がないのだ。

 ただし、確信犯的に「自国民に向けて自国の有様について苦言を述べている、それも凄く婉曲的に」という可能性も否定はしない。だって書いたのは「大学教授」なんだぜ。

2014/04/09

米国の「失望」、キャンペーンが始まってるかも:破をとばして急

 大分前のエントリで、こう書いた。
首相の靖国神社参拝に対して米国が「失望」と表明した。以前のエントリで、「米国は怖い」、「キャンペーンが始まったら終わり」と書いたけど、どうもキャンペーンは始まっているみたいな雰囲気が濃厚。年が明けて米国は韓国への戦車部隊派遣も決めたようだが、それも何時までかは不透明ですな。
来ましたよ、が、もはやキャンペーンではありません。

 本来はまだ米国世論形成キャンペーンのフェーズのタイミングなのだが、韓国があんまりにも酷いことが分かったのだろうか。「古い歴史的経緯は水に流し」という米国の警告を、「古い歴史的経緯をいったん脇において」(韓国一部報道機関)とか「古い歴史的経緯を克服して」(日本一部報道機関)とそれぞれの国民に伝えるに及んで、もはやなり振りかまってられない状況に米国も追いつめられたやにも見ゆる。

 朝鮮日報の記事、「在韓米軍司令官『韓半島有事でも増援が困難に』」の内容は身も蓋もない。こりゃ警告だ。記事の一部を引用しよう。
スカパロッティ司令官はこの日、米国連邦議会下院国防委員会の聴聞会で「韓半島で軍事衝突の危機が高まったら、兵力を速やかに移動・配置して備えなければならない。しかし予算削減が計画通り進められると、在韓米軍や将来の兵力増派に問題が生じかねない」と語った。韓米両国は、韓半島有事をめぐって「米軍の増援戦力配置、北朝鮮内の戦略目標攻撃、北朝鮮への侵入および上陸作戦、占領地の軍事統制、韓半島統一」という5段階からなる「作戦計画(OPLAN)5027」を策定しているが、この第1段階から問題が生じる恐れがあるというわけだ。
まぁ、この展開は読めていたが、現時点でこのような話が出たのは予想外に早かった。他にも考えられる理由はある。
  • 韓国の米軍への所謂「思いやり予算」の額がなかなか折り合わず(韓国は1年単位で額を二国間の協議で決定する)、さらに国会での承認が遅れている。(もう承認されたのかな?)要は、米軍は「早く金出せ、額を増やせ」と圧力をかけているとも解釈できる。

  • 来年に予定されている戦時統制権の米軍から韓国軍への委譲について、韓国から時期の「再」後ろ倒しの要望が出ている。そもそも戦時統制権の委譲は韓国側から申し入れたものだ。米軍からすれば「返せ!返せ!と煩いから返すことにしたら、今度は返してくれるなとは!」という展開で、「もう、どうでもいいや」とあきれ果てているんじゃなかろうか。同じ文脈で「北朝鮮の無人機は実は韓国の自作自演」と読む向きもあり、この時期にことさら韓国が北の脅威をあげつらうのも煩わしいと思ってるんじゃなかろうか。

  • 韓国は米国のミサイル防衛システムに参加せず、独自のシステムを構築すると決定した。だが、肝心の迎撃ミサイルは米国に売って欲しいと言う。また、韓国は次期戦闘機としてF-35Aの随意契約による導入を決定したが、なんか色々と韓国側が一方的に有利な購入条件を付けようとする動きを見せている。どうも韓国は「随意契約」の意味が分かっていないようだし、購入代金だって米国から借りる予定というからあきれる。韓国に貸す金があれば、米軍としては「それをそのままこっちに回せよ」と言いたいんじゃないか。

  • 中韓接近を米国は嫌がるだろう、っつーかもう警告済みなのにね。米軍としては「勝手にすればぁ」と腹決めしたのかも知れない。

  • アイゼンハワー公園内の「退役軍人記念園」に「平和の像」なる変なものが建てられたので、何気に米軍や退役軍人達が怒り心頭状態なのかも知れない。「平和の像」から回り回って「米軍も加害者(客)」という歴史的事実に行きつくと、いよいよ「米軍も韓国の被害者」になってしまうしね。

  • 韓国は陸軍兵力11万人削減を予定している。米軍にすれば「本気か?」だろう。

  • 予算削減は避けられないにしても、米軍としては削減幅を圧縮したい。韓国が騒げば米国議会への圧力とできるが、何せ韓国の騒ぐ内容が低レベルなので痛し痒しなのだろう。ただし、米軍は「韓国への軍事的コミットメントを米国として出すのか出さないのか」を明確にするよう議会に圧力をかけていることにはなる。議会が「金は出さない」と決定すれば、後は言わずもがな。韓国が金を出さない限りは、米軍は韓国に対して何らの軍事的コミットメントを出す理由もない。
    さらに今の日本は「韓国のために」米軍に金は出すまい、いや出せまい。
    今後の展開如何で、米国の大統領と軍の意思疎通のレベルも推し量れる可能性もあるし、本件に関わる国内マスコミの報道内容から色々と見えてくるものがあるだろう。

  • …以下略
いやぁ、韓国ってすげーなぁ。

2014/04/07

一回は観とけ!四度!

 好食!(広東(カントン)語の挨拶です。やあ元気!みたいな感じ)

 かつて「香港映画」というジャンルがあった。広東語、或いは広東語と英語のちゃんぽんで撮られる映画群は、その言語の響きの異質さも手伝って、独特のトーンを持っていた。今回は、香港の中共返還を控えて撮られた2作をご紹介。

 まずはフルーツ・チャン監督の「メイド・イン・ホンコン 香港製造」(1997)だ。主人公を演じたサム・リーは後に邦画「ピンポン」(2002)で「チャイナ」を演じている。

 ストーリーはやや安っぽいのだが、登場人物達の設定が「背伸びしている子供達」であるが故のアンバランスさと微笑ましさを内在する。が、ストーリーを急展開させるのは自殺、殺傷などの他者や自己に向けての容赦ない暴力である。チャン監督の暴力に対する描写はドライだが、その辺りが実際の大陸人気質を反映したものなのか、監督の資質かどうかは分からない。

 盗作防止のため、脚本を書かずに出来上がりは監督の頭の中にしかなかった香港映画では、ストーリー展開は時としてグダグダとなる。本作のストーリー展開は一般的な日本人の感覚におけるリアリティをギリギリはみ出しているため、ついて行けないかもしれない。が、なんとか破綻を免れている。これは、「主人公達とは何の面識もない自殺した少女の遺書」を小道具とし、劇終間際の一種の力技で成し遂げられる。

 後味は悪いが、どしっとした重い物が心に残る作品だ。十代で観てはいけないかもね。

 二つめは「アンナ・マデリーナ(安娜瑪徳蓮娜/Anna Magdalena)」(1997)だ。公開当時、なんの予備知識も無く劇場に足を運んだところ、劇場が若い女性客ばかりでびっくりした記憶がある。主演(の一人)は当時人気が高かった金城武、ヒロインはドラえもん主題歌の香港版も歌っていた香港明星、ケリー・チャンだ。いやはや、ケリー・チャン系の顔には実はとっても弱い私です。監督はハイ・チョンマン、個人的にはちょっと影が薄い感じが残念な癖の無い作風だ。

 本作では、ざっくり三つのストーリーが語られる。ストーリーのひとつは劇中劇、別の登場人物達による二つのストーリーを無理やり繋げる小道具となる「小説本」のストーリーそのものだ。先に監督の作風には癖がないと書いたが、それはあくまで「香港映画」でのお話。ハリウッド的な分かり易さは最初からない。本作のストーリー展開、構成について行けるかはちょっとした試金石であり、追いて行けないならば「香港映画」はジャッキー・チェン映画までで止めておいた方が良い。「香港映画」のマナー、語り口は一見とても複雑だ。

 「アンナ・マデリーナ」にしたところで、下の予告編から映画の内容が推測できるかな?音楽はまんまテリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」だしね(本編でもそのまま使われている)。夢みたいな夢、現実と見まごうばかりの現実が描かれた映画、そんな身も蓋もない映画と言えばその通りだ。そのくせ、劇中の夢と現実の境界は登場の必然性が読みとれない雑多な要素のせいで曖昧だ(実は、押井守監督の初期実写作品群には同じ匂いを感じている。「紅い眼鏡」、「トーキング・ヘッド」や「ケルベロス」でその印象が強い。ただし、押井監督の場合は絵作りとして様式化をやり過ぎ、一般的な「映画っぽさ」から逸脱してしまっているやに見ゆる。香港映画に慣れた感性では、十分に映画の枠組みに収まっているようにしか見えないのだが)。

 根幹を成すストーリーは当たり障りのないもので、男女の出会いと別れ、直接語られない思い、といったもの描かれるだけだ、以上。しかし、本作はほぼ最後の「香港映画らしい香港映画」と言え、劇終間際のもの寂しさと「香港映画の終焉」のもの寂しさが私の中では完全に一体化してしまっている。なんと言っても香港の中共への委譲は1997年なのだ。

 香港の委譲後、フルーツ・チャン監督の作風もやや変わり、癖の強さや雑多さはどぎついままに主人公をじっくり追うような作品を撮っていく。だが、「香港映画」、或いは「香港電影」の持っていた特殊なトーンは徐々に失われた。

 「アンナ・マデリーナ」で顕著なように、一見雑多な要素を多数含む「香港映画」の佳作群の持つマジックは、「雑多であってもこれは一本の映画である」ことを意識せざるを得ない「映画館での2時間」でこそ発揮される。だから、DVDなんかで観てもなかなかそのマジックに触れることは難しい。

 愛しき「香港映画」或いは「香港電影」特有の映画体験はもはや失われたと言って良い。が、それでも作られた作品は新たな観客に観られることを今でも欲している筈だ。

毎日新聞デジタル”宇宙戦艦ヤマト2199 : 出渕監督に聞く”を読む

 久しぶりに2199ネタ。毎日新聞デジタルの記事、「宇宙戦艦ヤマト2199 : 出渕監督に聞く オファーは『天命』」(2014年04月05日)を一読。

 新作劇場版とやらもやっぱり駄目っぽい、監督も監督自身も変わんねぇのな、な雰囲気濃厚。
 「ヤマトができるのはとにかく楽しかった。自分が楽しいと思っていると、作品にもそれが出てくるんだなと思った」としみじみと語る。
そこ、駄目だったところその1。あなたが何処を楽しんでいるかはおそらく半分ぐらいは分かっているつもりだ。しかし、全体として見たとき、あなたが楽しんでいるだろう辺りは全く物語の成立性に寄与していなかった。ただの食い散らかしになっていなかったか。
「(13年の)テレビ版から今作に入った方には特に見ていただきたい。本当に違いますから。意図したわけではないんですが、劇場上映版は全7章がいい形で
まとまった。章ごとにアプローチ、切り口が違っていて、章ごとに味わいも違う。まとめて見るには非常に見やすくなっている。もちろん計算はしたんですが、
ここまでカチッとはまるとは思っていなかった」と自信をのぞかせる。
そこ、駄目だったところその2。章毎にトーンが違うのは言われなくたって分かる。問題は、先のシリーズでは、全体として見たときに「章毎にトーンが違う」ことが全く物語の成立性に寄与していなかったじゃないか、ということ。ただ違うだけだったじゃないか、というより、本来ガチガチかつ針に糸を通すような繊細な構成が求められる部分に限って、はぐらかしたり、抒情的な描写で誤魔化したりしてたよね。

 故に、劇場版で全体として纏め切れれば拍手も讃辞も惜しまない。ただ、やろうと思っても難しいこのようなことにどれだけ自覚的に取り組もうとしているのかは甚だ疑問だ。
「劇場版は自分たちがこうしたかったというものがピュアな形で出ているので、そういう部分も含めて見てもらいたいですね」と語る。
ここは驚きポイント。「ピュアな形ではない」先のシリーズはどう位置付ければ良いのよ。「ピュアな形」ってあんた、より食い散らかしを先鋭化するつもりなのか。せめて「よりピュアな形」と言って欲しかった。
「実はヤマト自体をモデリングし直しています。劇場用にもう少し緻密にやろうということで、細かい部分で直しを入れたり、ディテールを足していたりするので、そういうところも見どころではあると思いますね」と明かした。
だからぁ、そこじゃぁないんだってば。「できるのが分かっていること」だけやってちゃ見てる側は尚更面白くもなんともないし、それじゃぁ作品は何時まで経っても終わらせられない。プロフェッショナルってのは「終わらせられる」力量のある人のことだ。何時までアマチュア意識が抜けないのか。
「『天命かな。これはやらないといけない』と。あえて“火中のクリ”を拾う心境だった」と当時を振り返る。
さすがにこれには同意と言うか、感情移入はできる。が、「天命」とは不可分な「覚悟」ってぇのはただやりゃぁ示せるってもんじゃぁない。

え、覚悟なんて無い?

空耳だと思うけど、それじゃぁこいつに手をつけちゃいけねぇし、自ら「天命じゃない」って言ってるようなもんだねぇ。「天命」は「覚悟」のある人間にしか下されないよ、普通。

2014/04/06

サッカーは共通言語

 サッカー/フットボールは良いよね、これは一種の共通言語でしょう。

 ただし、日本人を「放射能猿」なんて揶揄する某国の一部は別格、絶対ピッチには入ってきて欲しくない。あれはサッカー/フットボールじゃない。

 国際試合では「地域紛争などを背景とした因縁の対決」もあるけど、あくまでピッチ上で繰り広げられるのはサッカー/フットボールです。「ボールは友達」とまでは言わないとしても、「共通の価値観に基づいて敵であっても尊敬・尊重の念を持って真摯にピッチ上でプレーする」、そいうことが当たり前に繰り広げられる様は本当に見ていて気持ち良いものです。

 野球/ベースボールはサッカー/フットボールと較べれば方言でしかないのが実態。

 さて、サッカー/フットボールがらみの話題2つです。

 まずは、うれしい話題「[U-17女子W杯]リトルなでしこが快挙、スペイン下し大会初制覇!!」。日本代表チームを率いる初の女性監督、高倉麻子氏の指揮の下、全勝優勝と言う文句なしの大会制覇と言えるでしょう。

 宗教差すらも超えつつある「共通の価値観」は、性別(生物学的な、社会的な、ともに)も超えて共有されていく、ということの本当に良い例だと思います。女性のスポーツ参加全般に対しては、まだ宗教的、社会制度的制約が世界各国でみられます。その制約の是非は別として、サッカー/フットボール側は何時でも受け入れる準備ができていることは間違いないでしょうね。そんな枠組みの中で代表が力においても「共通の価値観」の体現においても先頭グループに入ってきたというのは、同じ日本人としてうれしい限り。

 もうひとつは、「ストリート・チャイルド・ワールド・カップ開催」。ひょんなことから知った大会ですが、まさに「ボール一つあれば始められるスポーツ」、サッカー/フットボールの面目躍如って感じです。

 「ストリート・チルドレン」を「本質的に」無くせる社会の実現が一種の理想、将来の目標ではあるのでしょうが、「現状をどう取り扱っていくか」も重要でしょう。「ストリート・チルドレンでもサッカー/フットボールができる」という状況作りですらまだ全世界で見れば不十分かもしれませんが、ステップバイステップでも広がっていって欲しい運動です。

 「銃ではなくボール」、それすらもまだまだ難しいのが残念ながら今の世界。

 サッカー/フットボールへ「差別」を持ち込む行為は既に嘲笑、非難の対象です。それは例えばFIFAも汚職体質と必ずしも無縁ではない、というような事とは全く無関係の話。

モデル/KRAFTWERK & ヒカシューのカバー

 「今どんなボーカロイドが欲しいですか?」と問われれば、ずばり民謡歌手!

 「傀儡謡」ができるかも!!周波数スペクトルを見ると多くのボーカロイドには無い(Megpoidには有ります^^)3kHz付近のフォルマント成分がばっちり、とか。

 今回のバックトラック作成過程で見えてきたのは、上手く表現できないけれどもやはり「人の声っては凄い」ということ。KRAFTWERKの曲ながら、頭の隅には常に「傀儡謡」のイメージがありました。昨年末の決算大安売りセールで入手したボーカル系サンプルデータをひっくり返しちゃいましたよ。

 Das Modellは初期のKRAFTWERKの持っていた湿っぽさが割と全開の曲で、歌詞の内容ともにMegpoidよりは民謡歌手の方が絶対合ってます。The Cardigans、Snakefinger、ヒカシューとかとも違う方向性でのカバーを指向はしてみました。女声コーラスのサンプル使用は既定路線でした。

 あ、「レミーマルタン」っぽい歌詞はドイツ語版でしたね。英語版/国際版は5年に一度聞くか聞かないかぐらいなので……では、どうぞ。

 冒頭で「音が小さいな。」と思っても無暗にボリュームを上げないように。割とボーカロイド感剥きだしのままのMegpoid Whisperの声を「意図的に大き目にしたミックス」になっております。

2014/04/04

クラカタウ・ポスコ高炉爆発は本当か?:補足の補足っつーか訂正込み

 さて、インドネシアのクラカタウ・スチールと韓国のポスコの合弁事業である一貫製鉄所は少なくとも3回事故を起こしているらしい。先のエントリで「水蒸気爆発事故ではなくガス爆発事故」と書いたけど、発生日を確認すると1ヶ月ぐらいズレがあった。つまり、1/19に「ガス爆発事故」が発生し、2月末に「水蒸気爆発が発生した可能性がある」が正しい。1/1の最初の事故を入れれば事故は3回だ。

 で、本題はこれから。

 「ガス爆発事故」は1/19に発生した。が、NEWSPIMの1/20の記事によると、ポスコは「すべての生産工程は正常に動作している」と述べたという。あれれ。

 記事全文のGoogle翻訳結果は以下の通りだ。
ポスコインニ製鉄所、年初の一時停止
2014-01-20 08:32
[ニュスピム=オドンファン記者]

 ポスコの海外初の一貫製鉄所であるインドネシアクラカタウポスコが年初設備の故障で、一部の生産工程をしばらく中断していたことが分かった。
 20日、ポスコによると、クラカタウポスコは去る1日、溶鉄が出てくる出口部門に異常が発生して操作を中断して修理に入ったことが分かった。クラカタウポスコは問題が発生してから7日後に修理を完了し、現在はすべての生産工程は正常に動作していることが分かった。
 ポスコ側は、修理が行われている期間にもプレートの生産は正常に行われたと言いながらも工場が稼動されたばかりという点で生産されて銑鉄はまだ100%の状態ではないと明らかにした。
 これに関連し、ポスコ側は、「 30~40年稼動した国内の製鉄所と比較するとクラカタウ製鉄所は現在、よちよち歩きの段階に過ぎない」とし「稼働初期に問題が発生する可能性がある」と説明した。
 クラカタウポスコは先月23日、インドネシア?ブライヤーゴンで年間300万トン規模への扉を開いた一貫製鉄所として、今後年間スラブ180万トンとプレート120万トンを生産する予定である。
上の記事を信じると、10日程度は製鉄所が正常に稼働していたことになる。10日も稼働すれば製品出荷ぐらいできるような気もする。ところが、朝鮮日報の3/30の記事では、
ポスコ側は「今月7日(3/7)にインドネシアのクラカタウ・ポスコで最初のスラブが生産された」と明らかにした。
と書かれている。

 う~ん、時系列も良く分からんし、結局最初の事故以降に関する報道は何処まで本当なのかさっぱり分からない。少なくとも報道内容全てを正しいとみなすことは論理的に不可能だし、ポスコをソースとする報道内容だけでも十分矛盾だらけだ。

 客観的な報道を求む!っつーか、せめて報道管制状態みたいな状況はなんとかならんものかのぉ。こんな矛盾のある発言を続けてる会社は、「株主の利益に対して重大な影響を与える事実の公表を怠るのみならず、意図的に事実と異なる虚偽の情報を公表し続けた」として普通の国なら株主訴訟に間違いなく負けるよ。

2014/04/02

クラカタウ・ポスコ高炉爆発は本当か?:補足

 朝鮮日報日本語版に記事が出た(ポスコのインドネシア製鉄所で何が起きているのか)。日本語が少しおかしい(論理がおかしい)ところもあるが、タイトルの通りの内容が書かれている。まぁ、原文からしておかしかった可能性もなくはない。

 さて、これまではインドネシア地元紙記事しか情報ソースが無かった爆発事故だが、件の記事によると蒸気爆発ではなくガス爆発だったということらしい。記事によると
ロシア人監督者とインドネシアの現場作業員の意思疎通に問題があったことが原因だった。
らしい。ふむ、現場レベルでは韓国人は関わっていないということを伝えたいのだろうか、なんかここだけわざわざ国名が書かれているような気もする。ちなみに監督者がロシア系韓国人ってことはないよね?

 で、記事ではさらに
ポスコ幹部は「自動でガス流入量を調節するバルブを未熟練者が主導(手動?)で誤操作し、問題が生じた。作業員の教育がうまくできていなかった」と説明した。(カッコ書きはブログ主)
とも書かれている。何気だけれども、事故の本質であろう「作業員の教育がうまくできていなかった」の主体が明確に書かれていない。やや霞が関文体も彷彿させるずるい書き方じゃないですか。まぁ、原因が誤作動じゃなくて誤操作ってあたりは「設計ミス」ということでしょう、常識的には。安全装置とか監視装置とか付いてないんですかって事ですよ、日本国内じゃあこんな理由はまず信じてはもらえない。それでもそれが理由となれば、その主体は信頼を失います。

 この記事、書かれていることより書かれていないことの方が重要って感じです。苦笑なしには聞いてられない「実態バレバレのガキんちょ全力言い訳」みたいなものですよ。

 要は、「主たる事故原因はポスコの設計ミスにある。事故発生の責任は作業員の教育がうまくできていなかったポスコにある」、そういうことで宜しゅうございますね。じゃあそう書けばいいのにね。