2014/07/30

本日の戦犯旗アゲイン

 ちょいと纏めておきましょう。そもそも「戦犯旗の定義」をきっちり説明できた人は未だにいない模様なのだが、ホントにそういうことでいいんですか?こんな低レベルのことすら事大、ですか?

これは戦犯旗らしい。
これも戦犯旗らしい。韓国でもヒット!
これも戦犯旗らしい。
これも戦犯旗らしい。ゴルフバッグにしか見えんが。
これも戦犯旗らしい。韓国国内の公園。
これは戦犯旗ではないらしい。
戦前に散々戦争をあおった新聞社の社旗に似てる気もするが。
 これも戦犯旗じゃないらしい。
さすがに戦略爆撃機は怖いの?
 これも戦犯旗じゃないらしい。 ホント、○○なの?
これも戦犯旗じゃないらしい。
統一うんたらはローマカソリックから見れば異教より憎い異端ではないか?

 これも戦犯旗じゃないらしい。
まぁあの指導者の間はおとなしくしておいた方が良いかもね。
これは・・・えーと、うーと、 写真撮影時は戦犯旗じゃなかったけど、
ネットに写真がアップロードされてからは戦犯旗認定らしい。
撮影場所はソウルの地下鉄車両内らしく、写っているのは十中八九韓国人。
ガタイが良い人が使ってると周囲の人は戦犯旗認定しないらしい。

2014/07/29

某都知事の件は・・・:追伸

職場の雑談中にとある人がいきなり

国際政治コメディアン

なる発言、「この人が?!」って感じで凄く意外な展開。

色んな人を怒らせてるなぁ・・・

2014/07/27

これはエグ・・・くもない・・・

 ・・・もっ%#$%&いが、これはこれで余りに”日本的じゃない”佇まい。そうか、ついにここまで来ちゃったのね。これは右傾化って言うより異常な報道への反動だって言うことでしょうか。これには左右もリベラルも関係ないですよ。そもそも日本のリベラルって自任してる人で、自分の足でちゃんと立ってて、かつリアリティを備えてる人なんか見たことない。繰り返しますよ、これには左右もリベラルも関係ないですよ。加えると、「リベラル保守」とか言ってる人間にはもちろん出る幕すらない。主観では政治性も全く感じない。「右傾化」とか「言論封殺」とかレッテル貼りしてこの光景を取り上げた報道機関はその時点で・・・後は察して欲しい。

 先の韓国大統領の「日本完全支配宣言」はやっぱり早すぎたってことですか。調子に乗り過ぎたのが間違いのもと、その尻馬に乗ってはしゃいだ連中のことも1000年忘れないの勢いすら感じられる光景。普通の日本人を怒らせるという、しかも静かに怒らせるという展開まで来てしまったか・・・本当に心から怒っている人間は大抵冷静なのです。大声上げてばっかりの人間の怒りなんて大抵は何れは消えるもの。

 え、写真の感想ですか?

「一般的な日本人は嘘つきが嫌いなだけじゃないんでしょうか。特段、え!という思いは全くない」
 あと、天○人○なんて読む暇があったら、海音寺潮五郎氏の小説でも読もう。その方が文章力が絶対着くと思うのよ。あ、本ブログの文章形態は半分以上”昭和軽薄体”(昔流行ったコラム文体)のパロディーなので。念の為。

 まぁ、「報道しない権利」を行使するんでしょうなぁ、○○だから。

クラカタウ・ポスコ、絶賛建設中!

 かなり前のエントリで、「グーグルマップにはクラカタウ・ポスコの高炉は写っていない」点を指摘したことがある。既存のクラカタウ社の建物が煤けているのを「ポスコ高炉爆発の証拠」などとしている人が居たので、ま、仕方なく上げたものだ。

 で、今日何の気無しにググってみるとまさにクラカタウ・ポスコ絶賛建設中、建設中ですよ。

 右半分がクラカタウ社の建屋群、左半分がクラカタウ・ポスコの建設サイト。
むか~し、昔に製鉄プラントの仕事をしたことがあり、プラント内も歩き回ったので、大体何が何かが分かりますな。とにかくスタートは正確な事実から。

良いフジテレビは

アニメ「ワンピース」を放送している時のフジテレビだけだ。

現政権の外交姿勢を「ドーナツ外交」と平気で口にする人は

適切な状況認識ができていないか、口にしない別の意図を持っているか、公共の電波を通しての場合は意図的な偏向情報発信の可能性がある。

 「中国や韓国といった重要な国が抜けている」という文脈で使われる場合が多いようだが、少なくともジャーナリストを名乗る人や報道機関は、まず「重要な国」の定義というか判断基準を示して欲しい。個人的には、経済関係や安全保障、人道問題などの観点から二国間関係が中共や韓国よりも重要だと思う国は多数ある。

 例えば、ソマリア。ソマリア沖は海洋資源豊富な好漁場だったが、韓国の遠洋底引き網船の乱獲と韓国漁民の現地漁民からの搾取が漁民の海賊化のひとつの原因となった点はそう簡単には動かせない。日本として何か出来ることはないか、海賊対策と並行して一考していみる価値は十分にある。積極的平和主義の向かう先は、単に自国の軍備の整備だけじゃないと思うが故だ。NPOとの協奏なんてアプローチが有ったって良い。この種のアプローチの場合の最大の敵は概して既存の利権集団だが、真面目な話、「病根を絶つ」ためなら外科手術的対応も時には必要だというリアリティも要求されるんじゃないかと思う。

 もう一点。日本にとって北朝鮮からの日本人拉致被害者の奪還は韓国とは全く違って国家的悲願だ。故に日朝間でに外交交渉が現在も進められている(筈)。となれば、中共、韓国外しは「ドーナツ外交ではなく、8字或いはθ外交」ではないか、という上げ足取りを至極真面目にしておこう。様々な意味で北朝鮮政権と韓国政権・政府及び韓国国民のうち声の大きい人達との間には良い意味で違いがある。現行の世界のリアリティの下で、両者をいっしょくたに扱うのは北朝鮮に対して失礼だと思う。是々非々ができない集団とそれができる集団とは、民族とか宗教とかとは無関係に適切な区別が必要だろう。

 まぁ、ドーナツ外交なる表現は、中韓が世界の中心だ!的な単なる中華思想、小中華思想の反映である、と切って捨てることもやぶさかではない。中華思想&小中華思想は、「かまってちゃん」的甘えと、格下/格上といった関係性でしか他者との関係性を捉えられないレベルの低いコミュニケーション能力やリアリティの無さを糊塗し、両立させるための奇弁としか私は考えていない。一般的な日本人の感覚に照らせば、憐れむことはあってもそれに組みすることはできないだろう。

 一口かじって輪ではなくなったドーナツ、かじるまであった穴は何処へいったのか?

 いやいやドーナツには穴なんて最初っから無いのである。穴が有るという認識自体がそもそも間違っているのである(いわゆるドーナツの穴は、そもそもドーナツの一部では無い)。百歩譲って穴が有ったとしても、自らをドーナツの穴に例えるということは、自らが空虚な存在でしかないことの告白としか思えない。どこまでMなのよ、論理性が無いのよ、と思わずにはいられない。

2014/07/26

某都知事の件は・・・

 隣国の大統領と会談した某都知事の件は、色々と憶測を呼ばざるを得ないのは確か。報道内容からは、根拠無く嘘まがいのことがさらっと言える人間であることが良く伝わって来る。隣国大統領と直接会談できるなんて、中共指導者並みだわね、すごいな~(棒)

 さて、憶測飛び交う中、当ブログ主も食料買い出しの車中で色々考えてみた。別に根拠がある訳じゃないから当たるも八卦、当たらぬも八卦。
  1. 隣国のガス抜き及び観測気球
     一国の大統領が一介の地方自治体(ただし、隣国の経済規模は地方自治体と同等か地方自治体の方がむしろ上)の知事と会談するかどうか、会談した場合にどういう会談内容となるか、隣国世論がどう動くか、などを測るための観測気球の可能性。更に畳みかけると、国内マスコミの報道内容及び姿勢、都民世論及び反応、国民世論の反応、都議会議員の反応、公安マター組織の反応が確認できることになる。水面下を含む北朝鮮、中共の反応の有無、内容も重要だ。
     報道から分かる範囲では、隣国大統領の発言内容には何らの新規性も変化もない。これには二側面あって、①反日姿勢の維持と歩み寄る意思の欠如は明らか、という側面と、②新しい対日カードが無い公算大、という側面だ。会談内容、特に大統領側の発言内容は分析が必要だ。ただし、我々一般人が分析するには、日本のマスコミが大統領側の発言内容を歪めていないことが前提となる。
     このような観測気球であった場合、都知事自身が内閣に協力しているか、単に煽られて駒として使われたかで、意味合いに大きな差が出てくる。後者の場合には都知事自身も観測対象ということになり、2に繋がる。前者の場合は大した役者ということになるのだが、TV画面越しに見た限りはそういう器ではなさそうだ。
  2. 都知事と都民や国民に多段階の踏み絵をせまったヤツらがいる
     都知事が「隣国へ行くな」と誰にも言われなかったからといって、「行ってもいいよ」とか「行くべきだ」と言われているのと同じ訳ではない。「行くんだったら総理のメッセージを口伝えして頂戴」と言われたからっていっても同様だ。
     下手をすると、如何にも日本人的な「阿吽の呼吸」が試された可能性すらある。通じなければ日本人的感性に欠けるということだ。もちろん、それは善悪や良否とは無関係な話だ。だが、相手のそれらの有無を知ることができれば、接する態度も相手に合わせて変えるのが良識ある大人というものだ。個人的な心証を書けば、梯子外しどころかそもそも梯子を掛けてくれた人間もいない感じ、当人が勝手に登ったという文脈でしか捉えられないだろう。
     つまり、「行くか、行かないか」「行かせるか、止めるか」が第一の踏み絵。次いで「隣国の知事や大統領との会談で何を約束し、どういう発言をするか」「それらを許すか」が第二の踏み絵。おそらく「やっていいことや言っていいこと及びそれらの逆」の指示を政府や内閣から受けている公算は低いから、それらは都知事自身の意思であり、ひいては有権者の投票行動結果となる。故に、第三の踏み絵は都民有権者の目の前に今まさに置かれている・・・「今隣国に行って嘘ついたり変な約束したらどうなるか」。
  3. 都知事及び都知事支持勢力潰しを望むヤツらがいる
     2とも被るが、自らが表に出ることなく、あわよくば有権者による都知事及び都知事支持勢力潰しを、と考えているヤツらがいる。「いやぁ~民意には逆らえませんなぁ」は何時だってちゃぶ台返しも可能とする錦の御旗だ。我々有権者は特定勢力に利用される可能性も念頭に行動を選択しなければならない、が、大人の都合ってやつに利用されちゃうって手もある。
  4. 1~3のうちならどう転がって良いや、結果を見てから色々具体的に動こう、と考えているヤツらがいる
     まぁ、隣国マスコミはメッセージを誤読し、米国も渋々ながらも日本の外交努力(のフリ?)を認めざるを得ないだろうから、どう転がろうが政府、内閣への影響はほぼ皆無だ。が、1かどうかは別にしても観測気球としての役割は十分に果たしたようなので、内閣改造や今後の自治体の首長選には影響が出るかもしれない。切られるのは、良い人間ではあるのだがポスト都知事訪○時代に適応できなかった鈍感な者、○○や××であろう。

2014/07/25

一時海外逃亡?千年忘れん、かも

 テレビ朝○の某報道番組も酷いのだが、知っている人は知っているように最近N○Kでもキャスターの問題とされた発言があった。リアルタイムで聞いて「カチン!!!!」ときて、余りのショックで涙すら出そうになったことを告白しよう。某国大統領(当時)の土下座発言に比肩する大ショックである。ある意味、心のリミッタ―がキレた瞬間と言える。怒ることを自分に許した瞬間でもある。

 リアリティ(適切な現状認識)が無いにも程がある。倫理観が無いにも程がある。そんな人間を据えたニュース番組を作ったり、電波に乗せるために収めている受信料が使われてるなんてのも許せない。

 これは「言葉狩り」とは思わない。エンタメ寄ニュースショーでのゲストコメンテータの発言ならば同じ内容でも放っておく。N○Kの夜9時のニュースのメインキャスターの発言だから問題なのだ。

 「倫理観の無さ」とは、「自分が置かれている立場に相応しい言行」ができなかったことの一点に尽きる。つまり、発言内容よりも、「あまりに駄目な大人ぶり」にショックを受けたというのが正確だ。N○K自体も無傷では済まないかも、というレベルの事案だと思う。発言の内容故、隣国政府の大人げなさを思わず想起してしまったことも告白しよう。

 ちなみに最近のN○Kスペシャルとかで、思わず首をかしげたくなる内容が明らかに増えてきた。例えば、アジア史テーマにした番組の内容が私の知っている歴史と違うのだ。ただし、日本語に翻訳されているもののうちのさらに極一部しか読んでいないのだけれども、比較的最近の中国研究者の発表内容とはほぼ一致しているようだ。決してまだ検証されたとは言えない内容が、何の注釈もなく史実のように語られるのは如何なものかと思う。

 矢追さんの往年のUFO特集番組ぐらいのつもりで観ないと危ない。

 ま、どちらにしたって「中華思想は内輪のルール(思想じゃない)、小中華思想は更に内輪で、どっちも自慰行為みたいなもの」であって、実際の世界はそんなのなんてクソの役にも立たないリアリティに従って動いている。過去を都合良く解釈すればするほど、現在のヘタれ具合が引き立つと言う実におバカな展開だ。宮殿の入口は一か所だから安心、の時代の手前勝手なルールが、GPS誘導弾が真上から宮殿の中央を直撃する時代に世界を相手に通じる筈もない。以前のエントリでも触れたように、日本(倭国)は1000年以上前に中華思想的枠組みから既に抜け出している。

 昨今の隣国とのぎくしゃくした関係やN○Kスペシャルなどを眺めつつ、一つ学んだことがある。日本人同士であれば美徳とも言える「水に流す」という姿勢は、「内輪でしか通じない価値観」である。だから、相手によっては「水に流す」なんて選択肢を最初っから封じても良いのかな、ということだ。ネット上の様々な発言も見るに、割と同じような結論に直観的に至っている人は多いようだ。

 単に「堪忍袋の緒が切れた」だけと言われればそれまでだが、一般的な日本人、かつ相応しい倫理観も備えたちゃんとした大人の堪忍袋の緒を切るのは並大抵でできることではない。ピンポイントで「やっちゃいけないことをやっちゃう」ことぐらいしかない。だから、某キャスターやN○Kに向けてはっきり言ってしまおう。

 千年忘れんぞ(の心境です、マジで)。

日本人の倫理観を足気にしたのだから、「ほとぼりが冷める」なんていう如何にも日本人な終らせ方ができるなんて思わない方が良いと思うよ。

2014/07/24

ウクライナ情勢、EUの足並みの乱れ

 ウクライナ、ロシアに対するEU(欧州連合)の足並みの乱れがTVなどで報道されている。足並みの乱れの原因のひとつはフランスの対ロシア姿勢で、ロシアから受注した強襲揚陸艦の輸出を控えていることが大きいとのことだ。強襲揚陸艦の件は知っていたのでここまでは完全に予想通りの展開で、特に新しい事項ではない。この辺りは実利を押し出して憚らない如何にもフランスっぽい姿勢と言えよう。

 個人的に興味があるのは実はドイツの姿勢なのだが、そのあたりの情報はまだ入手できていない。なぜドイツを気にするかというと、概して紛争地域の宗教、宗派によって態度がまるっきり違うからだ。ウクライナはキリスト教でも東方正教会が強いが、ドイツはローマ・カトリックが強い。宗教的観点からは、おそらくドイツはこの紛争に「興味が無い」。しかし、過去エントリでも触れているように、ドイツの発電源にロシア発、ウクライナ経由の天然ガスの占める割合は依然として高い。従って、ドイツはロシアを気遣って余り目立たないように振る舞っている可能性が高いと見ている。

 かつてのボスニア・ヘルチェゴビナ紛争にはNATO(北大西洋条約機構)が介入したが、この紛争はイスラム教、ローマ・カトリック及び正教会の対立という側面も持っている。この点も踏まえれば、NATO介入の意味合いも違って見えてこよう。NATOとして結束して事にあたっていても、参加国の思惑や背景にある動機は異なっていて当たり前だ。そこには「人道上の理由」などのナイーブかつ曖昧な要素は、良い意味でイギリスなどを除けば、意外に含まれていないように見える。

 経済規模及び産業構造、軍事、人口比/民族比及び規模、宗教、地政学的地理などなど、諸々のファクターを踏まえないと紛争に関して迂闊なことは口にできない、してはいけない。本日の某報道番組内での古○氏のコメントは以前にも増して最悪、何も知らないことを良い事に薄っぺらい言葉を並べるだけで、リアリティ(適切な現状認識)が全く感じられない。

 これはあくまで私見だが、イギリスの有様から冷徹で時に場当たり的なリアリズムを差し引くと、一見ナイーブかつ能天気なお花畑状態が現れる。中東諸国の国境線、現在のパレスチナ問題の原因、一度は示したナチスドイツへの融和的な態度など例には困らない。古○氏の有様はリアリティを伴わないが故に本質的に満開のお花畑、一見したイギリスの有様のようだ。紛争の原因を作ることはあっても、紛争解決には全く役に立たない。本来持ち得る力を言葉に付与する資格も力も全く感じられない。言葉を殺し、全てを他人事として語るだけだ。イギリスやアメリカが時に「良心的」に振る舞えるのは、リアリティに裏付けられた損得勘定ができるが故である。

 古○氏の2時間のしゃべりよりも、1秒にも満たないイギリスのイエス/ノー、ドイツのヤー/ナイン、ロシアのダー/ニエットの方が含む内容が遥かに大きいことは明らかだ・・・と書いてしまったところでイギリス、ドイツ、ロシアに心からの謝罪の言葉を贈ります。

 「あんなのと較べて御免なさい」

2014/07/22

ウォン高進行、いかんともし難し?:破 3.00

 米国の独立記念日とか、サムスン電子の売上減少発表とか、中韓首脳会談とかがあったせいか、今月に入ってからの対ドルウォン相場はウォン安傾向で進行してきた。しかし、それでもなおウォン高要因はあるし、韓国が為替介入する限りはそれで儲けようと考える人間が居なくなる様な値でもまだない。

 ウォン高再進行は先週後半からぐらいからと個人的には読んでいたのだが、先週は目立った動きが無いままで見事に予想は外れた。が、今日9:00から早速動いた。グラフは下ほどウォン高ですよ。

 インドネシア大統領選の結果も固まったようだが、果たして選挙結果は韓国に吉と出るか凶と出るか?まぁ、既に買収済みという声も有るようですが・・・

2014/07/21

イスラエル対ハマス、そしてガザ住民に関する報道を観ていて思うこと

 某報道番組、画面の中の男がもっともらしい事を語っている。が、その内容は薄っぺらく、内容もリアリティ(適切な現状認識)に欠ける。国連に言及する部分と固有名詞を置き換えれば、20年前でも同じことを言えただろうことを保証する。報道と言いながらしょせんその程度のレベルなのだ、楽な商売だと思う。自分が知らないことは他人も知らないかのような薄っぺらい報道内容は、笑うに笑えない低レベル具合だ。イデオロギーに基づく情報の偏向すら正せないのではなく、それにすら気づいていないと思わずにはいられない。

 「反米と米国大統領の行動力の無さへの非難」が両立できるのは朝鮮半島南部の住人だけだと思っていたが、某テレビ局のコメンテーターの中でも両立しているらしい。愚劣、魯鈍なまでの論理性とリアリティの欠如、「考えてる振りをやめろ、知ってる振りやめろ」、と声を大にして言いたい。 せめて、冷戦後のリアリティ、ポスト・パクス・アメリカーナ(ポスト・アメリカ支配による平和)の時代に早く辿りついて欲しい。湾岸戦争後、たかだか20年の遅れなのだが。マスコミはどうしてそんなに中共指導部の時代遅れ具合に歩調を合わせたいのか、と意地悪なことも書きたくなる。

 中共指導部はまるで40年前と2500年前を同時に生きているようで、微笑ましくも極めて迷惑だ。ある米国の軍事アナリストははっきり書いている、曰く「中共のとる孫子の兵法は欧米には通じない、中共はムスリムも仏教徒も理解していない」。今の中共指導部の動きを「孫子」を引いて解釈できるだけの人間が、現在の日本の報道機関にどのくらいいるのだろうか。和訳版なら私は「易経」と同時に中学生時代に読んでるぞ。

 現在の内閣総理大臣は冷戦後のリアリティを理解しているように見える。彼や政権の動きに対する報道がいびつになりがちなのは、明らかに報道側が戦後秩序の枠組みから一歩も踏み出せていないことが大きいように見える。時代は「口を開けて待っている人間の口に平気で石を詰め込む」ものに既になっている。プレイヤーにならなければ他者に蹂躙されて終る。

 挙句の果ては、まるで飲み屋でおっさんが若い女性相手に得意げに浅い知識をひけらかすみたいなシーンまで電波に乗せる始末。そんなこと、天体や宇宙に興味があれば小学生だって知っている。

 ネットの時代、リテラシーのある人間は自分の興味のある分野については詳しい。ソースをきっきっちりと抑えることさえ怠らなければ、私の子供時代ならばもう十分に専門家レベルになれる。近代史に関しては外交資料などが電子的に公開され、面白くてしょうがない。ただし、ネットだけでは絶対勝てない種類の人間も存在する。それは、現地に入り、実態を目にした経験のある人間だ。価値有る報道とは、本来そういう人間によるものだろう。百歩譲っても、コピぺと引用が違うことぐらいはいい加減本質的に理解して欲しい。

 ネット上の情報と新聞やテレビの報道内容と照らし合わせば、後者が如何に洗浄されたものかが良く分かる。それは単に無知の反映であったり、どう考えても意図的な偏向もある。そして昨今良く言われるようになってきた「報道しない自由」という公共の電波を介した一種の暴力行為の存在にも気付く。

 不覚にも、Wikipediaにはかつて期待を持った。だが実態は技術分野でも誤りが多い。FM音声合成とかまだ間違ったままじゃないだろうか。こと近代史においては、完全にプロパンダの戦場である。こういう側面に触れた報道は観たことが無い。自らもプロパガンダの主体なのか、それともプロパガンダに踊らされているのか。単に無知故にプロパガンダか否かの判断もできないのか。もし三つ目ならば、もはや公共の電波を使う資格はない。

ソフトバンクのロボット"Pepper"が気持ち悪くて仕方ない。

 TVコマーシャルにも登場しているロボット"Pepper"が気持ち悪くて仕方ない。理由は全く不明なのだ。生理的に受け付けないというか、非常に邪悪なものを感じてしまう。

 クラウドを背負うことの得体の知れ無さ、つまり「個」じゃないという特異な存在、ってあたりが理解を越えていて不安、或いは信頼できない存在と思えるからかもしれない。やりたいことは分かるけど、近年まれにみる間違ったテクノロジーの使い方じゃないかと思えてくる。「笑いながら人を殺す」ロボット、それも誰かの悪意とは全く無関係に無差別に、への可能性を開く倫理的に既に問題を内在してつつ全く夢の感じられない技術じゃないかなぁ。できるからやった以上のものではないだろう。

 俺のゴーストが囁くんだよ・・・

米軍の新規ジェット練習機候補を較べてみよう。

 まずは英BAEシステムのHawk。原型の設計は結構古いがこなれているのも事実。

 続いて伊アレニア・アエルマッキM-346。Mシリーズも歴史は長くてこなれてる。

 残念ながら候補にはならないだろうけど、露ヤコブレフYak-130も良い仕上がりが期待できそう。

2199劇場版の副題は・・・

 もうどうでも良いと思っているので今日知ることになったという。

 エントリタイトルの件は、「追憶の航海」と「星巡る方舟」だそうです。

 ほんっとーにセンスねぇな、プロじゃねぇな、と思います、少なくとも再構成版に過ぎないなら。

 「箱舟」って、どこをどうひねくり回せば論理的に出てくるのか。あ、「箱舟」が指す先がヤマトじゃなく、かつ先のシリーズには含まれていないエピソードに「箱舟と呼べる船」が出てくるなら別にかまいませんけれどね。でも、そっちの船がメインになっちゃうの?ヤマトには「箱舟」なんて要素は一片もない、百歩譲ってイズモ計画派(非論理的、非現実的無能集団)の妄想に過ぎないじゃないですか。

 「追憶」とか好きだね、ホント。雰囲気でやっちゃうのは○○、それしかできないなのは××な○○。

 きっとあなた方が愛しているのは自分、ヤマトじゃない。

2014/07/20

韓国でもOne Pieceは人気らしい

 んで、韓国のイベント会社が韓国国内で「One Piece展」の開催を予定していたが、
  • 会場側が「旭日旗が描かれているマンガである」ことを理由に開催を拒否
  • 企画側が会場側を告訴、もちろん泣いて訴える
  • ソウルの裁判所で企画側勝訴
  • 会場側はあくまで拒否 ← いまここ。
という展開らしい。ちなみに会場は「戦争博物館」だと言う。 本件に関する2chまとめに目を通していると「韓国の(劣化)パクリ版でエ~やんか」との記述があり、21世紀になってもパクリやってのかとググッてみると成程の結果。
One Piece(ひとかけら)ならぬWa!Peace("わ"は平和の和?)で、OneでもPieceでもねぇのかよってのは想定外。アカンがな、これは。「真面目にぱくれよ」と声を大にして言いたい。

 kちいは本物.かな?
  ついでに引っかかったのが、「らむば(らんば)1/3」・・・

2014/07/19

「東風」Megpoidカバーオルタナティブミックス、リビジョン0

 結局のところ先のバージョン、ミックスとの違いなんてやった人間にしか分からない。先のミックスが「オケではなくインスト有りき」だったのであれば、今回のミックスは「GUMI有りき」と言える。

 「東風」はインスト曲として既に優れているから、曲が組み上がった段階でやっぱり音や音量のバランスを取ってしまう。先のミックスは既にあるインスト曲にGUMIを被せただけ、というのが実態だった。今回のミックスでの考え方は全く逆、GUMIをどん!と中央に据えてから周囲を整えていったという訳だ。

 印象は変わらないと思うけど、音数が減っていることや、ベースやバスドラムといった低音域の音量がかなり抑えられていることはこの種の作業をしたことがある人なら直ぐ分かる筈。もうひとつ気を使ったのは「モノラルにしてもそこそこ聞けること」、AMラジオ放送でもそんなに印象が変わらないものにしたいというイメージだ。これは単なるかつてエアチェック好きだったおっさんのノスタルジーという側面だけでなく、音場を作り込み過ぎずに聞き易くするための予防線という側面をも持っている。

 あと、3:06辺りに明確な違い有り。

忍者女子高生!?ムービー

 Youtubeの某チャンネルから。

 予備知識無しで観た方が絶対面白いと思うよ。

T-50ってさ

"T-50 Golden Eagle"とは韓国国産超音速ジェット練習機である!
最高速度はマッハ1.4、音速の1.4倍ですよ!
  ぱっと見、T-38とF-16のちゃんぽん、新しい様な古い様な微妙な外観。ジェット練習機としては実績のある競合相手が既にある訳で、当初見込んでいた海外セールスには苦労しているようです。

 不幸にして世界の趨勢は「ジェット練習機に超音速飛行能力は不要」なんですよ。マーケティング的にははっきり言って大失敗。

 ちなみに、日本では三菱T-2(既に退役)で国産超音速練習機(エンジンは残念、米国製ライセンス生産品)は打ち止め。現役のジェット練習機は最高速度マッハ0.9程度ですがエンジン含めて純国産の川崎T-4となってます。 エンジンも2機搭載で、故障で1機止まっても大丈夫。

 畳みかけると、T-50の開発開始が1992年ごろに対してT-4は1982年ご・・・あ、開発開始段階で世界の趨勢から外れていた、顧客が望めないことが約束されていたと言い切っても問題ないでしょう

 で、ちょっと改造すると攻撃機にもできますよ、攻撃機バージョンもありまっせって事なのだが、こちらもセールスはきつそう。

 まず、単発(エンジン1機)なのが致命的、近接地上支援任務なんかに従事したら個人携帯対空ミサイルのいい的で、かつ命中してエンジンが破損すれば即墜落です。小型攻撃機の購入をお考えの方にはこちらではなく、スホーイSu-25を強くお勧めします。エンジンは2機で、現在のバージョンならエンジンの間にチタン装甲板がもれなくついてくるので、個人携帯対空ミサイルぐらいならエンジン被害は1機のみに抑えることができます。コクピット周囲もチタン製装甲が設けられています。パイロットの生存率、帰還率の高さはアフガニスタンで既に実証済みですし。

 これは完全に詰んでますな。ですが、話はこれで終わりではないんですよ。

 公表されているT-50の生産分担の実に55%が米国ロッキード・マーティン社、つまり話半分にしても韓国国産とは言えないのが実態、海外輸出できても売り上げの半分以上が韓国国外に行くんだそうです。 更に追い打ちは続きます。赤字に苦しむ韓国政府はなんと、T-50に輸入関税を遡及的に(過去に遡って)課すに至り、「国産」練習機は一転、晴れて「輸入品」と国から認定されました(ソース元失念)。

 という訳で、現在のT-50の立ち位置は「国産と呼びたい人は国産と呼び、輸入品と呼びたい人は輸入品と呼ぶ」という韓国にありがちなものとなっています。いわゆる平壌運転状態、蝙蝠なのは外交だけじゃないということですね。

 はぁ、これで終わり・・・ではないのが「Kの法則」の凄いところ

 知ってる人は知っている、今T-50と言えば世界的にはスホーイPAK-FA以外はあり得ません。ステルス、アジャイル(高機動)、ヴァーサタイル(多用途)の三拍子が程良くミックスされた機体、という評価がほぼ固まりつつあるようですね。
  お後が宜しいようで。

 (画像ソースはともにWikipedia)


追記:2014/07/20

 実はそれでもまだ終っていなかった!なんとタイムリーな!な!

 中国XINHUA.JP記事、「米軍が100億ドルを拠出して韓国の戦闘機350機を購入する計画―韓国紙」。信じるか信じないかは(以下略)。
中国紙・環球時報は18日、「韓国メディア、『米軍が100億ドルを拠出して韓国の戦闘機350機を購入する計画』」と題した記事を掲載した。

18 日付の韓国紙・釜山日報は、韓国が独自開発・生産したTA-50戦闘機を米海軍が導入する計画だと報じた。韓国航空宇宙産業(KAI)が18日に明かした ところによると、導入計画を主導する米空軍チームが17日午前、韓国空軍第16戦闘航空団を訪れ、韓国国産戦闘機TA-50を実際に体験し、性能を確認し た。

15日には米空軍が派遣したチームが韓国防衛事業庁、第16戦闘航空団、空軍軍需司令部を相次いで訪れ、T-50戦闘機の飛行訓練の成果を考察、運行費用などを確認した。韓国側はT-50戦闘機の優れた性能と先進的な装備を紹介した。

TA-50 はT-50を基に韓国が独自に開発・製造した強撃機。韓国KAIによると、米空軍がTA-50戦闘機を導入した場合、韓国に100億ドルの経済効果がもた らされる。米国は現在使用中のT-38C戦闘機の後継として、韓国の国産機を350機導入する計画だと記事は伝えている。

2014/07/16

自衛隊、フランス革命記念日の軍事パレード参加のニュースでちょっと思ったこと

 本日も止めどなく。

 7/14にパリで開催されたフランス革命記念日の軍事パレードに、陸上自衛隊が初めて参加した。これはフランスに招きによる。日本(当時は大日本帝国)が第一世界大戦で日英同盟に基づいて連合国の一員であったことが理由だそうだが、この種の歴史的事実は国内では十分に周知されているとは言えない。私見だが、歴史的事実を取捨選択した時点で、「歴史観」は「自由に対する絶対悪」である。

 まず、「集団的自衛権の行使容認」が「他国の戦争に巻き込まれる可能性を高める可能性」について。上記の第一次世界大戦の件を踏まえると、確かにその可能性は否定できない。しかし、それは「集団的自衛権の行使容認」とはいったん切り離すのが論理的な姿勢というものだ。むしろ考えなければならないのは、「同盟の有効性」或いは「同盟のメリット・デメリット」である。

 第一次世界大戦というのは発端に関しては不思議な「大」戦争で、 民族主義者によるテロに端を発する。つまり、元々国対国の話ではないのだ。が、「テロ実行勢力が存在する国」に対して「国が宣戦布告して」以降、複雑な同盟のネットワークによって論理的帰結としてドミノ倒しの如く自動的に列強各国は2大勢力に分割されることになった。そして、極東の島国も同盟に基づいて参戦することになったのだ。

 第一次世界大戦前の同盟はいわば平時の同盟、特定の国家群が特定の国家を封じ込めるべく構成されたものである。後で出てくるからもう書いちゃうけど、封じ込めの対象国のひとつはドイツ(当時はドイツ帝国)である。 ドイツは露仏同盟で東西を挟まれていたため、ロシア或いはフランスが戦争準備を始めた時点で軍事行動を開始することを事前に決定していた。その状態で、ロシア(当時はロシア帝国)が参戦した。ドイツは当初の計画通りにベルギー経由でのフランス攻撃を開始、ベルギーと同盟関係にあった英国が参戦、で日本も参戦という具合である。

 同盟というのは戦争勃発の抑止力ともなるが、同時に戦争勃発後は強制力を持つ。だから、「同盟が他国の戦争に巻き込まれる原因となり得る」という言説は正しい。「集団的自衛権の行使容認」と「他国の戦争に巻き込まれる可能性を高める可能性」とが繋がるためには、例えば「同盟」といった別の因子が挟まる必要があると考えるのが妥当だ。

 「論理の飛躍」と「思考停止」は端から見ている限りはほとんど区別できない。が、それ故に相容れない意見の衝突にあたっては、論理的な対話が必要だ。むろん「話せば分かる」なんて言いたい訳じゃない。○○、××、嘘つき、ナルシスト、STAPな人などを選別せよ、ということだ。

 強国を間に挟んだ同盟は危険、これが私の認識だ。結局、軍事的な同盟はNATO(北大西洋条約機構)やかつてのワルシャワ条約機構といった多国間、地域的同盟に移行した。本来は国連がそのような機能を持つことが期待されるのだが、常任理事国の構成や事務総長の無能ぶりから全く期待できない。

  次いで、ドイツ。私の把握している限り、現在のドイツにあっても反日の素地がある半面、親日要因はほとんどない。むしろ、ドイツは歴史的には反日国だろう。近代に限っても、第一次世界大戦で戦火を交えている。第二次世界大戦だって「アーリア人種とは無関係」な日本人なんかナチスから見ればどうでも良い存在だったろう。挙句の果てにはロシア、満州経由の欧州から米国へのユダヤ人脱出を日本は軍、国を挙げて支援している。中道はともかく、右派、左派ともに反日か、親中親朝鮮(結果として反日)だ。

 第一次世界大戦参戦後、日本は東南アジア地域のドイツ領を引き継ぐという密約を他連合国から得た。密約の見返りとしてか、海軍は輸送船団護衛に艦隊を地中海に派遣、潜水艦との戦闘などで戦死者も出している。このとき、海軍は東南シナ海、太平洋南部、インド洋、地中海と非常に広範囲に展開している。一方、陸軍の欧州派兵は「国益に直接関与しない外征に参加させることはできない」と最後まで拒絶した。

 「国益」という言葉は、「国体」と並んで戦後しばらく忘れられていた言葉である。言語に頼らない純粋な非言語による思考、それが可能かを疑う人は新しい哲学用語が次々と現れることの意味を考えて欲しい、は実は結構難しい。これは「非言語による思考ができないのは駄目」と言いたいのではなく、「思考内容が言語によって制限されることがある」と言いたいに過ぎない。つまり「国益」という言葉と、その言葉が指す概念が忘れらた状態では、「国益」に対応する概念の「言語化」に無駄なエネルギーを注ぐことが不可避となる、ということだ。時間が有限な中で、それは極めて効率が悪い。

 おそらく現在の「国益」の大まかなコンセンサスは、「国民の生命、財産を守り、国体を維持する」だろう。前者についてはほとんど異論はないだろうが、後者については色んな考え方があって良い。現在の日本において、思想、信条、さらに心情の自由とその発露は基本的に許されている。

 「集団的自衛権の行使容認」は確かに戦後日本の政治的、軍事的転換点と言えると思う。が、真に実効的(practical)な部分は、それに続く「国益」乃至は「それに対応するもの」と「同盟の意味」を考え、言語化して定義し、実行することにあると思うのだ。

2014/07/15

「ゴジラ(1984)」、やっぱり凄い

 TVで絶賛?放映中。予備知識ゼロで当時劇場で感じたあれらを追体験するのかな、と思うと非常に遺憾、でも取り敢えず流しっぱなしにしておきましょう。

 まずは小六禮次郎さんの音楽。ゴジラ映画としてはキャッチ―さに欠けてもう二つぐらい、凄く残念。

 飛び跳ねる巨大フナムシ・・・スーパーX登場の伏線?!あのフナムシはいかん、凄いばかりにいかんですなぁ。

 実はスーパーX登場にずっこけたクチ、カドニウム弾にもびっくり、なんじゃこのゴジラは・・・って話ですよ。まぁ、登場人物の語りで伏線張りまくりではあるんですが。ちなみに「富士一號」って書いて分かる人はどのくらいいるのかな?

 「爆発!中野」こと特技監督・中野昭慶さんの爆発は健在、つまり爆発し過ぎさせ過ぎ。凄いねぇ。

 ゴジラが海から埠頭の自衛隊を一気に粉砕するシーンは「新ゴジラとは如何なる存在か」を伝える割と出来の良いシーンだとは思うのだが、もうちょっとカメラ位置が低い方が良いんじゃないかなぁ・・・中野さんにはキャメラマン的な感性が乏しかったのだろうか、というのが当時からの思いだ。カット割、アングルだけじゃなく、ライティングやフィルム発色特性にさえ無頓着だったのではないかとすら思う。当時のフィルムはそれ以前のフィルムと較べて青色がちゃんと出るようになっていたから、夜間シーンでも影に青~白色が乗ってしまって全体的に明るくなってしまうのだ。

 シナリオも微妙、散漫な印象だ。「日本沈没」的な登場人物毎のストーリーの並置でほぼいっぱいいっぱいのところに来て、ゴジラが加わる。難しいのは良く分かるんだけどね・・・田所博士、もとい一国の総理ともあろう方がそこで泣いてはいけませぬ。

 如何にも80年代な風俗、光景はご愛嬌。駄作じゃないけど傑作でもない。「もちっとどうにかなったんじゃないか感がハンパない」という意味で凄い一品。あ、カメオ出演ってのはやっぱり素人くさくてウザいですなぁ。

2014/07/13

ドイツのチャレンジは続く

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「ドイツ、再生可能エネルギー新法が成立」。

 以前のエントリで触れたことがあるけど、ドイツは再生可能エネルギーの導入促進、脱原発、炭酸ガス排出低減といった政策の結果、電気料金が高い。これに対して企業は自家発電設備の導入が進んだ。高い電気料金の下では工業製品の価格競争力が維持できないからだ。 本当は上手くないのだが、短い記事なので全文引用しよう。

【ベルリン】再生可能エネルギーをめぐるドイツの野心的な法案が11日、連邦参議院(上院)を通過した。ドイツはこれにより、原子力発電や化石燃料を使った火力発電の減少による影響の緩和を目指す。

連邦参議院は数カ月にわたる激しい議論を経て法案を可決した。予定通り8月1日に施行される見通しだ。

欧州委員会は当初、ドイツ政府の目指す改革に反対の立場を表明していた。だが9日にこの件で調査を終え、ドイツ政府が一部の修正に応じたことも考慮して異議を撤回した。

新たな制度の下、再生可能エネルギーへの補助金は引き下げられる。一方でより幅広い企業に賦課金の負担を求め、補助金の資金源を補強する。これまではエネルギー集約型産業や自ら発電して消費電力を賄う企業が賦課金の支払いを免れていた。

欧州委員会の意向を受けたドイツ政府は今週、再生可能エネルギーを輸入する外国企業に、国内で発電する事業者と同じ条件を適用することを決めた。

今後は自家発電する企業が賦課金の支払いを通じ、再生可能エネルギー支援基金に貢献することになる。また欧州委員会が2013年から14年にかけての補助金が不公平だったと指摘したことを踏まえ、350社がいったんは受け取った総額3000万ユーロ(約41億円)を基金へ払い戻す。

 記事のトーンはポジティブだが、ドイツ国内に製造基盤を持つ企業にとってこの法律は後出しじゃんけん以外の何物でもないだろう。企業の自家発電設備所有はいわば従来の法の抜け穴を利用した価格競争力維持の努力であった訳だが、新法によってその努力は基本的に無効となる公算が高い。再生可能エネルギーの価格も上がり、一般家庭向け電気料金も上がることはあっても下がることはない。で、これらは明確な政府による市場介入だ。

 政府による市場介入自体は否定しない。が、本法は企業にとっては二重、三重に悪夢だ。

 まず、先に触れたように自家発電設備への投資が100%ではないものの無駄になること、次いで本法の成立で「将来政策の不可実性の高さ」がリスクとして明確になったことである。後者は実はマインドとして重要で、「無駄になるかも、政策変更でご破算にされるかも」という可能性がある、「不安」があると、企業としては投資を躊躇せざるを得なくなる。この種のリスクを低減、或いは払拭する一つの方法は、生産拠点をドイツ国外に移すことである。企業人に対しては置いておくとしても、純然たる企業活動に利益より倫理を求めることはフェア(公正)ではない。

 何度でも繰り返すが、ドイツの現在のエネルギー政策は完全に無理筋、常識的には上手くいくはずがないものである。それ故に私はそれを「チャレンジ」と呼ぶ。その思いは以前として変わらず、報道された新法の内容はその思いを更に強くさせる。

2014/07/12

本日の旭日旗

 サムスン製ケータイ用のカバーらしいです。それが本当なら全く意味不明、韓国製ならこれは親日罪認定確実、韓国外ならばGJ!綴りも2種類あるしね、ちょっとパチもんっぽい。

「報道特集」で技術実証機「心神」報道

 エントリタイトルの通り、自衛隊の技術実証機「心神」に関するTV報道があった。紹介は「ステルス技術」と「高機動技術」にフォーカス、他の技術には触れられなかった。分かり易さ、時間の制限からは仕方無かったのか、自衛隊側からの制限があったのか、それとも報道する側に何らかの意図があってのことなのか、こういう分野に多少なりとも興味がある人達となら常識として共有されているだろう幾つかの事項に全く言及がなかった。

 まぁ、報道する側もされる側も意図がある筈だ。その辺りを推定するのも楽しいっちゃ楽しい。これは推定すること自体が楽しいのではなくて、「1年後、3年後にこういう事が起こる筈」を積み上げておいて実際その通りになるかを見守るところに面白さがある。ぶっちゃけ、「技術実証機に関する踏みこんだ一般向け報道はNHKが最初、今年8月辺り」と読んでいた身としては、「何故そうならなかったのか」と言う点に関する「一人反省会」が必要だ。

 報道では「心神」という呼称はついに登場しなかった。ここ半年程は朝鮮半島と米、中の情報トレースにフォーカスしてきたから、実は「心神」周りの情報は積極的には漁ってこなかった。この辺りをなんとか説明できるようなコンテクスト(文脈)が自分の中に無いのは気持ち悪い。技術実証機でも命名式みたいなものをやります、なんて話なら分かり易いのだが。

 報道VTRでは「ゼロからの独自開発は技術者の悲願」というような視点がかなり強調されていて、ケレン味のない「プロジェクトX]の前半部だけみたいな雰囲気があった。正直、観ていて「変な報道内容だな」という思いに囚われ続けた。要は「何故、今、技術実証機なのか」という「何故」の部分に全く踏み込まないのだ。つまり「心神」の流れを組み込んだビッグピクチャー(全体像)に繋がる部分に全く触れなかったのだ。本来の報道、というものは良くも悪くもそこに踏み込まなければならないんじゃないだろうか。

 上記の点の裏返しのように、VTR後のスタジオで次のように語られる。

 「技術者の悲願、といったまるで美談のように認識することは危険。『何故、そのような技術を開発する必要があるのか』という国民的議論も無いまま税金が投入されている状態はおかしい」

 でも、報道VTRを放送したのも、スタジオでのそういう発言を放送したのも同一の報道機関だ。このような第三者的な発言が出ることは、まず結論ありきの偏向、或いは提灯報道ではあり得ない。真っ当な報道であれば尚更あり得ない。可能性は幾つでも考えられる。
  • 自衛隊は取材は許可したが、報道VTRにも口を出した。自衛隊の意図が強く反映されたVTRに対して、嫌味が口をついて出た。たとえそうであっても、自衛隊側の意図は、情報統制の視点、報道機関の反応調査の視点など見方によって幾らでも考えられる。対中メッセージの可能性だってある。
  • 最後の発言を電波に乗せたいため、報道VTRをわざと「技術者の悲願」路線にした。これは誘導のための偏向報道のそしりを免れない。
  • 原因部分が上記2点のミックス、つまり、大人の事情による制限から自衛隊と報道機関が同床異夢状態となった。つまり、たまたま。
  • 報道VTRの編集が実は「実質的に」自衛隊によるものだった。報道VTRが報道機関局外の会社、組織によって編集され、報道機関は内容に口を出せなかった。情報管制の観点からは、報道機関本体より、資本規模が小さくて目立たない下請け業者に手を回した方が費用対効果が大きいように思われる。実際のところ、下請け会社(製作専門会社)無くして現在のような番組の増産体制は維持できないだろう。極端な話、自衛隊、政府による報道管制のテストケースであった可能性。
  • 報道機関内が様々な外圧により分裂状態にある、陽的に分裂工作が行われている。自衛隊や政府がその報道機関の分裂状態を図るために観測気球を上げた、或いは報道機関を使ってカウンターインテリジェンスを仕掛けた。それとも…怖ぇぇっ
実際はどうだったのかなぁ…

2014/07/10

New Order/Bizarre Love Triangleのビデオクリップ

 "New Order"の楽曲"Bizarre Love Triangle"はマイエバーグリーン。ちなみに、これ以外で"New Order"の好きな楽曲は無い(笑)まぁこの手のパターンは、"Public Image Limited"の"This Is Not A Love Song"とか、"The Flying Lizards"の"Money"とか、"M"の"Pop Musik"とか、実は少なくないと言う(笑)
 
 ひょんな拍子からオフィシャルのビデオクリップをYoutubeで発見、自分の為に貼っておこう 。このビデオクリップに関しては、当時ピーター・バラカンさんが絶賛していたことが印象深かったなぁ・・・
 で、 ビデオクリップでは楽曲には無い男女の会話シーンが挿入されてます。雰囲気と不真面目具合を優先するとこんな感じの会話ですよということで、興味を持った奇特な方は2:48辺りだけ聞いて下され。女性の言葉をより正確に訳せば「私は生まれ変わり(リインカーネーション)なんて信じない。何故って虫(バグ)や兎なんかとしてこの世に戻って来るなんてご免だわ!」って感じかなぁ。

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 関連エントリ:SynthMasterの買い方

2014/07/08

「ゴジラ」、やっぱり上手い

 映画「ゴジラ(昭和29年)」を初めて観たのはかれこれ30年近く前、自宅近くの小さな映画館(おそらく20席以下)を貸し切り状態(つまり客は私だけ)でのことだ。当時もとっても感心したのだが、今TVで観ながらそれを追体験している。

 何が感心するって、まずカットのつなぎ方が出色だ。単に画をつなぐという話ではなく、つなぎ部分の音響効果や音楽も計算されたものだろう。暗転、ゴジラの鳴き声、着陸した飛行機のカットへといったつなぎ方は実に見事だ。ワイプかフェードか、カットのつなぎ方の選択にも文脈、明確な意図が感じられる。とにかくワイプ、というジョージ・ルーカス氏の作風と全く違う。モンタージュによるカットの切り替えタイミングは総じて早めで、人や乗り物の移動感を殺さず、極めてリズミカルである。その代わり、時間の経過はカットの切り替えを使って効率良く(?)省略されている。

 カット自体も、静止画的なものか登場人物などの移動を追うものかなどの区別が明確で、よく吟味されていると思う。移動や撮像対象の配置には左右だけでなく奥行き方向も使う。このようなカット構成は結果として「カメラの存在」を観ている側に強く意識させる。本多猪四郎監督のタッチはドキュメンタリーのそれに近いと言われるが、「カメラの存在」とドキュメンタリーは不可分だ。ただし、カメラそのものの動きは限定的というか、おそらく最小限に抑えられている。「如何にも手持ちカメラ風」のぶれが加われば、10年程前に流行った私が大嫌いな「ドキュメンタリー風の絵作り」に極めて近い風合いになるだろう。

 それをやらないのが「品格」というものだ。

 特殊撮影を担当した円谷英二氏がキャメラマン出身というのもポイントだ。特殊撮影カットも本編と類似した「品格」を備えている。これは本作品にとってとても幸せなことだ。

 伊福部昭氏の音楽自体、音楽作品に対する評価を近年良く耳にするようになったのは嬉しい限り。同時期の劇音作家の中では突出してリズム重視の作風と言える。メインタイトルの楽譜にゴジラの足音や鳴き声のタイミングまで書かれていたのは有名な話だが、映画が総合芸術たらんとすればこの種のこだわりは必須だろう。映画「日本誕生」や「わんぱく王子の大蛇退治」に見られる画と音楽の見事な同期、それらが産み出す相乗効果は圧巻だ。

 さて、「ゴジラ」の放送も終ろうとしている。

 最後に原作の香山滋氏に少し触れておきたい。香山滋氏は今ならばホラーとミステリの境界領域、かつて変格探偵物と呼ばれた分野の作家だ。80年代後半にこの分野の再評価ムーブメントがあり、復刻版の発売や古本屋周りの甲斐あって彼の作品はほぼ全作読んでいる。

 劇中、古生物学者の山根博士が「200万年前のジュラ紀」と発言する。が、実際のジュラ紀は約1億5000万年前であり、200万年前は石器時代である。このようなケアレスミスを香山氏が犯すとは考えにくい、むしろ意図的と見做すべきだろう。比較的受け入れられている解釈は、「ゴジラは人類そのもの、核兵器を作り自らの生存すら脅かす特異な生き物のメタファー」というものだ。香山氏の作風は良く言えばロマンチック、時に過剰なまでに感傷的、悲観的だ。「ゴジラが核兵器ではなく人類そのもののメタファー」という視点に立つと、ラストの山根博士のセリフの意味合いも違って聞こえないかな?

2014/07/07

米国の「失望」、キャンペーンが始まってるかも:||???

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「【オピニオン】なぜ日本の軍事シフトは韓国にとって必要か」。

 大した事は書かれていない。タイトルから予測できる常識的な普通の内容だ。だが、知っている人なら、執筆者がランド研究所(米国のシンクタンクのひとつ)のアナリストだというだけで直ぐに記事の意図を察することもできよう。

 米国は世論誘導にシンクタンクの「見解」を良く使う。と言うより、世論誘導もシンクタンクに求められる役割なのだろう。米国ないしは米軍の意図がどの辺りにあるか推定するのも一興かと思う。書かれていないこと(記事中で触れられていない国とか)も重要、かもね。

2014/07/06

「集団的自衛権の行使容認のメリット、デメリットが分からない」って・・・

 点けっぱなしのTVの報道番組で「集団的自衛権の行使容認のメリット、デメリットが分からない人40%」とかやっている。実際に、「集団的自衛権の行使容認のメリット、デメリットが分からない」なんてインタビューに答える人なんかが映し出されている。

  馬鹿か? 「集団的自衛権の行使容認を自国、友好国にとってメリットあるもの」にしていくことが単に求められているだけで、「集団的自衛権の行使容認決定」自体は日本人にとっては特にメリットもデメリットもないぞ。

  韓国や中共に限っては、現政権の他の動きと合わせて様々なメッセージにはなっているようだけどね。あと、国内の××や○○のあぶり出しとか。 TV報道だけでも具体的に色々と分かったね(笑)

  首相に「メリット、デメリットをちゃんと説明せよ」という解説者の説明はおかしい。日本の主権者は有権者である国民だ。国民が思考停止してどうする。「自分の命にも関わりかねない事案への対応方法について、主体的に選べる選択肢が増えたんだぞ」って捉えられんのかね。

 「行使できるけど行使しない」っていう状態、つまり現状維持すらも明確に「主体的な選択対象」になったんだ。例え現状維持という結論に結局なったとしても、それが主体的な選択なら「与えられた/従わされた」状態とは本質的に違うんじゃないの?

 「主体的選択に対してフリーハンドを確保する」ことの重要さ、裏を返すと「フリーハンドを自ら縛るとどうなるか」は、韓国の現状や最近の日朝間の動きなどを見れば幾分でも分かろうもの。歴史はもちろん、現代のリアリティ (現実)もしっかり直視していきましょうよ。

  まぁ、海外関係諸国への言外のメッセージを首相や政府要人が口にすることは、日本にとってデメリットはあってもメリットは全くない。外交としては正解、内政にあっては「思考停止者発見メカニズム」、「○○、××発見メカニズム」として十二分に機能している。先の記述内容とは矛盾するけど、後者はちょっとリスクは伴うものの実は大きなメリットと見做せなくもない。「考えている人」、「自ら調べることをいとわない人」には言わずもがななんだろうけどさ。

 現首相の動きは実に素早い。だからこそ、それぞれの事案を単独で捉えようとするのではなく、それらが全体像(ビッグピクチャー)のどこのピースなのかという視点無くして、すなわち自ら考えることなくして、その動きを追い続けることはできないのは明らかだ。もちろん、無批判に現政権の全てを受け入れるなんて愚も犯さないようにしなければならないよ。個人的には内政に対して苦言のひとつやふたつはあるし、国益の観点から現行内閣人事が幾つかの爆弾を抱えているのも確か。

  幸いにして、報道は「今後の法整備に関する国会議論を国民は注視していく必要がある」と結ばれた。なんとか品位は保てたようで良かったね。

2014/07/05

オクラホマ州の地震急増、原因は?

 本ブログのエントリ内容をフォローしている奇特な方なら、私が「シェールガス/オイル革命」に極めて懐疑的だということは知っていると思う。より正確を期すならば、資源としてのシェールガス/オイルは否定しないが、安いという経済メリットに対して採掘に伴う環境破壊リスクが過小評価されているのではないかという懸念は未だ拭えない。むしろ、私の懸念を後押しするような報道が目につくようになってきた気もしなくない。

 経済性については、「当初見込んだ採掘コストが低すぎた」ことも原因とする問題に供給業界全体が苦しんでいるらしい。要は、現時点のシェールガス/オイルの市場価格が採掘・精製・輸送コストに比して不当に低く、構造的に儲からなくなっているらしい。

 ご存じの通り、発電などのエネルギー用途の化石燃料の供給価格は、実際の供給に先立つ2年ほど前に契約で決めてしまう。だから現在供給されているシェールガス/オイルの価格は、実はほぼ商用規模での供給実績がない段階で決められた値ということになる。「当初見込んだ採掘コストが低すぎた」となれば、それはダイレクトに適正価格と実際の価格との差として表れてしまう。従ってシェールガス/オイルの市場価格調整は更に年単位の期間が必要だが、天然ガス価格の低迷などもあっておいそれとは価格を上げにくい状況となっているのだそうだ。

 「シェールガス革命」には、低コストな採掘手法「岩盤破砕法」の実用化の寄与が大きい。この手法はシェールガスを含む岩盤層に高圧水を注入して岩盤を砕くとともに発生したガスを水ととともに回収する方法だ。ちょっと考えれば分かるように、これは岩盤をひびだらけにしてそのまま放置するということを意味する。もうかれこれ3年程前の報道で、「岩盤破砕法」によって地下水脈の流れが完全に変わってしまったというものがあった。より具体的に触れると、シェールガス採掘場に隣接する一般家庭や農家の水蛇口から可燃性ガスが出るようになったり、何にも出なくなったりしたということだ。地下水を使っていた大規模農場は経営危機、が、「因果関係が明確ではない」ということでシェールガス採掘業者の責任も問われていないとか、かなりしっちゃっかめっちゃかな話だった。続報が無いので現在その辺りがどうなったのかは不明だが、展開によっては「採掘場近隣住民、農場へ落とすお金」もシェールガスのコストに上乗せせざるを得ない状況になっている可能性もある。

 で、これは最近の報道。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「米オクラホマ州の地震急増、石油とガス掘削が関連」から。
米中部オクラホマ州で最近、マグニチュードが低い地震が急増しているが、科学者たちは、これは石油と天然ガス掘削によって生じた膨大な量の廃水を地下処分していることが引き金になっている公算が大きいとの見方を示している。

オクラホマ州では地震はこれまでまれにしか発生していなかった。2008年以前には、同州でマグニチュード3以上の地震は毎年わずか1回程度だった。ところが、今年これまでに、同州ではこの規模の地震が230回発生している。これはカリフォルニア州で記録された地震数を上回っている。
 原因が「岩盤破砕法」を含むかどうかは記事からは分からないが、採掘自体が無視できない新たな社会的リスク源になっている可能性を示唆する内容であることは間違いない。

 シェールとは関係ないけど、米国カリフォルニアには太陽はあっても地上に水がほとんど無い。だからカリフォルニアの農場では地下水を汲み上げて使うことになる。が、地下水の汲み上げ量が増加した結果、1990年代には地下水位が低下してカリフォルニアの農業地域全域に渡って地下空洞が広がっているとの研究結果が出されたことがある。

 岩盤破砕、地下空洞の形成は、すくなくともこれまでは単独では地上に悪影響を及ぼしてきていないように見える。が、どちらも規模は大きくなっていくし、やがて重畳することもあるかもしれない。自然災害というのは概して「1+1が10や100になる」ものだ。リスクコミュニケーションが必要なのは原子力だけじゃない。

追記(2014/7/6):

 やはりウォール・ストリート・ジャーナルから、「ドイツ、シェールガス採掘を停止へ―7年後に再検討」 。
ドイツは今後7年間にわたってシェールガスの採掘を停止する。採掘によって地下水が汚染されるとの懸念を受けた措置。

ヘンドリクス環境相は4日、「ドイツでは当面、(シェールガスの)フラッキングは行われない」と述べた。

2014/07/04

お勧め、ナンバタタンのアルバム「ガールズ・レテル・トーク」

 何周遅れだよ、というエントリタイトル通りのお話。

 何時からか、アルバム(音楽ね)全体でも一つの作品、と思えるものに出会えなくなった。

 LPレコード(直径30cm)の、A面、B面の存在とか、頑張ってもトータルで1時間にちょっと足らない収録時間とかには魔法がかかっていたのかも知れない。CDの収録可能時間は連続した70分超だが、案外このあたりが「アルバムの作品化」という行為を殺す要因だったりするのかも、と言うことだ。そして今や楽曲の流通は楽曲単位のデジタルデータが主流となり、「アルバム」という概念すら失われつつ・・・いや、媒体の仕様に依存した収録時間の制約がなくなった現在こそ、CDの登場で失われた「アルバムという作品」の復活・・・なんてことにならないかなぁ・・・とか真面目に日々考えてる訳です。

 で、ナンバタタンのアルバム「ガールズ・レテル・トーク」は、昨今にあっては極めて「単一の作品」感が強い一品。

 こういうものは何回も聞くことでじわじわと効いてくる、見えてくる。途中に1曲でもダレた楽曲が入れば即破綻、デジタル音楽プレーヤーの時代にあっては「アルバム」としては再生されなくなってしまう。本エントリの内容が周回遅れの理由のひとつは、「アルバムとしての作品性はじわじわ効いてくる」ものだから、とはっきり言い訳してしまおう。

 ちなみにこのアルバムの再生時間は合計で29分46秒、レコード盤の時代でもちょっと短いかなという長さだが、CD全盛期にあってはよっぽどアーチスト側に力がないとあり得ない長さとも言える。なんたって、収録可能時間の半分も使わないことになるんだから。裏を返せば、CD全盛期というのは「どうでも良い楽曲が量産された時代」だったのかもね。

 閑話休題。

 トータルの再生時間の短さは、本アルバムではかなり意図的なもの、というかアーチストの立場からはこの長さしかなかったんじゃないかと思う。足すものも引くものもない、高純度の作品群にして単一の作品ではないか、ということだ。楽曲個々については好き嫌いもあるから触れないが、アルバムタイトルにも含まれている「ズレてる」がおそらく全楽曲に共通するキーワードで、とにかくそれが徹底されているのがまず心地良いのだ。

 私としては、この「ズレてる」感を敢えて「それはアカンやろ」感と呼びたい。歌詞で語られる状況、その状況に対する歌詞における主体の反応ともに「それはアカンやろ」感がそこはかとなく漂う。うっすらとした「それはアカンやろ」感が次から次へと折り重なっていく、それがアルバム「ガールズ・レテル・トーク」を聞いての印象なのだ。

 しかも、その「それはアカンやろ」感は「不思議ちゃん的」なそれではなくて、と言っても「現実的」と呼ぶのも憚られる、より主観的な「日常的」とでも呼ぶべきそれなのだ。つまり、実生活ではするっと流してしまうような日常に潜む微かなズレ、或いは「まぁ、実際そんなもんだよねぇ」と笑って済ませて当人も気付かないズレ、とでも呼ぶべきものが誇張されることもなくそのまんま次々と現れるのだ。だが、ひとつひとつのズレが幾ら微かなものであっても、多数重なってくると馬鹿にできないズレとなる、「それはアカンやろ」感は無限大へと向かう。「新聞紙1枚でも折りたためればで月にも届く厚みになる」みたいなもんだ。

 と、ここまでは大絶賛なのだが、それ故に「ナンバタタン」としての今後はどうなの?と思わずにはいられない。

 「ナンバタタン」自体がパーマネントなユニットでない様なので気にしてもしょうがないのだろうが、「次」のハードルはおそろしく高い。 もし「ナンバタタン」としての引き出しが「ガールズ・レテル・トーク」で結実したものしか無いのなら、次は期待しちゃいけない。デビューアルバムは良かったのになぁ・・・というアーチストに事欠かない原因のひとつもそんなところにあると思う。引き出しが一つしかないのであれば一番最初が高純度なのは明らか、自作以降は文字通り蛇足にしかならない。さて、次はあるんでしょうかねぇ?

 ナンバタタンの楽曲が気になったならまずは聞いてみよう。

2014/07/03

アジアワッチ特別編:「反日」の正体が一瞬見えたような…(その3)

  本当はもうちょっと色々書くつもりだったんだけど、如何せん日本周辺の国際状況の変化が早すぎる。従って最低限言いたいことだけ記すことで、本シリーズを取り敢えず終わりとしたい。と言っても、「鋭い分析!」「新しい視点!」なんてものは存在しないからね、済まぬ。


 さて、未だにこんな事([東京小考] 三兄弟、長い葛藤の物語)を書く人(若宮啓文氏 日本国際交流センター・シニアフェロー 前朝日新聞主筆)が居て本当に困る。

 その件は1400年以上前に終わらせたのが日本(当時は倭国)だ。

 先人の苦労や知恵を無視し、まるでそれらが無かった様な振る舞いは、私の感覚からすれば「侮辱的」とも見える。

 西暦607年の第二回遣隋使が携えた国書には、「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)との記述があったと伝えられている。ここで重要な点は、「天子=皇帝(天皇)」であることだ。

 中華思想に基づく所謂「冊封体制」において、天の象徴たる「皇帝」は「中華を統べる天子」以外には存在しない。「冊封体制」とは、周辺地域を中華国家が直接支配するのではなく、周辺地域の支配者を一国の「王」と「中華の天子が認める」ことで権威付けし、対価として貢物(朝貢)を求めるという間接支配体制である。「冊封体制」における「属国」とは、「中華国家の天子が認めた王が治める国」ということになる。ここでは「天子=皇帝」-「王達」という明確なヒエラルキーが存在し、その頂点たる「天子=皇帝」は唯一絶対の存在となる。

 故に、日本(大和朝廷)が自国の王を「天子=皇帝」と称することは、中華思想或いは冊封体制の否定、これら枠組みからの明確な離脱の意思を示したも同然だ。別の言い方をすれば、「日本は中国の属国ではない」と宣言したと言ってよい。(韓国マスコミなどが天皇陛下を「日王」と表現することは、その地位や立場を一段貶めるというニュアンスを含んでいると見做されても仕方ない。時代が時代ならば、これは立派な宣戦布告や国交断交の理由とできるレベルの事案だ。日本人は「不勉強による無知」に対して全般的に甘すぎるのではないかという気もする。)

 なにぶん古い話なので真実が何処にあるかは正直分からない。 「大和朝廷は地理的に辺境であったことを利用し、(冊封体制に則った)礼儀を知らないふりをした」と論ずる人も居る。が、日本が自国の王を「天子」と称し、それをその後も貫いたのは歴史的事実だろう。辺境、という地政学的なアドバンテージに助けられてか、或いはそれすら計算ずくの判断であったかは不明だが、何れにしてもそうなのだ。

 「中華人民共和国が長男、朝鮮半島国家が二男、日本が三男」というような構造が、歴史的に一度でも現れたことがあるのだろうか?少なくともここ1000年以上に渡り、そのような状況は現れなかった。少なくとも日本は一度それを明確に拒絶した。別にそれを誇るつもりも、誇る必要も感じないが、それを日本人自身が否定するのは先人に対して余りに失礼だと思う。

 視点を再び中共に戻す。中共は「中華思想的に正統性のない中華の支配者」だが、それを知りながら中華思想的言行を強める傾向が見て取れる。現在の中共の反日の正体は、自らが「中華思想的に正統性のない中華の支配者」という引け目の裏返しだと私は見る。だから歴代の中共の主流波は触れてこなかったし、実は「中華思想」も必要としなかった。「中華思想」や「反日」は反主流派が主流派を揺さぶるときに使う一種の手段に過ぎなかったのだ、かつては。

 が、中共主流派の劣化は「中華思想」に手を出すことを止められなかった。当初こそは反主流派の手札を封じるためだけだったのかもしれないが、それは一種の麻薬のようにいつのまにか手放せないものになった。「中華思想の導入」は単なる手段故に、直ぐにその導入の本来の意味は失われる。さらに時を経て、「中華思想」自体も形骸化し、自らの都合の良い枠組みのみが残るに至る。それはもはや他者を強圧するための手段としての機能しか持たない、「天子が天子たらんとすることが要求されない」、いじめの為のわがまま、甘えに与えられた名称に過ぎない。

 わがまま中共は、1400年以上前に「まっとうな中華思想」の枠組みから離脱した国家、日本が今も存在・・・文字通り「日帝」として、日本は「天子」を有するが故に今でも実質的に帝国である・・・することが単純に気に入らないのである。ところが、「日本が気に入らない」と思う資格が自らに無いことも同時に分かっているのである。このジレンマを解消する一つの方法は、中華民国(台湾)を吸収、同化し、清の正統な後継政府であることを宣言することである。これが、台湾と中共との関係、台湾に対する中共の振る舞いを理解するに、日本との関係性という視点も必要と考える所以である。

 だから、中共が中華思想から自由となった時こそが歴史の転換点足り得る。

 現在の中共は、本来は囚われる必然性の無い中華思想と言う一種のイデオロギーを自ら身にまとい、それに絡み取られて悶え苦しみ続けるマゾヒスティックな存在にしか見えない。それと較べれば、日本は飄々と自由に舞い続けているようにも見えよう。そして、そのように見える日本の姿も気に入らないのだろう。片や、今の韓国はどのように見えているのだろう?

 だが、中共にとっての負の連鎖はそう簡単に終わらない。何故かって?

 中華思想というイデオロギーを捨てることは、中華人民共和国という単一国家を維持する求心力をも捨てることになりかねないからだ。自らの数々の愚行を正当化できなくなるからだ。日本は現在の様に、中華思想なんかに頓着することなく振る舞い続ければ良いと思う。これはしばらく忘れられていた(本当は忘れていたんじゃなくて自分で色々と文献を漁っただけでも○○で××な感触を得ているのだが、ここは穏便に・・・)が、実は先人から引き継いだ知恵であり、捨てる必然性のない歴史的遺産だと思うのだ。

 「集団的自衛権の行使容認」は、今日的な政治力学の視点や、ここ1世紀ほどの地政学の視点だけで捉えるだけではなく、ここ1500年ほどの歴史に基づく視点からも捉えることで異なった意味合いをまとう。

「私達はあなた達が後生大事にしている手前勝手な世界観、それに基づくルールには一切従いません。あらためてになりますが、今回ももちろん本気ですのでよろしくね」

そして、このように歴史的文脈からこの事案を解釈できるのは、実は1400年程昔の「日本の中華思想的枠組みからの離脱、否定」の当時者の末裔たる中共と日本、もしかすると北朝鮮、だけなのだ。この辺りの機微は欧米諸国には分からないだろう。

 なお公平を期すために書いておくと、歴史的には朝鮮半島の国家も「中華思想的枠組みからの離脱、否定」を試み、実際に成功した事例もある。が悲しいかな、最後の王朝国家であり約600年間続いた李氏朝鮮が、その成立からして「中華思想的枠組み」に頼ったものであった。加えて歴史を直視しない多くの現在の住人には、「日本の1400年以上前の行動」が既にして理解の埒外ではないかと危惧する。まぁ、李氏朝鮮は江戸時代には何度も通信使を江戸に送ってんだよね。さぁて、どっちがお兄さんだったんでしょうかねぇ?そっちの流儀だと。

 江戸幕府将軍は「日王」でOK。

2014/07/02

研究者としてはサイテー

 時事、「STAP論文を撤回=英ネイチャーが発表-小保方氏は存在主張」から。
理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーらが1月末に発表したSTAP細胞論文2本について、英科学誌ネイチャーは2日、撤回を発表した。論文は生 後間もないマウスの細胞を弱酸性液に浸すだけで万能細胞になるとしたが、理研は実験画像の捏造(ねつぞう)などの不正行為があったと認定し、著者らに撤回 を勧告。小保方氏も同意していた。
ふむ。で?
 一方、小保方氏はSTAP細胞が存在するとの主張を変えておらず、…
ファっ?!

 言うべき事は以前に書いた事と変わらない。

 STAP細胞騒動がどうしようもなくアカデミックじゃない
 STAP細胞騒動について思うこと 

 あ、「言ってる事とやってる事がマッチしてない」のは研究者としては本当にサイテー。まだ下があったとはね。

2014/07/01

ふぁっ、まさにそれですよ

日本のマスコミはこういう大事な部分を隠して、「あれ、言ってませんでしたっけ?」みたいな顔をしてニュースを流すことが多い。その最たるものが「憲法9条」だ。

先ほどのリベラル系番組ではよく憲法9条を「世界でも唯一の平和憲法」とか言うが、これは正確ではない。駒沢大学名誉教授の西修氏が世界の憲法188を調べたところ、平和項目がある憲法は158もあった。さらに言えば、「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」という条文はイタリア(1947年)、アゼルバイジャン(1995年)にもあるという。

ちなみに、イタリアもベルルスコーニ首相の時にイラク戦争に参加しているし、アゼルバイジャンの軍隊もPKOでコソボ、アフガニスタン、イラクに派兵をしているだけではなく、NATO(北大西洋条約機構)も加盟する「平和のためのパートナーシップ」に加わった。「蟻の一穴」理論でいけば、両国とも権力者が平和憲法を無力化しているわけだから、軍国主義になっていなければいけないが、そういう話は聞こえてこない。

このことからも分かるようにマスコミ人の間では、「憲法9条」がらみでは多少話を盛ってもいい、みたいな免罪符がある。
さらに上記の引用部分の内容も踏まえると、次の引用部分は二重、三重に捻じれていてシュールなまでに秀逸。「当時者の無知(不勉強)」、「別の意図が疑われる『思いつき』」、「偏向報道(の疑い)」が重なってもはやこれは報道の名に値しない。全文に目を通して頂いて、引用元の文章が含む毒、秘めた切っ先の放つ鈍い輝きを味わって欲しい。
その象徴が『朝日新聞』が4月に出した「憲法9条にノーベル賞を 主婦が思いつき、委員会へ推薦」という記事だ。タイトルそのままの内容だと、9条に対してなんの思い入れもない奥様がある日、突然閃(ひらめ)いたみたいな印象を受けるかもしれないが、事実は違う。

この「主婦」なる女性は、キリスト教系の団体でさまざまな平和活動をしているのだ。だから、読者を誤解させないためには正しくはこう書かなくてはいけない。

「憲法9条にノーベル賞を 女性平和活動家が思いつき、委員会へ推薦」
つまりはそういうこと、付けたす言葉もありませんわ。